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シュガーロード~飯塚 黒ダイヤ補足~

2013年01月27日

 近頃はすっかり長崎街道(シュガーロード)にとりつかれておりまして、会う人、会う人に、《今、こんな事やってます》的な話をしております。

 お菓子の話というのは、やはり皆さん、興味津々。おまけに自分が住んでいるエリアに昔からあるお菓子に、なぜだかわからないけれど、夢中になっている、へんなヤツがいる・・というのは、おもしろいらしく、いろいろと知っていることを教えてくださるので、おしゃべりも無駄ではないという事かもしれない・・などと思っております。

 そんなおしゃべりを昨日、Yさんにしていたら、お友達が田川にいるのできいておきます・・といってくれて、今日、その報告メールが早速届きました。

 田川で有名なのは大月堂の田川饅頭と黒ダイヤとある。
 あれ???????黒ダイヤは亀屋延永の登録商標では??
 なんで大月堂??

 それから、北九州の人から、黒ダイヤは田川のお菓子・・と言う話も聞きました。

 そういえば、Tちゃんが、黒ダイヤは一度販売されなくなった時期があったんだけど、また復活していてびっくりした・・という話をしていたっけ・・・。

 というわけで、田川と大月堂と亀屋延永の関係を調べる事に・・。
 幸いなことにすぐに判明しました。

 黒ダイヤは田川生まれのお菓子でした。
 昭和21年からしばらくは、筑豊エリアでは食料特別配給があっていて、砂糖(黒糖)が多く配給されていたそうです。その砂糖を全部使い切ることができなかったので、三井鉱山の役員さんが、市内の和菓子屋 大月堂に相談したのがきっかけらしいです。考案したのが、大月堂の経営者 延永 元氏だったそうです。
 高度成長期に大月堂は大層繁盛して《亀屋延永》という屋号で博多に進出しましたが、炭鉱の閉山、お菓子会社の競争の激化・・・などで平成7年に倒産。

 しかし、田川のシンボル 黒ダイヤをのこすべく、地元のお菓子屋が中心になって、商標保存を申請。継承に成功。 会社も、亀屋延永として復興しているそうです。

 ざっと抜粋して書いてみました。
 なるほど、コレでつじつまがあいます。
 黒ダイヤは田川生まれ。大月堂と亀屋延永は同じ会社だったこと。
 倒産していたこと(Tちゃんが言っていた無くなった時期はこのことか?)
 今は、復興された会社が黒ダイヤの製造販売をしていること。
 その会社の本店(飯塚にある)にお邪魔した・・ということですね。

 あ~すっきりした。それにしても、よくぞ、残してくれました・・って感じです。
 

 










くしくも、今朝の西日本新聞の朝刊に、川端の松屋菓子舗が自己破産の準備に入った・・という記事がのってました。鶏卵素麺の松屋です。福岡で一番古い老舗の和菓子屋さんが、消えてしまいます。鶏卵素麺もお菓子の文化を語る上では貴重なお菓子。なんとか、継承することはできないのでしょうか。
  


Posted by はなはな at 22:12Comments(0)飯塚

シュガーロード~飯塚 その3~

2013年01月22日

予定通り、お店訪問、お菓子をゲット・・・サクサクと進んだので、後は、お菓子が発達した背景を探るべく資料館などを訪問。

●飯塚市歴史資料館で《長崎街道展 ~内野宿と飯塚宿》があっていました。



展示は小倉から長崎までの写真展示 などなど。
特に、飯塚と内野を中心に・・・。
内野宿は江戸時代の面影が残る町並みで、町おこしをしているみたい。
名物ないかな~っておもっているところ。
内野宿から冷水峠をこえたら、山家だから、筑紫野にもちかいね~。
江戸時代、長崎についたベトナムの象さんがこの峠を越えて小倉まで歩き・・・江戸にむかった・・・って話があるけれど、そう思うと、ちょっと感慨深いですね~。

●旧伊藤伝右衛門邸


もう一つ、行きたかった場所はここ。
飯塚のお菓子が発達したのは、炭鉱の発展あってのこと。
筑豊には貝島、麻生、安川、伊藤、堀 ・・・5大炭鉱王なる人たちがいらっしゃいました。
後に、麻生は、今の麻生セメントに・・ 麻生太郎さんのご実家でもあります。
安川は、安川電機となりました。

伊藤は、あの《白蓮事件》で有名。姦通罪なるものがあった時代のスキャンダルです。
柳原白蓮が10年ほど暮らした邸宅がこの飯塚の邸宅なのです。
白蓮のことを詳しく知りたい方は、林真理子の《白蓮れんれん》を読んでみて。内容や時代背景がよ~くわかります。

