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【京都】 修道院の乙女菓子 

2015年02月25日

日本のあちらこちらにある修道院で、お菓子が作られていることを知ったのは、昨年の夏ごろだったかなあ。乙女菓子と称して、修道院のことやそこで作られているお菓子の紹介をしてる本を見つけたのがきっかけでした。

 私にとって手作りというものは、どうも気になる存在のようで、そこに紹介されていた、飾らない、素朴な温かみを感じるお菓子たちは、昔、小さかった時に母が作っていたお菓子にも似ていて、とても心惹かれるものでした。

 京都には、京都カルメル会修道院があるのですが、今回の京都滞在では時間がなくて行けそうにありません。どうしよう・・とおもっていたら、あったんです。京都には、修道院のお菓子を扱っているお酒屋さんが。それも錦市場の近くに。ここならいけそう・・とお邪魔してきました。

お店はタキノ酒店といいます
こんな看板が目印でしたよ









お酒屋さんのなかには、修道院のお菓子が沢山♪ありました


 
なぜ、お酒屋さんで修道院のお菓子を販売しているのでしょう?
お尋ねしてみたところ、まずクリスチャンだったということ。
で、50年前くらいから、修道院のお菓子を販売していたところ、近頃は雑誌にとりあげられるようになって、どうも日本全国をさがしても、こんなに修道院のお菓子を扱っているお店はない・・と言うことに気が付かれたそうです。雑誌や本を見てこられるお客様も多いので、酒屋はどこにでもあるけれど、修道院のお菓子は珍しいのでちょっと力を入れてみようか・・と思われたとのこと。
修道院のお菓子は、添加物などが入っていないので、やさしい味が特徴。
ただ、近頃は、シスターになる人も少なくなって、どこの修道院も高齢化が進んでいるとのこと。
寂しい話ですが、お菓子を作れなくなっている修道院も出始めている・・とのことでした。

ここにも高齢化の問題。町の小さな和菓子屋さんが直面している問題と同じです。

やさしい味をいつまでも・・そう願わずにはいられないですね~。



  


Posted by はなはな at 20:16Comments(0)番外編

【京都】 村上開新堂 ~ときめきのクラッシック菓子~

2015年02月21日

東京の村上開新堂のお菓子のことを友人にお願いしていた時のこと。
 
 ふいに
 「村上開新堂って京都にもあるよね~」と友人がいいだして、
 「?」

 調べてみたら有りました。
 同じ名前のお店が。
 で、なんとなくだけど、クッキーも似てる。
 親戚かな??とおもっていろいろとしらべていたら、なんとなく沿革もわかってきて
 ほうほう・・そうなんや・・って感じ。
 よく東京が本店、京都が支店なんて思われてる方がいらっしゃるようですが、そんな関係ではありません。親戚ですが、別物のお店と思っていただいた方が良いと思います。

 この二つのお店の大きな違いは、東京の村上開新堂は一見さんおことわり。紹介者がないとかえないのです。
 京都は、一見さんでも買えます。但し、クッキーの詰め合わせは、予約制となってる。今からだと4月になる・・と言われたくらいちょっと待たされる。あと、京都のお店にはロシアケーキなるものがある。これは東京にはないお菓子。

 今回、京都へ行こう・・・と思い立った最大の理由はこのお店に行きたかったからなのであります。

 前置きはさておき
 京都の村上開新堂は明治40年創業。京都で一番古い洋菓子屋さんであります。
 現在のお店の建物も古く昭和10年のものだそうで、京都は戦災にあっていないので、無事だったことを考えると、本当によかったと思えるくらいのなんとも趣のあるかわいらしい建物でした。

これがその建物





扉なんか、洋館建築フェチにとっては垂涎のしろもの
をす・・・だって。時代やねえ~~






 これが ときめきのクラッシック菓子(と、勝手に私がよんでいる)
 ロシアケーキ
 本当は5種類あるんですが、なぜか、4種類しか買ってこなかった(バカバカ・・反省)
 上から チョコ その下ジャムが見えてるのがアプリコット その左がぶどうジャムサンド 下がレーズンです。他にゆずジャムサンドがあります。
 見た目もレーズンの感じがレトロ感満載って感じでときめきます。赤いチェリーなんて近頃見かけないもんねえ。
 味は、油脂分の少ないビスケットって感じ。ぱさぱさだとか、喉に詰まる・・とか書いてる人もいたけれど、私はこの油脂の少ないビスケット風のクッキーは好きです。泉屋のクッキーが好きな人は好きかも(少し似てる)懐かしい味ですよ。



 

 お店で一番古いお菓子はこのロシアケーキかと思っていたら、お店の人が違うという。

 一番古いのは「好事福盧」(こうずぶくろ)という紀州みかんのゼリーらしい。みかんの時期が終わったらおしまい・・と言うお菓子。毎年11月から翌年3月までのお愉しみらしい。
 気にはなったが、帰ることを考えて今回はやめておきました。

 その代り、クッキー缶の予約をしてきましたよ。4月に届く予定。たのしみであります。


 京都へ行ったときにはぜひのぞいてみてください。
 場所などは検索していただければ、必ず出てきますよ。
  


Posted by はなはな at 09:41Comments(0)番外編

京都 虎屋饅頭

2015年02月16日

先日、京都へ行ってきました。
京都は和菓子屋さんがたくさんあるところ。千年の都は他の都市とは一味違う気がする。
その中で、私がどうしても食べたかったのは、虎屋の【虎屋饅頭】
虎屋といえば、羊羹・・と思ってるでしょっ♪
ふふふ・・実はこの寒い季節だけ、販売される酒饅頭があるのです。
虎屋の直営店で販売されていて、通販で買えない饅頭。
京都へ行くことになって、早速、虎屋の四条店さんに電話してきいてみたら、確かに虎屋饅頭は販売されていて、でも数に限りがあるので絶対に予約したほうが良い・・とおっしゃる。ならば・・と二個予約しておいたら、当日、お店で「予約されていてよかったですよ~。たくさん買ったお客様がいらして、すべて完売してしまったところでした。」とのこと。
冬の間だけ、そして地方では手にはいらないお饅頭は、知る人ぞ知るのお饅頭で人気があるよう。
スイーツ好きの考えることは皆同じということでしょう(笑)



 これが虎屋饅頭。
小ぶりの酒饅頭。
完璧な形・・・。宇宙をかんじるわ(というのは、おおげさかw)







中は黒餡
甘くないかとおもっていたら、上品な甘さが口に残り、甘党としては、それがうれしく感じられる。
近頃は甘さ控えめ・・との考えから、味もそっけもないあんこに出くわすことが多いのだけれど、この餡の味には好意をもった。

虎屋饅頭は、酒饅頭である。
酒饅頭というのは、酒種の酵母の力で膨らませる饅頭のこと。

饅頭の歴史を調べると、饅頭の製法には二つの流れがある。大まかにわけるとだけど。
一つは、奈良の塩瀬饅頭の祖 林浄因による「薬饅頭」これはふくらし粉を使って膨らませる製法。塩瀬饅頭は今でもちゃんとあるから、奈良は饅頭発祥の地といわれている。

もう一つは、博多(福岡)に伝わった「酒饅頭」
資料によると、1241年に宋に留学していた円に弁円(後の聖一国師)が帰国。博多の町
で布教中にお世話になった茶屋の主人に酒饅頭の製法を伝えたといわれている。
この茶屋の主人は、栗波吉右衛門といい、聖一国師から、「虎屋」の屋号と、「御饅頭所」の看板を書いてもらったらしい。
なので、酒饅頭は虎屋饅頭といわれた。
残念なことに栗波吉右衛門の虎屋はすでに無くなっている。
「御饅頭所」の看板は、戦前に東京の虎屋に伝わっていて、そのrぷレプリカは、博多の老舗だった松屋菓子舗にあった。
栗波吉右衛門の虎屋と東京の虎屋の関係は不明。
( 余談だけど、和菓子屋・饅頭屋に、虎屋○○という屋号が多いのは、虎屋=饅頭ということなのだろう。)

