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シュガーロード ~大村寿司をみかけたので・・・~

2013年12月31日

 今日は大晦日。歳の市の売り出しでごったがえしていた百貨店で「大村寿司」をみつけました。

 シュガーロード(長崎街道)の周辺にひろがる砂糖の文化を調べていると、必ず出てくる長崎県大村市の郷土料理です。

 今回はお菓子ではありませんが、この大村寿司のことを書くことにいたしましょう。

 大村寿司の起こりは室町時代のようです。
 1474年大村領主 大村純伊は、島原の有馬氏、諫早の西郷氏の連合軍に敗れ一時領地をのがれますが、1480年に大村領を回復します。その時に、領主の帰還を喜んだ領民達がおもてなしをしようとしたが、急なことで用意ができていなかったので、とりあえず、もろぶたに炊きたてのご飯をひろげ、その上に魚の切り身や野菜のみじん切りなどをひろげ、軽くおさえたものを領主や兵にふるまったというのです。それを、兵士たちが脇差で角切りにして食した・・というのが、大村寿司のはじまりといわれています。

 大村ではお祝い事が有るとこのお寿司をつくるのだそうです。おめでたい食べ物なんですね~。

 砂糖・・とのかかわりは、寿司飯の味付け、それから具の味付けに砂糖を使うのだそうです。 そう、ちょっと甘めのお寿司です。
 
 この大村寿司が最初から甘かったとは考えにくいのですが(室町時代には相当貴重品だったので庶民の口には入らなかったはずですから)砂糖の流通量がふえていくにつれ、庶民にまで広がり甘くなった・・と思われます。



 
 錦糸卵がきれいですね~。
 凄く甘いのか・・と思っていたら、そんなこともなく、ほんのりとした甘さ。
 九州は甘めの味付けだから、よその土地の人が食べたら甘く感じるかもね~。
 (私の家も味付けは甘めですから、甘さを感じにくいのかもしれません)

 先にも書きましたが、砂糖は昔は貴重品で、贅沢品でした。それを使うお料理というのは、最高のおもてなしを表していたでしょうし、富の象徴でもあるわけですから、こんなに豊かですよ~ということでもあったのでしょう。

 昔は、「殿様寿司」と呼ばれていた大村寿司。
 殿様寿司・・といえば、岩国に伝わる岩国寿司を思い出します。
 見た目は同じように錦糸卵がたくさんのっている押し寿司です。
 味は昔、比較はできないですけどね。(忘れてしまっておりまして・・)

 郷土菓子や郷土料理は、その土地の風土に育まれた歴史をもっているものですから、その土地で実際に食べるのが一番。来年は、大村に出かけていって食べてこようかな。その土地の空気の中で食べると本当の味が感じられるっていいますから。そして、いつから甘くなったのか・・を現地で尋ねてこようと思います。



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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 22:28Comments(0)番外編

 シュガーロード ~平戸の「つじうら煎餅」

2013年12月29日

 年末ですね。今年も後数日かと思うと名残おしいような、早く新年になってほしいような。。

 郷土菓子の中にはこの時期にしか出回らないものがあります。今日はそんなお菓子の一つをご紹介いたしましょう。

 ところで、フォーチュンクッキーというお菓子をご存知でしょうか?
 外国のチャイナタウンやチャイナレストランでみかけるお菓子です。日本でも中華街辺りにありそうな気がします。半月型の焼き菓子で、中に格言や聖書の言葉なんかが書いてある紙片が入っているお菓子です。このお菓子のルーツが実は日本のお菓子・・・らしいのです。

 そのお菓子は「辻占菓子」とよばれるもの。ちょっと意外というか、驚きです。その「辻占菓子」のひとつが、今でも平戸で作られています。「つじうら」といいます。

 そのお菓子の話の前に、辻占(つじうら)の説明を・・・。
 辻占は、日本に古くから伝わる占いです。道の辻にたち、すれ違う人の言葉に耳をすませ、これを神示とするものです。こうした辻占の風習が受けつがれる間に、未来や兆しを暗示するような言葉をかいたものを辻占と呼ぶようになりました。そういった紙片をお菓子と一緒に袋に入れて販売したものが辻占菓子と呼ばれるものです。
 辻占菓子の歴史は古く江戸時代後期くらいに登場。昭和初期くらいまで受け継がれていました。今では、だんだん少なくなって、北陸や京都の一部で辻占煎餅がつくられています。

 九州では、平戸と佐世保に残っている・・との情報を得たので、年末になるのを楽しみにまっていました。辻占菓子は、新年に使われるお菓子なので、作られるのは11月から12月にかけてだからです。