旧伊藤伝右衛門邸は、思ってた通り広大な邸宅で、敷地面積2300坪、お庭もステキでした。建築フェチとしては、照明器具に注目、和洋折衷で可愛らしいものが多かったです。

白蓮の居室といわれているのが2階のお部屋。小説を読んでいた影響もあるのですが、東京から、公家のお姫様(大正天皇のいとこになりますからね~)がこんな九州の田舎町、それも気の荒い男たちがたくさんいるエリアに、愛のない結婚で嫁いできたわけですから、それはそれは、寂しかっただろう・・と思いましたね。なんともいえない寂寥感というのをね~。なんて思いをはせたりいたしました。

この建物は飯塚市の有形文化財となっています。
伊藤伝右衛門さん、良いものを郷土に残してくださった。今や飯塚の観光名所です。
当時の炭鉱王がいかにすごかったか・・偲ばれる建物です。
炭鉱の繁栄が、お菓子の文化の花を大きく開かせる事になったわけで、背景はちゃんとみておかないとね。

帰りに建物の横で、四宮の成金饅頭が売られてました。売店では黒ダイヤ、白ダイヤなども販売されていましたよ。

今回の飯塚はたくさんのお菓子との出会い、それからいつも傍にあるお菓子の本店を尋ねる旅でした。
長崎街道の途中、筑豊からはじめた、探訪ですが、次回は振り出し(起点)の小倉を調べたいな~~って思っております。長崎街道はまだまだ始まったばかり・・・。
  


Posted by はなはな at 20:39Comments(0)飯塚

シュガーロード ~飯塚 その2~

2013年01月22日

亀屋延永を後にした私たちが次に向かったのは、飯塚の御三家スイーツ屋さん。
さかえ屋・千鳥屋本家・ひよこ・・・の3軒。

●さかえ屋 本店





看板の裏には・・・シュガーロードの解説が・・



お店の外観




飯塚では近頃、ブラックスイーツが開発されています。
黒いモンブラン、黒いロールケーキなどなど。
さかえ屋にもありましたよ。
竹炭エクレア
 

黒いきんつばもありましたが、バラ売りしたなかったので、購入を断念。


さかえ屋で10時のおやつを食べた私たち 次は千鳥屋をめざします。

●千鳥屋本家
 千鳥屋はもともと佐賀で松月堂というお店で営業していたのですが、炭鉱の繁栄に目をつけて、飯塚に支店を出したのが始まり。後、松月堂の名前を千鳥屋にし、飯塚を本店としたそうです。千鳥饅頭は、丸ぼうろの中に餡を入れてみたら・・という発想で生まれたお饅頭。佐賀で生まれたお店ならではの発想です。


千鳥屋本家 外観


 千鳥屋のお菓子は千鳥饅頭をはじめ、チロリアンなど昔からあるおなじみのお菓子。ふと、エルベのドイツケーキが食べたくなって、そういえば見かけないな~って思ってますが、まだあるのでしょうかね?ちなみに千鳥屋は、のれんわけで、グループ会社が幾つかあって、ドイツケーキを作っているのは別の会社のようでした。

●ひよ子本舗吉野堂 
 可愛らしいひよこも飯塚出身。今ではすっかり全国区。東京からお土産に持ってくる人もいるほど。(東京の人は東京のお菓子と思っているみたいですが・・)昭和39年に東京に進出。新幹線とともに全国に・・だったらしい。そのひよこが今年の12月で創生100年になるそうです。100歳だよ~~すごいな~~。
 そんなことを思いながら、発生の地のお店でお茶をいただいておりました。

 
お店にあったひよこの型。とっても可愛いので写真に。



丸箱がとっても新鮮♪昔からあるよね~



おなじみのひよこも今では季節ごとに、「季ひよこ」も販売されて、ちょっとにぎやかな品揃え。桜ひよこ 栗ひよこ 茶ひよこ  どれも福岡限定
東京限定で塩ひよこ・・っていうのもありましたっけ。
私が懐かしいとおもったのはピヨピヨもなか。双子のひよこのもなか。パッケージがかわってましたが、健在でした。
それにしてもお菓子の種類が増えてます。今風なものがたくさん。
で、昔あった「博多小町」がない・・ない・・・。なくなったのか・・。ちょっと寂しい。

 私がひよ子本舗吉野堂のお菓子に詳しいのは、大学時代に南区向野にあった工場で夏休みにアルバイトをしていたからです。大学でピアノ室のピアノを借りて練習していたので、そのレンタル料を稼ぐ為でした。そのころは、ひよこ、もなか、博多の里、博多小町がメインだったような・・。今ではその工場のところには立派なビルが建ってます。時代の変遷を感じますね~~。

 
 飯塚のひよ子発生の地

 