博多(福岡)の町になにげに酒饅頭を作っている饅頭屋が多いのは、伝わった土地だからだろうか?紅白の甘酒饅頭は、小さい時に祝い事の度にもらったような気がする。

が、とにもかくにも、お店がすでにないというのは、弱いもので、饅頭発祥地としての自覚も、博多にはすでにない気がする。
もったいない。
奈良に負けてなるものか…と思うのだけど、あっさりとこだわらない・・というのも、博多っ子らしいといえばらしい。
  


Posted by はなはな at 20:48Comments(0)番外編

森永太一郎展 

2014年09月13日

 ある日のこと、新聞をのんびり眺めていたら、北部九州の博物館情報が掲載されていて、そこに、佐賀の博物館で開催中の展覧会情報が目に留まりました。

 え~~・・森永太一郎展だって(ワクワク・・・)これはいかなくては・・・

 そう思っていたら、Kさんから、都合が合えば一緒に行きましょう・・とのお誘い。が、結局都合がつかず、一人でバタバタといってきました。7日までの会期だったので滑り込みといった感じでした。

 シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べていて、面白い・・と思ったことは、戦前に4大菓子メーカーというのがあって、そのうちの3つの会社はなんと創業者が佐賀出身ということ。

 森永の森永太一郎 江崎グリコの江崎利一、新高製菓の森平太郎です。

 森永とグリコは今でも健在の大きなお菓子メーカー。新高製菓は今ではありませんが、戦前は台湾などで有名だったと聞いたことがあります。

 ちなみに4大菓子メーカーの残り一つは明治であります。チョコレートは明治♪…の明治です。
 もう一つおまけ情報、ペコちゃんで有名な不二家は明治43年創業、北陸製菓(今のブルボン)は大正13年に創業です。明治から大正にかけて、今でもおなじみの菓子メーカーが続々できていたんですね~。

 その中でも森永の森永太一郎は西洋菓子のパイオニア・・と呼ばれているのです。

 私は以前から、なぜ森永はエンゼルマーク??って思っていたので、それも解決したいと思ってましたので、とても興味がありました。

 展示会は、森永太一郎の生い立ちから森永製菓を興す話から、それぞれの時代のお菓子の変遷の展示でした。

 特にお菓子のパッケージはステキで、同じお菓子でもこんなに変わっているんだな~と興味深く拝見しました。創業時にはあか抜けない印象のものが、大正時代には、モダンでとっても素敵なデザインにかわり、昭和になると戦争の影がさしてくる・・みたいな感じ。見ていて飽きないな~・・。錆びたビスケットの缶ですら、眺めていたい感じでした。

 エンゼルマークは、森永太一郎はクリスチャンだったってことで解決。お菓子作りを神から与えられた天職と思っていたようです。エンゼルマークの誕生は、森永の西洋菓子の評判がたかまるにつれ、それを真似た海賊版(今でいうところの・・)のお菓子が出回りだしたので、その質の悪いお菓子と差別化を図るために考えられたシンボルマークだったそうです。
 エンゼルがもっているものはアルファベットのTとM。これは森永太一郎のイニシャル。ちなみに現在のマークは昭和61年から使用でデザインがかわってます。その以前のマークはアルファベットを持って天から降ってくる感じのマークでした。

 それから、会社として大きくなるには、重要な人との出会いがやっぱりあるようで、森永太一郎には松崎半三郎と出会ったことが大きかったようです。これは、ソニーやホンダにも通じるところ。職人だった森永太一郎に経営面をカバーする松崎半三郎とタッグを組んだことで大きな会社組織になりました。この松崎半三郎は2代目の社長になります。

 展示品をながめていたら、あの「お菓子のかんづめ」が年代別に並べてありました。これが欲しかったんだ…小さい時にね。へ~・・って感じ。

 大きな菓子メーカーのありふれたお菓子・・という印象で特に注意を向けていなかったというのが正直なところでありますが、少し調べるとやっぱり面白い話がごろごろしていて、もっときちんと調べなくては・・と思ったのが今回の発見でした。お菓子の歴史や創業の話は、やっぱり面白いな~。お菓子の数だけ物語がある・・・・・。これだから、調べて食べることはやめられまへんな~~。そのうちちゃんと森永製菓のことをUPしますね。

 博物館のロビーでおなじみのキョロちゃんを発見

 


 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

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Posted by はなはな at 20:02Comments(0)佐賀

上島珈琲店で丸ぼうろ

2014年09月01日

 
 東京に戻っていたKさんから聞いた話。
 ある日、お兄さんが珈琲と丸ぼうろを持って帰ってきたそうで。
 丸ぼうろは、北部九州ではコンビニでも見かけるくらい、ちっとも珍しいお菓子ではありませんが、東京で見ることはほとんどないお菓子なので、これどうしたの・・・と根堀、葉掘りお兄さんに聞いて、それは上島珈琲店で売っているものだ・・・ということが分かったとのこと。

 上島珈琲ね~・・ 。UCCコーヒーといった方がわかりやすいかしらね。
 UCCが丸ぼうろを販売してるとはね。
 なんで、丸ぼうろ?
 もしかして創業者が九州人?なんて、いろいろと話が飛躍しましたが、調べてみたら、創業者は関西の人?みたいで、創業の地は神戸でした。違うね。こればかりはUCCに問い合わせてみないとわからないね。・・という話でおしゃべりは終了。

 で、本日、博多駅まで行ったので、上島珈琲店によって確認してみましたら、本当に売ってる。

 これ、ちゃんと佐賀のお菓子屋さん(大坪製菓)が作っている。佐賀ぼうろね。
 

 ちょっとモダンなパッケージに入っていると丸ぼうろもちょっとかっこいい感じ。
 西洋菓子なんて書いてある。

 丸ぼうろは、もともとはポルトガルから伝わったボーロがもとになっているといわれている南蛮菓子。

 だから?かもしれませんが、コーヒーにあいます。

 このことで、丸ぼうろが全国区になってくれればいいな~・・と、佐賀をルーツに持つ私としては思ってます。

 ちなみに、ぼうろ・・といえば、京都の衛生ぼうろ(卵ぼうろ)とかそばぼうろを想像する方も多いと思います。どちらも、クッキーのようなお菓子。このお菓子たちを想像しながら、佐賀の丸ぼうろを食べると、あれ?湿気が来てる・・と思うかもしれません。丸ぼうろは堅いクッキーのようなお菓子ではありません。柔らかいお菓子です。くれぐれもびっくりしないように。(笑)

 それから、丸ぼうろは佐賀が有名ですが、大分県の中津市のも有名なんですよ~。
 興味のある方は調べてみてね(笑)

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 19:59Comments(0)番外編スイーツ女子の日々

夏休みの自由研究??

2014年08月16日

 いつも、長崎街道(シュガーロード)などスイーツ関連の私のブログを読んでくださってありがとうございます。

 夏休みの自由研究の影響でしょうか?近頃のブログの解析をみると、検索ワードは圧倒的に長崎街道、シュガーロード、松屋、長崎 お菓子の名前・・などが多いようです。

 近頃は、何を調べるにも、まずネット検索・・なので、こんな検索結果となっているのでしょう。

 検索ワードを見ていると、へ~こんなことまで検索するのね・・というものに遭遇します。

 例えば、あるお饅頭の直径とか、その断面の写真とか・・・。

 実際に買うのが惜しいのか?
 それとも遠方で買いに行けない?取り寄せられない?