 平戸で作っているお店は「江代商店」です。
 今回、11月の終わりごろに電話をして、送っていただくようにお願いしていました。江代商店さん曰く、煎餅に占いを入れるので手間がかかる。注文から10日ほどかかる・・とのこと。送られてくる日をワクワクしながら待っていました。
 
 届いた「つじうら」


 
 
 このつじうらが届いた数日後、シュガーロードモニターツアーに参加することになったので、お支払いをかねて、お店を訪ねてみよう(幸いなことに、ツアーで唯一平戸は自由な時間があったので)そして、このつじうら煎餅がどんな風につかわれていたのか(いるのか・・)聞いてみよう・・・と思ったのでした。まさか今年中に平戸にいけるとは思っていなかったので、これはとてもラッキーなことでした。

 シュガーロードモニターツアーの平戸のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆

江代商店では、福岡から実際にお支払いに来た・・というのでびっくりされました。(お支払いの為にいったわけではありませんが・・・笑)そして、奥様と、おばあ様(なのかな?)がいろいろと教えてくださいました。

 年の瀬になると平戸ではこの「つじうら」の他に寒菊、へそ菓子、黒棒、一口香、などを一緒に買い求めるそうです。そして、三宝にこれらのお菓子と昆布や橙などをのせて、おてがけの準備をし、元旦の朝に、家族そろって福茶とつじうらをいただくのだそうです。

 そして、昔はこれらのお菓子を紙につつんで、子供たちにお年玉の代わりとして渡していたそうです。今では、お年玉として使われることはなくなったそうですが、神様へのお供えとして使われているそうです。

 お菓子の内容はそれぞれの家によって微妙に違っていて、子供の頃に親戚の家などでもらったりした時に、ここの家のは豪華・・とか、貰ったお年玉を見て子供心に思った・・というほほえましいお話を伺いました。知らないはずのお正月の風景なのに、お話を伺っていると、生き生きとその様子が思い浮かびます。いいな~・・・そんなお年玉。

 つじうらと共にお供えするお菓子。砂糖せんというのは、寒菊です。
 他にはかすてらぼうろ(丸ぼうろ) みかん(甘い軽焼きのようなお菓子) 一口香 ヘソ菓子
 
 
  
  ヘソ菓子はめずらしいですね。平戸や長崎独特のお菓子でしょうか。福岡では見かけないお菓子です。出回るのは、やはり年末だそうです。平戸ではこの時期、スーパーでも売っているらしいです。
  
  おばあ様のお話によると、以前は佐世保でも作っているお店があったが、今では作るのをやめてしまったとのこと。平戸でも、作っているのは江代商店だけなのだそうです。

  ・・・というわけで、今回はお鏡餅のほかに、我が家でも平戸風に、お菓子をお供えしようと思います。つじうらの中には、おみくじがはいっていますので、そのおみくじのことは、年が明けてからまたブログに書きますね。お楽しみに~~~

 お菓子の中身も年明けにお披露目しますね。

 それにしても、神様のお供えにもお菓子がつかわれるとは・・・。さすが、平戸・・・と思わずにはいられません。
 
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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 20:34Comments(0)番外編

シュガーロード モニターツアーに参加♪~長崎~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 先に書いた平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆
 諫早の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆ 
 諫早の眼鏡橋の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 最後の訪問地は長崎です。
 長崎では出島の見学と和菓子作りの体験をしました。

 出島は、日本が鎖国している時代に唯一開かれていた貿易の拠点でした。
 扇の形をした人工の島です。
 江戸時代、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止する為に作られました。住民と隔てるためです。ポルトガル人の来航が禁止されると、平戸のオランダ商館が出島に移されました。

 シュガーロードを語るとき、この出島は絶対にはずせない場所です。この出島に砂糖が届いてここから、全国に・・・・。まあいわば、すごろくの振り出しみたいな場所ですわね。

 そんな、こんなの出島の話を学芸員さんがしてくださいました。
 
 

 さすがに説明付きだと理解も早いし、真剣に聞きます。

 最初はカピタン部屋に立ち寄りました。この部屋は商館長の住まいとお客をもてなす場だったようです。晩餐会のようなしつらえが再現されてました。

 
 
 壁紙が独特ですね~。



奥から一番蔵 二番蔵。 一番蔵は主に砂糖を収蔵していました



 
三番蔵も砂糖の収蔵につかわれていました。


シュガーロードに関係の有るお菓子の数々




砂糖



 一部写真でご紹介しましたが、このほかにもいろいろと展示物があって、興味深く拝見しました。

 出島は、今、どんどん復元されています。
 島の位置はそのまま、江戸時代の建物は復元。明治時代の建物は当時のオリジナルのものを修復しているそうです。
 長期復元計画によると、四方に水面を確保して19世紀はじめの扇形の島に完全復元する予定だそうです。これも楽しみですね。


