スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

シュガーロード ~原田~

2013年01月29日

 原田(はるだ)は、二日市より駅二つほど南下したところにあります。この駅は、その昔、筑豊本線の基点でもありました。鹿児島本線との分岐点です。今では、福北ゆたか線ができたせいで、原田~桂川間を走る列車の本数は少なくなりました。

 さて、江戸時代、この原田は宿場町でした。(筑前六宿の一つ。)
 そして、この宿場で名物だったお菓子が、【はらふと餅】なのです。原田の近くには三国坂という険しい坂があって、この坂を上り下りするために腹ごしらえをしておく必要があったので、このお菓子が名物になったといわれています。

 原田から山家をすぎたら、長崎街道最大の難所、冷水峠もありますからね。腹ごしらえは必要だったでしょう。

 【はらふと餅】は、丸い形の、中に塩餡(今は普通のアンコです)が入った薄皮のお餅のことです。手のひらくらいの大きさで一つ食べるとおなかが一杯になったそうです。それで、大腹餅ともいわれて、これが、大福餅の語源になったとも言われています。

 江戸時代には宿場町として栄えた原田ですが、明治4年には宿場が廃止になり、交通網も整備され、人々の生活も大きく変わります。そんな中で【はらふと餅】も姿を消していきました。

 その【はらふと餅】を復刻して販売しているお店が、朝倉街道にありました。
 筑紫野松庵です。(℡092-925-0135)

 大きさは昔のより小さくなっていますが、こんなお餅だったのでしょう。
 大きさは小さいですが、手に取るとちょっとずっしり。あんこがしっかりつまっている大福餅でした。
 
 店頭での写真。数に限りがあるそうですよ。
 
 

 筑紫野松庵 お店を正面から。
 
 

 中身は丸い大福餅
 



*****************************
さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
******************************
  


Posted by はなはな at 23:03Comments(0)原田