 郷土菓子を調べているものとしては、できれば、実際にお店に行って、買って、食べてほしいな~と思ってます。郷土菓子はその地域に根差したお菓子が多いので、それを育てた地域、風土、もっといえば、その空の下で食べるのが一番おいしい・・と思っているからです。現地で作っているお菓子屋さんから話がきければ、尚、ラッキ~。(忙しい時は聞いちゃだめですよ)おいしさ倍増です。

 何を調べるにも、自分の足を使う。
 フィールドワークは大切だし、一番楽しい部分でもあります。

 どうぞ、この一番楽しい部分を大切に。

 

 
 
 写真は鳥栖の水田屋さんのすずめ最中
 こんな楽しい形のお菓子に出会えるのも、お菓子の調べものの醍醐味です。  


Posted by はなはな at 07:56Comments(0)スイーツ女子の日々

泉屋のクッキー

2014年08月09日

小さい時に食べていたものというのは、ずいぶんと大人になっても好物であることが多いようです。
 両親、とりわけ母がお菓子好きだったこともあって、小さい時からいろいろと食べさせてもらっていたようです。今では、こうしてお菓子のことを調べているのも、その影響かもしれませんね。

 今日のテーマの泉屋のクッキーもその思い出の味のひとつ。食べると懐かしい気持ちでいっぱいになります。小さい時にこのクッキーがお土産などでやってくると、どれから食べ用か・・と迷う楽しさ。そして人気のクッキーからなくなって、それでも残ることはなく・・という感じでした。

 昔は福岡のデパートにもお店が出てましたが、今では、地方銘菓のコーナーで見かけることが多いようです。懐かしかったので、アソートパックを買ってみました。



 
  泉屋の定番のクッキーが勢ぞろい。
  私が好きなのは、浮き輪の形のリングダーツです。
  このリングダーツにも物語があるそうなので、後ほどご紹介しますね。
  味は、素朴で正統派のクッキーといった感じ。今のクッキーより油脂が少ないきがします。なのでちょっと固めです。

 さて、すべてのお菓子に、誕生の物語があると、いつもこのブログにUPしてますが、この泉屋のクッキーにも素敵な物語がありました。

 詳しくは泉屋のHPにありますが、ちょっと簡単にご紹介します。
 
 泉屋はもともと明治・大正時代に大阪の船場で機械や鉄を扱っているお店でした。
 4代目、泉伊助とその妻園子は敬虔なクリスチャンで、子供の健康のためにと、気候の温暖な和歌山県に移り住みます。その地でアメリカ人宣教師のロイド夫人と出会いがクッキーとの出会いでもあったようです。
 ロイド夫人は子供のために自身でクッキーというお菓子を焼いてあたえていることを知った、園子は、栄養満点で美味しい食べ物を自分も作ろうと日曜学校の教室でクッキーづくりを習い始めます。
 しかし、クッキーづくりにはオーブンが必要。園子は当時とても高価なオーブンを注文し、届いたときに伊助に報告という作戦にでます。伊助は届いたオーブンを見て怒りもせず、園子のクッキーの勉強の手助けをしたようでした。夫婦の探求心は、ロイド夫人も太鼓判を押すほどのクッキーを作り出し、その中には、今でも泉屋の定番の形として残っているものもすでに出来上がっていたとか。

 その後、このクッキーづくりは評判をえて、昭和2年に個人ですが会社を興こし、その後の発展で今日のような企業の形になったそうです。

 そしてリングダーツの形は、企業理念をあらわしていて、泉屋のロゴにもなっています。
 浮き輪は荒波にあっても沈まない→人生の荒波を乗り越えていく→浮き輪が人を救うように、泉屋も社会の役に立つ会社でありたい・・・ということでした。この考えはクリスチャンであったことも影響しているのでしょう。

 ざっと、内容をまとめて書きましたが、詳しくは泉屋のHPをご覧になってくださいね→☆☆☆


 お菓子の歴史を調べていると、明治から大正・戦前の昭和にかけてできたお菓子には、栄養があるから・・と作り始めたというものがかなりあります。おなじみのグリコも元々はグリコーゲンを生かしてお菓子はできないかな・・ということから始まってますし、カステラを見てこれは病人に良い・・と作り始めた話もあります。今ではお菓子は嗜好品ですが、昔は補助食品的なものもあったとうことでしょう。それだけ、昔の食事が質素だったということですね。

 今、NHKの朝ドラで「花子とアン」があってますが、話の中で女学校時代にクッキーと紅茶でお茶の時間を楽しむシーンがありました。昔のハイカラなご婦人が習ったクッキー、宣教師から習ったクッキーもあんな感じだったのかなあ・・・・・と思って興味深くみました。キリスト教と一緒にやってきたお菓子の一つかもしれませんね。
 そういえば、明治生まれの祖母が、若い時に東京のキリスト教関係のおうちで行儀見習いに入っていた時、クッキーの作り方を習ったと母が言ってました。母が小さい時に作ってもらったといっていたことを思い出しました。泉屋のクッキーが好きだったのはそれも影響していたのかなあと思います。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 15:57Comments(0)お菓子ストーリー

雲仙銘菓 湯せんぺい その2

2014年08月08日

先日、Kさんにもらった湯せんぺいのことを先日ブログにUPしました。
 まだ、読んでいない方はこちらを見てくださいね→☆☆☆

調べていたら、湯せんぺいは、雲仙と小浜町で10数軒の菓子屋がつくっているとのこと。で、味が店によって微妙に違う・・・ということでした。
 ホントかな・・・・?
 他の店のものも食べてみたい・・と思い立ち、そういえば、博多阪急で見かけた気がする・・と思いだし、買ってきました。

 買ってきたのは、小浜町の三宅商店のものです。写真では右のもの。紐がかかっている方です。湯せんぺいの箱や包装の柄は、よく似ていますが、微妙に店ごとに違います。デザインは、どちらも同じ国立雲仙公園と島原の地名が書かれています。このデザインがなかなか粋であります。




 
 三宅商店の湯せんぺい。店のマークは山のしるし(雲仙の普賢岳か?)の下に三です。



 
 遠江屋の湯せんぺいとともに。上が三宅商店、下が遠江屋。
 デザインはほぼ同じ。それぞれにお店の屋号のマーク入り


 
 大きさが微妙に違います。
 遠江屋の方が5mm大きい。
 色は三宅商店のもの(上)が濃い色です。
 香りは、遠江屋の方が、強い華やかな香り。甘そうな、卵煎餅の香り。
 甘い匂いは遠江屋が強かったのですが、食べてみたら、三宅商店の方が甘いかなあ・・という感じ。配合がそれぞれの店で違うのでしょう。かすかですが、違いがあります。

 湯せんぺいは、いろいろなお店のものを食べてお気に入りを探すのも楽しいかもしれません。

 その昔、雲仙が避暑地としてデビューしたころ、温泉の湯が体に良いので・・と旧島原藩の松平公が、お湯を使ってせんぺいを焼かせたのが発祥ともいわれている湯せんぺい。品の良い甘さと軽い食感の卵煎餅は、和製ゴーフルといっても良いお菓子です。懐かしい、古いお菓子ですが、時々食べたくなるお菓子でもあります。
 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:02Comments(0)番外編

シュガーロード 武雄温泉 百合羊羹

2014年08月04日

久しぶりに長崎街道(シュガーロード)のお菓子に戻ってきました。
 近頃はこの長崎街道からはみだして、いろんなお菓子のことを書いてますが、お菓子のことを調べるきっかけになったのは、この長崎街道なのです。
 きっかけなどなど、調べ始めたころのことは、ブログのテーマで長崎街道(シュガーロード)のところを見てくださいね。