《余談》
ひよ子のCM
 昔のひよ子のCMの歌を断片的に思い出して調べていたら、東京ひよこのCMがでてきました。なるほど、誤解されるはず。ひよ子を持って故郷へかえろう・・だって。コレが九州に帰る人だったら、「な~~んばいいよっとね。。ひよこは福岡のお菓子たい。。」ってことになるのですが、他のエリアではわからないわけで、東京のお菓子・・と思われちゃったってわけですな・・と思った次第。ひよ子は飯塚のお菓子です。(声を大にして言いたい)
 おもいだしかけているCMは古すぎて見つからず「ひよこ~ひよこ~・・ちゃららん・・ひよこ~~」みたいな感じの歌でした。終わりがけに、ひよこは鉄道弘済会で販売してます。。みたいなことをいってた。
 その代わり、なつかしいCM 「ともだ ひよこ・・」って言うのを見つけた、ありましたね~そんなのが。なつかしい。。


  


Posted by はなはな at 20:13Comments(0)飯塚

シュガーロード ~飯塚~

2013年01月22日

 先月よりHさんと一緒に長崎街道(シュガーロード)沿いのお菓子の文化について調べています。
 偶然、今年は長崎街道開通400年 にあたる年らしく、あちらこちらで、シュガーロードにちなんだイベントが開催されています。おかげで、いろいろな資料もいつもより集めやすいかも・・と、小さなラッキーに喜んでいるところです。

ちょっとおさらい
~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の港に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。


 さて、昨日は飯塚へ行ってきました。
 飯塚は筑豊炭田で栄えた町です。今では全国区・・となっているお菓子が数多く生まれた町でもあります。
 今回の目的は、亀屋延永の「黒ダイヤ」「白ダイヤ」、さかえ屋、千鳥屋本家、ひよこの本店めぐり。それから、飯塚市歴史資料館で開催中の「長崎街道展」をみること。炭鉱王のひとり、伊藤伝右衛門の旧宅を見学・・・であります。

 今回は、案内人がいないので、自力で・・(といっても、もっぱら地図をみていたのはHさんでしたけどね・・笑)
 朝、9時から亀屋延永が開いているということなので、はりきって9時には飯塚到着 ワクワクな一日になりそうな予感。晴れ女が二人なので、もちろんお天気にも恵まれました。

 ●亀屋延永
 今回の最大の目的はこのお店の「黒ダイヤ」「白ダイヤ」の購入。このお菓子は羊羹です。黒ダイヤは石炭 白ダイヤはセメントの原料の石灰石のことだそうです。
 その昔、炭鉱が繁栄していたころ、炭鉱夫達は重労働なので、カロリーの高い、甘いお菓子を欲したそうです。筑豊でお菓子が発達したのはそんな背景がありました。

 お店、外観
 



 











看板
 



 











黒ダイヤ 白ダイヤ
 




 黒ダイヤ 白ダイヤのパッケージはとってもモダンです。一つずつの箱入りもありますし、白黒箱入りもあります。購入したのは一番小さいものですが、大きさは3種類ありました。お
祝いに使いたいかも・・・というデザインの良さです。

 ちなみに黒ダイヤ 白ダイヤは亀屋延永の登録商標です。田川の道の駅などで見かけるのは、本物ではないです。似たような名前で出回っているようではありますが・・。田川にも支店がありますので本物にこだわる方はそちらへどうぞ。

 
もう一つ、気になったお菓子 「田川まん十」















歴史は黒ダイヤ・白ダイヤより古いお饅頭。
白餡、まんじゅうの皮はちょっと厚め。千鳥饅頭よりしっとりしている。
それにしても、北部九州は白餡のお饅頭が多い。
なぜだろう・・と思う。おいおい調べていきましょう。
 
《余談》
私の思い出の中の「亀屋延永」
 私が小学5年生くらいの頃、12月の初めに母とルノアールの絵を見に行った帰りに、立ち寄ったのが、亀屋延永でした。私はおしるこ、母はおぜんざいを注文。見てきたルノアールの絵のことを話していた記憶がありました。とても美味しかった事を覚えています。場所は今では天神コアがあるところ、天神コアのビルが建つ前は西鉄街といわれていた商店街で、おたふくわたの看板がかかっていたような記憶があります。この西鉄街の中にはお気に入りのお好み焼き屋さんもありました。中にあった時計店は今でも天神コアの中で営業されているようです。古い記憶で断片的になってますが、なぜかとても印象深く覚えてました。今回、お店の方にその話をいたしましたところ、昔は福岡のあちこちに支店があったとのこと。私の思い出の和菓子屋さんです。

  


Posted by はなはな at 17:13Comments(0)飯塚