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シュガーロード~鳥栖~

2013年01月28日

 2012年12月11日にシュガーロード(長崎街道)の取材で佐賀県を歩いてきました
 前回までの内容はこちらで
 シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)~ 
 シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)その2~ 
 シュガーロードのお菓子たち~田代(佐賀県)その3~
 田代から鳥栖まではJRで一駅。ちょうど良い電車がなかったので、歩いて移動。
 鳥栖は宿場町ではありませんが、長崎街道沿いの町であります。


 鳥栖は今も昔も交通の要所であります。
 JRは鳥栖で鹿児島本線と長崎本線の分岐点ですし、高速道路はインターチェンジがあります。 九州新幹線も通っていますので、人や物が集まってくる地のり・・であります。

 鳥栖駅の近くに、お目当てのお菓子屋さん「水田屋」があります。創業は明治22年、120年あまり営業をされている老舗です。

 この水田屋の最中がかわいらしくて・・・。
 「ふくらすずめ最中」と「子すずめ最中」です。
 


















水田屋のHPにこの最中のいわれがかいてありました。
 (以下、HPより抜粋です。)

鳥栖のスズメは黒い」。 そんな時代があったという。

鹿児島本線と長崎線が交差する「鉄道の街」。
蒸気機関車がはき出す煙で、すすけた駅舎をねぐらとしたためだそうだ。
分割民営化まで国鉄の一大拠点だった鳥栖市は労働者の街だ。
そこで働く人たちの日々の疲れを癒したのが、この銘菓。
羽を精一杯ふくらませ、冬の寒さに耐えるスズメの姿を写して最中とした。

ただし、黒いのは中の餡だけだが。

「誕生したのは戦後間もなく。最中の種(皮)はお米が原料なのでスズメがよかろう。そんな発想です」
と、創業一八八九年の製造元「水田屋」の三代目、水田哲夫さん(64)。

やや大きめのサイズ、たっぷり入った餡。
今どきのスマートなお菓子と比べると、素朴極まりないが、今でも店の看板商品だ。


 たべてみたら、餡は黒餡(つぶあん)でした。
 お豆よりもハチミツなどの味が強い感じでした。でも美味しかったですよ。

 バタバタと水田屋をあとにして、いよいよ羊羹ワールド(と勝手に呼んでますww)小城に向かいます。

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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:15Comments(0)鳥栖