 さて、今日のお菓子は武雄温泉の百合羊羹です。
 武雄温泉は長崎街道でみると、塚崎宿のあたり。
 このあたりは今でも長崎街道の面影を残している宿場町が続きます。行ったことがないので詳しくは書けませんが、特徴的なお菓子が残る魅力的なエリアです。

 百合羊羹は、Kさんからのお土産。
 武雄温泉で、現地のガイドさんに古いお菓子屋をきいたら、この百合羊羹に行きついたらしい。
 武雄温泉に行って買ってこなくては・・と思っているお菓子でしたので、狂喜乱舞(私)感謝です。

 百合羊羹をつくっているのは、山里屋菓子老舗。
 創業は天保年間。160年ほどの歴史がある老舗です。

 百合羊羹はその名の通り、ユリ根と白あんを混ぜて作る羊羹。
 ユリ根は、そういえば以前佐賀に行ったときに買ったお菓子にも使われていました。
 そのことは、こちらに書いてますので、興味のある方はご覧くださいね→☆☆☆


 漢方にも使われるユリ根。この薬効がお菓子に生かせないか・・と思ったのが、お店の4代目だった山口佐平さん。(現在の代表は7代目にあたるそうです)それから90年ほど作り続けられているお菓子のようです。










 これが百合羊羹。
 白あんの羊羹です。上品な色合いがとても魅力的。

 羊羹を撮影するときにいつも思うのですが、本当に和菓子の中でもフォトジェニック。
 薄く光に透ける色合いといい、光の加減で変わる表情といい、かの夏目漱石が絶賛しただけのお菓子だけあります。夏目漱石の草枕の中の羊羹の描写は、お菓子を調べている人にはおなじみですが、溺愛かげんが計り知れる・・のです。ちなみに、夏目漱石の描写した羊羹は、東京の藤村の羊羹だそうですが、このお店も近年廃業されました。とても残念です。

 さて、話を百合羊羹に戻しますが、白あんにユリ根を裏ごししたものを混ぜているとのこと。食べてみましたら、ユリ根の味というより、白あんのマメに風味がとても豊かで、とても味に表情があるのです。白あんの羊羹というのは、きっとユリ根の風味がアズキだと消えてしまうからかも。子の羊羹の味は、私個人としては好きなタイプの羊羹で、直方の白ダイヤ(羊羹の名前ですよ)と同じくらい好きだわ・・と思いました。

 今度は、現地に行ってお話を聞かなくては…と思っています。武雄には他にもお菓子があるので楽しみです。

 Kさんがこの百合羊羹を買うときにお店の方に「友達がお菓子を調べてるので・・」といったら、この間、あるテレビの番組でやはりシュガーロードのことを調べていてロケがあったとのこと。番組の放映はもうあったのかしら?と気になるところです。

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 10:58Comments(0)

雲仙銘菓 湯せんぺい

2014年08月04日

 先日、Kさんから電話があり、雲仙に来てるので、古いお菓子とかあったら買ってきて下さるという。
 すかさず、【湯せんぺい】をお願いしておいたら、ちゃんと買ってきてくださいました。それも、遠江屋のもの。感謝、感謝であります。

 雲仙は、日本で初めて国定公園に指定された場所。明治以降は在留外国人の避暑地として栄えました。軽井沢みたいな感じだったのかなあ?そのせいか、ちょっと上品な雰囲気がありますもんね~(私の個人的な感想です。あくまでも・・・)

 湯せんぺいもこの時期に生まれたお菓子らしい。誕生にはいろいろな説があるようで、これは直接雲仙に行ったときに確かめようと思います。

 卵と砂糖と小麦粉で作られている卵煎餅。
 九州のお菓子は卵と砂糖と小麦粉を使っているものが多いのは、いつもこのブログにも書いている通りですが、煎餅も卵煎餅が多いですね。草加せんべいとか米を使った煎餅とは違ったお菓子。煎餅とはいうものの、こちらは洋風の雰囲気です。ちなみに煎餅と書いてせんぺいと読むことも多いのも九州のお菓子の特徴。でも、絶対・・というものでもないので、このあいまいさも、九州人の気質ににてて、おおらかな感じです。

 この湯煎餅、フランス菓子のゴーフルにも似てる・・・・と思っていたら、フランス煎餅がルーツかも・・という説もあるらしいのです。

 食べてみたら、和製ゴーフルという感じ。煎餅と思えば、卵煎餅だし、ゴーフルと思えば、ゴーフルかも・・という感じ。昔、避暑に来ていた外国人たちは、アイスクリームに添えるウエハースの代わりにしていた・・という話もあるらしい。なるほど、合うかも・・・・試してみようか・・という気になります。

 今回、頂いた湯煎餅。 遠江屋本舗のもの。パッケージが良いですね~。





 


 〇にト 遠江屋のマーク?デザインが良い感じ。
 食べると、あっさりした卵煎餅という感じ。
 品の良い甘さ。
  
 今回は頂いたお菓子なので、ざっとアウトラインのみ書いてます。
 実際に訪ねて、お話を伺えば、もっと面白い発見があるかもしれません。
 後日のお愉しみ・・ですね。

 ちょうど、ゴーフルも取り寄せたいものがあるので、これも後日のお愉しみです


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 10:46Comments(0)番外編

「風立ぬ」で復活 シベリアというお菓子

2014年07月03日

ある日のことでした。
 お菓子のことを検索していた時のこと。あるHPで、カステラとあんこの相性は思っているよりもよく、例えば、シベリアというお菓子が・・・・・云々。と書かれた文章を見つけました。

 シベリア????
 お菓子??
 聞いたことがないぞ?

 お菓子なら調べなくては・・

 というわけで、今回のテーマは【シベリア】です。
 写真は、横浜のコティーベーカリーから取り寄せたものです。

 

  
 見ての通りの姿。
 カステラとカステラの間に羊羹状のあんこ。
 羊羹だからちゃんと固まっている。
 あんこをはさんでいるのではなくて、トレーにカステラを敷いてそのうえに羊羹を流し込んで作るらしい。側面に漏れているところがあって、その製法を伺わせます。手間がかかっているお菓子です。
 (お菓子・・といっていいかなあ。菓子パンの仲間になるのかも。明治から大正にかけて作っていたのはパン屋さんらしい。)

 

 調べていると、
 どうも明治時代の後半から大正時代にかけて生まれたお菓子で、ミルクホール(今でいう喫茶店のこと)での定番お菓子だったらしい。

 いつ、どこで、だれが作り始めたのかは不明。

 なぜこのお菓子の名前が【シベリア】なのか?
 羊羹の部分がをツンドラを走るシベリア鉄道にみたてた・・・とか、シベリアの凍土をあらわしたとか・・・いろいろな説があるようです。コティーベーカリーのHPにいろんな説が紹介されてますので興味のある方は読んでみてください。

 販売エリアは、首都圏を中心にした東日本と中部地方。近畿地方を中心とした西日本や九州ではなじみがないお菓子らしい。確かに、見たことはないが、Facebookでコメントをいただいた中に、九州で買ったというものがあって、全くないわけではないようです。

 首都圏・・というと、これは東京出身の友人に聞いてみるのが早い・・・で、聞いてみましたところ、羊羹カステラといっていたということ。牛乳と一緒に食べるとおいしかったとのこと。私より若い友人が知っているということは、ごく最近まであちこちで販売されていたということでしょう。

 味は、私が食べたコティーベーカリーのものは、カステラに水ようかんに似た味(薄味のような感じ)の羊羹がはさんであるものでした。冷やした方が美味しいかも。甘さは控えめでした。

 ネットでも食べたことがある人の感想がいろいろとあって、お店によってかなり味は違うようです。甘すぎる・・というものもあれば、すごく美味しいというものもあっていろいろ。味覚は人それぞれだからということもあるでしょうけど、店によってかなり違うことがうかがわれます。

 形も三角、四角・・といろいろあるようです。

 近年は、ほかにも美味しいお菓子がたくさんできて、作るのに手間のかかるシベリアは次第に姿を消していったようです。

 昨年、宮崎駿監督の映画「風立ぬ」で主人公の堀越二郎が「シベリア二つおくれ」といって買い求めるシーンがあったそうで、それで、あれは何?と注目されて復活しているようです。九州ではなじみのないお菓子だったので、見過ごされた方も多かったでしょう。私は映画を見ていないので、本屋で映画の本を探し、そのシーンを確認いたしました。なるほど、三角形のシベリアを買い求めています。友人から「変なものを食うな」みたいなことを言われているので、大人の男が食べるものではなかったのかな・・という印象。女・子供のおやつだったのかしらね。

 あんこ(羊羹)とカステラ・・・シベリアを眺めていて、思い出したお菓子があります。
 四国の松山の銘菓、タルトです。
 これもカステラとあんこの組み合わせ。
 ただ、ロールケーキ状。
 このお菓子のことは、また改めて書くことにいたしましょう。

 シベリア・・が気になった方は、首都圏にはまだ作っているパン屋さんがあるようですよ。
 検索してみてはいかがでしょう。
 それから、関西ではロシア・という名前であったらしい・・という情報もいただきました。
 これは未確認情報ですが、もし見かけたら教えてくださいね。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 09:32Comments(0)スイーツ女子の日々

唐津街道 ~福岡 博多  二〇加煎餅 に新作♪~

2014年06月19日

 福岡 博多に古くから住んでいる人にはおなじみのお菓子
 二〇加煎餅 (にわかせんぺい)
 
 福岡 博多の人なら、小さい時に一度はもらって食べたことがあるはずのお菓子です。
 CMも有名。「たまには喧嘩にま~けてこい・・・♪」って歌が懐かしいでしょう。

 販売しているのは、㈱東雲堂
 歴史は古く、明治時代。東雲堂初代、高木喜七は博多駅構内で販売をしていたところ、当時の駅長から博多らしいお土産はないか・・と相談を受けて、思いついたのが、郷土芸能の博多にわかの半面。販売は明治39年から。その時は「高木東雲堂」といっていたそうです。

 そのお面というのがこれ(上のお面)


 
 
 その東雲堂から、新しい二〇加煎餅がでた・・・というので、早速購入いたしました。

 その名も、ブラック二〇加煎餅。上の写真の下のお面がそれです。
 パッケージも、中身も黒いのです。


 

箱をあけたら、ビニール包装されていて中に3枚入ってます。



 なんだか、銀行員のような、かたい仕事をしてそうなサラリーマン見たいに見えます。
 ちょい悪風にも見えるし、タモリさんにも似てますww

 袋を開けると、いつもと変わらず、卵煎餅の香りがします。
 味は、普通のと変わらず、サクサクした卵煎餅。
 原料をみると、植物炭末色素・・とかいてあるので、この黒さは炭のようです。

 卵煎餅の材料は、砂糖、小麦粉、卵・・です。
 卵と砂糖のほのかなあまい香りが特徴。材料をみるかぎり、子供のおやつに最適のような気がします。昔はね。(今は栄養過多なので、そう思わないかもしれませんけど。)

 煎餅というと、米(うるち米)を使ったしょうゆ味、塩味・・というイメージですが、九州では卵煎餅の方が多い気がします。(古いお菓子の話ですけど)今では、いろいろと出回ってますから、あまり気にとめませんけど、やはり、砂糖、小麦粉、卵・・の材料を使ったお菓子は、九州っぽい。シュガーロードっぽい…気がします。私個人の感想としてですけど。

 それから、煎餅・・とかいて、九州ではせんぺいと読むことが多いです。
 二〇加煎餅、九十九島せんぺい 湯せんぺい・・とかね。九州の方言かしらね。

 ブラック二〇加煎餅の箱の裏書き。博多弁満載。お菓子かろうもん・・だって。笑




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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
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Posted by はなはな at 14:14Comments(0)唐津街道

水無月を買いに花月堂寿永へ・・・

2014年06月13日

今年も、博多水無月が販売される季節になりました。

 博多水無月のことは昨年もこのブログにUPしています。
 水無月のいわれとか、博多でどうして作られるようになったのか・・などを書いてますので、読んでくださいね。
 水無月、買っておうちへ帰ろう♪→☆☆☆
 水無月、買っておうちへ帰ろう♪その2→☆☆☆

 昨年は、デパートでいくつかと、二日市の梅屋の水無月を買いました。
 気になっていながら、行けなかった、春吉の花月堂寿永の水無月を食べれなかったのが心残りでした。

 今日は、ふとその事を思い出したので、用事のついでに春吉まで行ってきました。

 このお店の事も以前ブログで紹介していますので、読んでください。
 唐津街道~福岡・博多 その3 花月堂寿永→☆☆☆
 
 花月堂寿永の水無月は、とても品がよく、形もすっきりとしたものでした。
 水無月の形は三角形。(これは氷の形を表す・・ともいわれています。)
 食べるとちょっと固めの、弾力のあるわらび餅。小豆の粒がはいっていて、上品な甘さが口に残ります。私好みの甘さ。




 ステキだなあ・・と思ったのは、笹の葉の巻き方。
 切れ込みに葉の先を差しこんだだけですが、粋でしょ。
 



 水無月は今年も7月まで販売されるようですよ。
 気になった方は是非ご賞味ください。
 博多水無月は、福岡市和菓子組合の和菓子屋さんが作ってます。
 お店ごとに形なども違います。
 決まり事は笹の葉、わらび粉と小豆を主原料にする・・ということ。
 なので、お店の個性がでています。今年の新作・・もあるようですよ。
 この機会に、福岡・博多の和菓子屋さんめぐりをするのも楽しいですね。

 私が本日行ったお店のご紹介(参考までに)
 花月堂寿永
 福岡市博多区春吉2丁目7-20
 ℡092-761-0278



このお店は100年以上の歴史があるんですよ~。
京都のお店みたいでしょう。
のれんが季節によって色がかわるそうです。
夏は白。
お茶席のお菓子を中心につくっています。


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 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:08Comments(0)スイーツ女子の日々

唐津街道~福岡・博多  洋菓子の店 アルプス ~

2014年06月08日

 3月に長崎で一番古い洋菓子店 【洋菓子のホンダ】を取材させていただきました。
 
 近頃、友人のつてで、【村上開新堂】のお菓子を買っていただけることになり、喜んでいたら、京都にも同じ名前のお菓子屋があるという。そこは、京都で一番古い洋菓子店だそうです。 (村上開新堂のことは改めて後日UPいたします)

 町で一番古い洋菓子店・・・。なんて素敵なお店・・・。なんて考えていたら
 ふと、福岡ではどこなのだろう??・・と思いました。

 洋菓子だから古くても、明治・大正時代よね~~。
 
 昔の福岡の繁華街・・といえば、中洲より東側。
 今の山笠のエリアかなあ~~。。。なんてことを考えながら、検索していたら、有りました。有りました

 そのお店は【洋菓子の店 アルプス】といいます。
 奈良屋町の路地に、町のケーキ屋さんという感じのお店です。
  お店は建て替えられていて、新しいものですが、白い壁とドアに赤いお店のロゴがかわいらしい感じ。スイスの国旗に似てる(アルプスだもんね~)中にはケーキのショーケースと、イートインコーナーがありました。創業時から同じ場所で営業されているとのこと。
 



 プリンがおいしそうだったので買いながら、ちょっとお話を伺うことができました。
 
 創業は大正11年(1922年)。なんと、長崎の洋菓子のホンダよりも古いです。
 創業時は、徳永菓子店といったそうです。
 今のオーナーさんの祖父にあたる方が創業者です。
  
 お店にその当時作っていた古いケーキの写真がありました。
 細工ものが得意だったそうで、写真のケーキも細かいデザインが印象的です。




 昔から作っているお菓子は、マカロンとモンブランだそうです。
 作らなくなったケーキもあって、レシピも残っていないものもあるそうです。

 マカロンは、小さくてかわいらしい、そして、甘さもしっかりしていて、でも甘すぎず品の良い味でした。



 

  古いケーキの型など残っているそうで、またお伺いしたときに拝見させていただきたいと思いました。

 お店に行きたくなった方のために。
 洋菓子の店 アルプス
 住所:福岡市博多区奈良屋町9-21
 ℡: 092-291-5171

 
 福岡・博多のお菓子屋のことを調べていますが、資料はあまり多く残っていないようです。
 
 和菓子店で古いのは、松屋(倒産して、今は薩摩蒸気やが作っています)ですが、洋菓子店はどこだか伝わっていません。
 調べたところ、ちょっとだけわかったことは、中洲の大洋(映画館)のあたりに大正6年に【生田菓子舗】ができました。
 生田家は黒田藩士だったそうです。このお店は昭和17年に火事で焼けて廃業したそうです。その後、生田菓子舗の息子さんが、洋菓子のジローというお店をを開いたそうです。長住のあたりだったそうです。そのお店も今はないそうですが。調べていくともっといろんなことがわかるかも・・。愉しみです。



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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:37Comments(0)唐津街道

熊本の朝鮮飴のこと

2014年05月14日

5月1日に阿蘇にいってきました。
 お目当ては、JR阿蘇駅にできた「レストラン火星」と阿蘇神社と朝鮮飴。
 このブログでは、朝鮮飴のことを書いています。

 阿蘇神社をあとにして、熊本までもどってきました。
 熊本は、加藤清正公が作った熊本城があります。清正公は土木や建築に才能があった方だったようです。あの石垣をみると、素晴らしいの一言ですもんね。熊本城の石垣は、美しく、ちょっと色気があるので好きです。加藤家が改易となった後は、細川氏の城下町となりました。でも、加藤清正公の人気は衰えず、細川氏もその点にはかなり配慮して治世を行ったといわれています。
 加藤清正公というと、虎退治・・・を思い出しますが、今回熊本に立ち寄ったのも、実は清正公に関係あるモノが欲しかったからなのでした。

 熊本でのお目当ては、もちろんお菓子です。
 
 それは・・・・・老舗 園田屋の「朝鮮飴」です。
 お店を訪ねたら、お~~~~…すごい。古くてステキ♪



 
 (写真の吹き出しみたいなものは、お店の紹介がかかれているものです)


  
  お店の名前の上に創業天正年間・・とあります。
  天正年間って安土桃山時代だ~・・・。

  お店のなかで、朝鮮飴と柿球肥の試食をいただきながら、ちょっとだけお店の方とお話をしました。いただいた、朝鮮飴と柿球肥、どちらも懐かしい味でした。朝鮮飴の味は小さいときから知っている味。実は父の好物でしたから、小さいときから食べてました。ボンタン飴の味に似てるとも思いました。ボンタン飴も父の好物。なるほど好きなはずだわ・・と改めて思いました。柿球肥は、柿がきらいなので、大丈夫かな・・って思いましたが、全く心配無用といったおいしさ。こちらの方が甘いお菓子でした。

 さて、なんで朝鮮飴という名前なのでしょうか?
 答えは、いただいたしおりに書いてありました。もともと、このお菓子は園田屋の開祖 初代園田武衛門によって創製されたもので、当初は、長生飴といっていたようです。加藤清正が特に寵用したお菓子で、文禄、慶長の役に、朝鮮に携行し、長期の口糧としてよく保存に耐えたことに感銘せられ、朝鮮飴といわれるようになったそうです。

 主な原料はもち米と水あめと砂糖。


 
 日持ちはしますが、長くおくと固くなります。が、その時はお湯をかけたり温めると柔らかくなるそうでさすが、備蓄に向いているお菓子であります。

 なんで、名前が餅でなくて飴なんだろう?
 家に戻って食べながらふと思いました。またお店に行って聞いてこようかな。

 これが朝鮮飴  小箱の方は、粉から出して1枚1枚銀紙で包んだものだそうです。
 今の時代に合わせた仕様ということでしょうか。確かに粉が散らないので便利です。
 

 普通の朝鮮飴はこんな風に片栗粉のなかにはいってます。


 
 ちょっと掘ってみましょう(笑)
 



 柿球肥は、この朝鮮飴に肥後特産の柿の風味を加えたお菓子です。こちらは新しいお菓子だそうですが、出来上がったのは明治36年だそうです。園田屋は400年以上の歴史があるので、明治時
代はまだ時代としては若い方になるのかも。

 柿球肥です。


 こちらは少し黒っぽい。周りの白いところは砂糖です。
 なので、食べるとダイレクトに砂糖の甘さが口に広がります。
 苦いお茶、コーヒーがあいますね~。


 
 シンプルな形と味はお茶菓子にぴったり。朝鮮飴に比べて、モダンな感じ。

 小さいときからよく知っているつもりだったお菓子でしたが、歴史を知るとちょっと味わいが増す気がします。いつでもそうですが、お菓子には物語があって、それが楽しい&美味しいのだ・・と改めて思いました。
 園田屋はお菓子だけでなく建物がとても良くて、魅力的。また行きたいな~。店の外に求人募集の張り紙がしてあって、熊本に住んでたら応募するな~ってちょっとだけ思いました。

 熊本にはほかにも調べたいお菓子があるので、また行かなくっちゃね。次回のお愉しみ・・、なんだか近頃は宿題が多いなあ~。

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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
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Posted by はなはな at 20:16Comments(0)番外編

KBCアサデス 九州山口にでました

2014年03月26日

ブログにお菓子のことを書きつづけて1年半くらいになります。

 長崎は江戸時代、鎖国をしていた我が国で唯一の外の世界に開かれた町でした。
 出島には、いろいろなものが入ってきました。その中に、砂糖がありました。
 江戸や大坂にむけて運ばれていった砂糖。海路、陸路を使って運ばれていきました。

 長崎街道は、そんな歴史から、別名シュガーロードと呼ばれています。
 砂糖が通った道沿いには、甘いお菓子の文化も広がっていきました。
 時代が変わって近代産業が盛んになりしころ、その沿線に、一大消費地が出現し、それによってますますお菓子は発展していきます。

 長崎のカステラ、佐賀のまるぼうろ、筑豊のひよ子や千鳥饅頭などなど。

 そんなお菓子を取り巻く歴史や、生まれた町の背景、誕生のお話・・・などに、魅力を感じてはまり込んだ郷土菓子の世界。まるで仕事のように、頼まれもしないのに、ブログに書きつづけています。

 そんなブログを、たまたま、お菓子のことを検索していた、KBCアサデスの製作スタッフさんが見つけてくださいました。




 ちょうど、「べつばら」という企画で、お菓子とそのお菓子を紹介してくれる人を探していたそうです。「べつばら」というのは、ランチなどを食べた後にでも、ペロリと食べれるお菓子・・。ほらよく、言うじゃない。ケーキはべつばら・・って。それ・・です。私はべつばらを紹介する、ベツバラジェンヌ・・ということになるらしいのです。

 で、電話で急に何かありませんか?…・と尋ねられ(たくさん食べているのに、急に尋ねられると意外と思いつかないものですw)いくつか候補をあげて、その中から、長崎のホンダ洋菓子店の「スイスロール」を・・ということになりました。

 一応、郷土菓子研究家としてのデビューです。
 長崎・・というのもかなり感慨深い(私は長崎生まれです)

 ・・・というわけで、19日に長崎ロケ・・・に行ってきました。(その内容が本日、放映されました)




 みよ♪ この晴れ姿(大笑)
 場所は思案橋です。







 レポーターの三好さんと、やり取りをしているところ。
 郷土菓子研究をしているんだよ~~・という話。


 べつばら・・・ということなので、その前に、ほんばら・・をということで、長崎名物、トルコライスを「つる茶ん」で食べました。このお店はトルコライス発祥のお店。創業大正14年の老舗です。





 これを平らげた後に、いよいよ、べつばらのロケがスタート・・となりました。

 今回、お邪魔した、ホンダ洋菓子店(http://swiss-roll.com/)は、長崎の公会堂前のあたりにある、創業90年くらいになるお店です。(創業大正14年)
 今のオーナーは3代目。オーナーのお父様が初代、お兄さんが2代目だそうです。
 初代は、梅月堂(シースクリームで有名なお店)で修業をなさったそうで、その後、洋菓子のお店を開かれたそうです。
 長崎で初めての洋菓子店だったそうです。

 「スイスロール」は、2代目のお兄さんが考案。
 番組でも紹介されていましたが、こちらのスイスロールは、中にアップルパイが入っています。ロールケーキとアップルパイの二つの味が楽しめる優れもの。
 なぜ、このようなお菓子を作るようになったかというと、作った当時(昭和33年)は、アップルパイがまだメジャーではなかったので、それを広めるためということと、当時のアップルパイのなかには、スポンジ生地をいれてつくっていたのだけど、これを逆にして、スポンジ生地で巻いてみたらどうだろうか・・と思ったからだそうです。




 
  これが、スイスロールです。
  スイス・・とつけたのは、バタークリームを使っているので、バター→酪農→スイス・・と連想して名づけたとのことでした。バタークリームというと、私と同じくらいの年齢の人にとっては懐かしいかもね。私が小さいときには、デコレーションケーキにはバタークリームでした。当時はまだ、生クリームがなかった(あったかもしれないけれど、メジャーではなかったのです)
 バタークリームは、生クリームより日持ちがしますが、食べると重たい感じがします。(生クリームよりは)しかし、このスイスロールのバタークリームはとても上品で、甘い(といっても控えめ)中にほんのり塩味がしててとても美味。もたれないです。

  写真のロールケーキの大きさは小。
  他にも、 中ロールと大ロールがあります。
  お取り寄せできますよ。

  あと一切れサイズもあります。(これはお取り寄せは?ですが、長崎に行ったら試してみて)

 テレビでも言いましたが、きめの細かいスポンジを食べていくと、ほんのりと上品なクリームにあたり、それで口の中が甘くなったら、リンゴがやってきて、その酸味でリフレッシュ。また食べる・・・となり、飽きない味なのです。

 ロケの合間に、オーナーさんと奥様とお話がたくさんでき、長崎のおくんちのこととか、いろいろと聞きたかったことをお尋ねできて、私のお菓子の調査にとっても、とても有意義でした。ありがとうございました。長崎に行ったらまた、よらせていただきます。

 それにしても、ブログから駒・・・・といった出来事に、狂喜乱舞(気持ちの上で・・・)の様相になった一週間。ずっと書きつづけたことに対しての、ご褒美やね・・。

 今更ながら、継続は力・・・ということを、しみじみと感じた出来事でありました。


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 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 16:50Comments(2)スイーツ女子の日々

薩摩菓子~げたんは~

2014年03月17日

近所の人から、お菓子をいただいた。
 見てみたら、な~~んと、「げたんは」ではあ~りませんか
 このお菓子、博多阪急でみかけたんだけど、たくさん入っているので買うのをためらっていたところだったので、大喜びです。近所の人は、私が郷土菓子を調べていることは知りません。偶然なんです。シンクロだわ。。

 ・・というわけで、本日のテーマは「げたんは」です。

 げたんは・・・というのは、下駄の歯という意味。
 形が下駄の歯に似ている・・というわけ。

 このお菓子の原料は、小麦粉 卵 黒糖であります。
 
 このお菓子と同じ仲間で、「黒棒」 「黒ん棒」というお菓子があります。こちらの方が、福岡では一般的ね。スーパーなどのお菓子のコーナーで売ってます。材料は、げたんはと同じ。ちょっと黒棒の方が、ドライ(乾燥してる)。げたんは、しっとりしてます。半生みたいな感じです。

 これが、げたんは


 
 袋を開けると、黒糖の良い香りがします。
 袋の下の方に蜜がたまってました。下に行くほどしっとりしてました。
 黒棒だと、このような蜜はしっかり固めてあります。液体でみることはないわね。
 げたんはが半生なのはこれが原因?


 
 形は不等辺三角形



 
 断面をみると、黒棒と同じです。



 黒棒の由来は、南蛮菓子のビスコッティ、ビスコチョ・・・という説があるようで、日本風にしたものがこのような黒棒やげたんは・・とうことらしいです。

 黒棒は、九州の郷土菓子ですが、今では大量生産されてあちこちで見られるようになったそうです。げたんはは、鹿児島の郷土菓子として、主に物産展などで見られるようですよ。

 薩摩菓子は素朴ですが、ご当地ならではのものが多い気がします。今年はぜひ、現地で食べてみたい…と思っています。


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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:36Comments(0)番外編

唐津街道~ 唐人町 加美屋製菓~

2014年03月16日


唐人町商店街は江戸時代、唐津街道でした。唐津街道は、唐津藩、福岡藩の藩主が参勤交代で使った街道です。

 この商店街に、江戸時代から続いている古い菓子屋があります。
 それが、加美屋製菓です。看板に享保2年とかいてある。すごい。

 1日と15日は、はとポッポというお菓子が販売される・・・という話をネットで見つけたので行ってきました。

 はとポッポというのは、あんこの入っていない人形焼みたいなもの。
 カステラ生地の焼き菓子でした。

 お店の前にはのぼりがたち、お客さんがならんでいました。
 はとポッポを買いにきました~っていうと、お店の人が、「ごめんね~。いま、作っていて、お待たせして…」とおっしゃる。大丈夫です・・・。と並びました。並んでいる間も、作っているところが見れるから飽きないもんね~。私は職人さんが仕事をするのを見るのが大好きです。






 



 
 作っているところを見ていると簡単そうに見えるんだけど、型はとても重いらしい。
 梅が枝もちを作る型も重くて水平に保つのが意外と大変という話をきいたことがありましたが、これも同じみたいですね。





 
 毎月2回の販売です。1日と15日



 
 焼上がったばっかりのはとポッポ
 お菓子の袋は2種類
 小は350円 大は700円
 写真は小です。量り売りなのではとポッポがいくつ入っているのかは数えてみないと分からない。ざっと数えて20個以上はありましたよ。


 
 これが、はとポッポ

 焼きたては周りがカリッとしています。アツアツなので、しばらく袋の口をあけておいてね~といわれました。焼きたてを食べる幸せよ
 冷えるとカリっとしたところがなくなって全体にしっとりします。
 中にはあんこは入ってません。カステラ生地の焼菓子です。

 今日はお店がお忙しそうだったので、このお菓子のいわれとか、ほかのお菓子のことを聞くことができませんでした。日を改めて、お伺いしよう・・と思います。可愛いお饅頭もありましたしね。気になります。

 はとポッポは毎月1日と15日の販売です。食べたくなった人は、行ってみてね。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 00:09Comments(2)番外編

唐津街道~唐津 空振り 金花糖~

2014年03月06日

3月4日、唐津へいってきました。
 昨年、藤の花のころ、訪れていた唐津。その時は、途中、浜崎のけいらんや虹の松原の松原おこし、唐津市内では、ツルヤのカステラ、宮田や大原の松露饅頭などのお店にいきました。
 その時に、うっかり、行き損ねていたのが、「篠原三松堂」。 金花糖を作っているお店です。

 金花糖というのは、砂糖を煮溶かして、型にいれて作るお菓子。昔はあちこちでつくられていたそうですが、今では、北陸の新潟や金沢、それから北部九州の一部に残っているだけです。
佐賀では、寿賀台の飾りとして作られているようです。
そんな貴重なお菓子を作っているお店が、唐津にのこっているというわけです。

 ちょうど、唐津では「唐津のひいな遊び」が開催中(9日までですよ~~)
 金花糖もおひな様の時にはちょっと種類がふえるのかな?・・なんて期待しつつお店に向かいました。

 ところが・・・・・・・・・。
 「篠原三松堂」はお休み。が~~~~~~~~ん(((( ;°Д°))))
 店休日は、不定休だったので、そんなに気にしていなかったのだけど、その不定休の日にあたったようです。
 せっかく唐津まできたのに・・・・(このままじゃあ、帰れまへん゛(`ヘ´#))
 
 よろよろ(気持ちが・・)しながら、とりあえず予定していた、開花堂へ。気を落ち着けるためにお抹茶と和菓子をいただきました。開花堂はかわいいお菓子が多いお店で、前回来たときに目をつけていたんです。今日は是非、こちらでお菓子を食べようと目論んでいたのでした。







 かわいい、桃の形の和菓子をいただきました。

 お抹茶をいただきながら、店内にあったマップを眺めていたら、思い出したのです。おひなさまを展示をしてあるところでも、金花糖を販売している・・ということを。
 確か、お店と同じ町内だったはず。・・・

 というわけで、魚屋町までひきかえして、ギャラリー魚や町へむかいました。

 ギャラリーでは古いおひな様の展示のほかに、お菓子などの販売もしてありました。
 そして、お目当ての金花糖もありました。

 わ~~い。あった、あった・・と喜んでいたら、販売をしていた地元のおばさまたちが、面白そうによって来られて、金花糖の思い出話をしてくれました。

 で、その話をまとめると、
 篠原三松堂では、一年中、金花糖をつくっている。
 モチーフは鯛が多い。今回、桃が出てるけどこれは珍しいそうです。
 金花糖は、昔は、おひな様にお供えしたら、あとは割って食べていたこともあった。
 今は食べない。ずっと飾ってる。一年おいても全然変わらないとのこと。
 
 昔、小さいときに、金花糖の赤い(食紅)ところをなめて、唇があかくなるのを、お化粧したみたい・・と喜んで遊んでいた・・という思いでを語ってくださった方もいらっしゃいました。

 これが金花糖です。これは桃
 


 鯛は愛嬌があるでしょう。尾っぽをうつしていないのは、実は持って帰ってきたら折れてました。とほほ・・・。
 



 お話を伺っているうちに、ふと、昨年の3月に閉店した「大浦金盛堂」の若緑のことを聞いてみたくなっておたずねしたら、とても懐かしい、古いお菓子だ・・といわれて、このくらいの(手で指示してくれて)で、リンがかかったお菓子ということでした。お店がなくなったことはしられてないようでした。売っているとしたら、唐津くんちの曳山展示場かアルピノ・・・ということでしたので、念のため、確認にいきました。閉店から1年たってますから、あるはずはありませんが、念のためです。あきらめがつきました。さすがに・・。
 
 皆様、いろいろと教えてくださいまして、ありがとうございました。

 今回はお店がお休み・・ということで、空振り。おまけに鯛の尾っぽをへし折る・・というアクシデント付(TT) また唐津に来なさい・・ということでしょう。そういうことにしておきましょう。


 余談ですが、唐津の商店街の界隈をうろちょろして、思ったこと。
 唐津は城下町の名残が町名に残っている。とっても素敵。
 木綿町、魚屋町、呉服町、紺屋町・・・などなど。
 町名はその町の成り立ちや歴史を示しているし、地名は、その土地の成り立ちや歴史、時には注意警告を表してることもある(昔、大水が出たところには水に関係ある地名がついてたりするし)。
 今では、すっかり、○○1丁目・・みたいな感じで統一されているけれど、効率化は良いのかもしれないけれど、町の特徴を消すみたいな気がして味気ない。その点、唐津にはまだ残っているので、大事にして欲しいな~。

 
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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 22:55Comments(0)唐津街道

シュガーロード 八幡饅頭 その後

2014年03月01日

 昨日で、北九州の鶴屋が閉店。84年の歴史に幕をおろしました。
 昨日、フェイスブックで、午前中10時には八幡饅頭売り切れ・・と誰かが書いていたけれど、予想通りすごかったのね。

 今日、北九州にすんでいるcoloさんからメールがきて、昨日、八幡饅頭をゲットしたので、おすそ分けを送りますよ・・とのこと。ありがたく、気持ちだけ頂きました。お饅頭は先日、ちゃんとゲットして食べましたから。なんでも、ダイパーケーキのおもちゃのことでメールのやり取りをしたときに、私のメールが寂しそうだったので気になったのだそうで。(すみませんね~。お世話かけて。)

 寂しいのは寂しいけど・・・
 
 今日の西日本新聞の朝刊にも、小さな記事が載ってました。
 昨日は午前中に6000個、午後に追加して6000個を完売したそうです。
 最後は、往時の賑わい・・を思わせるくらいにぎわったようで、よかったです。

 coloさんもいっていたのだけど、八幡饅頭がこんなに美味しいとは・・って思ったのだそう。私だけじゃなかったんだ。そう、いつもよりも、美味しかった。出来立てだったからかも。ホント、いつもはあの白餡が喉に詰まる・・・っていわれてたお饅頭だったけど(私はそれでも好きだったけど)出来立ては白餡がまだしっとりしていて、美味しかった。これぞ、かすてら饅頭♪(八幡饅頭や千鳥饅頭みたいな焼き饅頭の総称)

 古い和菓子屋が閉店するのは、諸事情があるのだろうから、仕方のないこと。
 でもね。その地域を象徴するようなお菓子はやっぱり残って欲しい。
 博多の松屋菓子舗の鶏卵素麺は、今では鹿児島の蒸気屋が作っているし、大牟田の草木饅頭の江口商店は熊本のお菓子の香梅が作っている。そりゃ~、もともとのお店に作ってもらいたいけど、それが出来ないときは、消えるよりマシなんじゃないかなあ・・なんて思ってる。八幡饅頭はどこか残してくれるお菓子メーカーさんはないのでしょうかね~。いっそのこと、千鳥屋が引き取ってくれたら・・・なんてことも思ったりして(もともとは兄弟なんだし)、そんな妄想を、饅頭を食べながら抱いてしまうのであります。

 近頃、八幡饅頭のことばかりかいているな~~。私・・・。感傷的になりすぎやん。(反省)
 それでも、お菓子の調べ物は続く・・・。めげずに、調べるど、食べるど・・・・。


 八幡饅頭のことで以前UPしたものはこちらから
 








 




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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 19:16Comments(2)番外編