 さて、出島をざっと見学したら、旧長崎内外クラブに場所をうつし、そこで和菓子作り体験をしました。この旧長崎内外クラブの建物は、なんと明治時代の建物で、昔から今の場所に有る英国式洋風建築です。今はレストランとなっています。

 和菓子作りを教えてくださったのは、長崎の代表的なお菓子屋のご主人たち。
 ご紹介しますと、御菓子處双葉屋 千寿庵長崎屋 岩永梅寿軒です。
 とっても贅沢な講師陣です。

 これが和菓子の材料。練りきりとアンコ

 

 準備中です



 これが今回作る練りきりのお菓子。菊と椿です。


 お手本を見せてくださってその通りにするのですが、見ているのと実際にやってみるのは大違い。簡単そうに見えたのにね。
 みんなで一斉に練りきりをクルクルとお団子を作るように手のひらで転がしている様は、きっと傍で見ていたら面白い光景だったことでしょう。
 上手に出来た人も、四苦八苦した人も、みんなニコニコしていたのが印象的でした。お菓子作りは楽しい~~~・・・そんな雰囲気が満ち満ちていました。

 で、こんな感じに出来上がり・・・
 上の3つはお土産にいただいた双葉屋さんの【ふるーつ大福】
 下の二つが私が作ったものです。形は多少おかしくてもケースに入れたら何とか様になりました。
 

 駆け足で、平戸、諫早、長崎をめぐった今回の日帰りツアー。
 シュガーロードの中でも、このエリアのお菓子は特に種類も多く華やかです。機会をつくって、また訪れたい・・そんな気持ちにさせてくれます。
 お菓子の旅は美味しい&楽しい。お菓子の背景を知るともっと味わいが増すようなきがします。それは自分のいる、この九州を知ることにも繋がるような、そんな気がします。

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

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Posted by はなはな at 23:52Comments(0)番外編

シュガーロード モニターツアーに参加 ~諫早2~

2013年12月27日

2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 先に書いた平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆
 諫早の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 諫早の眼鏡橋は、諫早市高城町の諫早公園の池に架かっています。
 石造二連アーチ橋。二連のアーチが水面にうつる姿が眼鏡橋といわれるゆえんです。

 眼鏡橋といえば、長崎の眼鏡橋がおなじみ。私は小さい時に長崎に住んでいたので、眼鏡橋を背景に写った写真が数枚あります。そのせいか、無意識に可愛らしい感じの小さな橋を想像していました。

 ところが、諫早の眼鏡橋は、全然想像していたのとは違っていて、堂々とした石のアーチ橋は、周りをちょっと威圧する感じでした。

 この橋は1839年(天保10年)に現在地の近くを流れる本明川に架けられた橋です。諫早は洪水が多かったらしく、丈夫で洪水でも流されない橋を目指したそうです。その願いどおり、この橋は一度も流された事がなかったそうです。

 ところが、1957年(昭和32年)の諫早大水害の時に、眼鏡橋は流されなかったのですが、この橋がせき止めた流木や瓦礫が水の流れをかえ被害を拡大した・・という指摘がなされ、水害後の復興策では、川幅の拡張とともに橋を爆破解体する案もでたとか。

 当時の市長らが諫早のシンボルで、文化財で有るこの橋の保存を強調。さまざまな働きかけにより翌年の1958年(昭和33年)に日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定され、その後、諫早公園に移設されました。

 この橋はもちろん実際にわたることが出来ます。
 渡ると不思議な事に、行ったりきたりしたくなります。
 まだ、かすかに紅葉が残っていましたので、ちょっと風情の有る情景を見ることが出来ました。

 諫早に行ったときは、ぜひ諫早公園に行ってみてください。
 石造りのアーチ橋の美しい姿は、古の石工の技術の素晴らしさと、人々の願いを思いおこさせます。



 


 そのほか、諫早の名物で知らなかった事・・・。うなぎが名物なんですって。
 江戸時代から続く名物らしい・・・。次回はうなぎを食したい・・・・と思いながら、ツアーは一路長崎へ・・・と向かいましたとさw




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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 23:10Comments(0)

シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~諫早~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 平戸を後にして、次に訪れたのは【諫早】です。

 地図をみると、長崎県のくびれた部分に位置する、諫早。
 有明海、大村湾、橘湾と3つの海に囲まれています。長崎街道や島原街道も通り、交通の要所として栄えたであろう・・と思わせます。今でも、JR九州の長崎本線・大村線と島原鉄道がとおる交通要所です。砂糖も水、陸両方からはいってきたのかもしれませんね。

 歴史的には、戦国時代、龍造寺家晴がおさめ、初代、諫早家をなのり、その後、佐賀藩諫早領となりました。

 諫早のお菓子・・・というと、真っ先に思いつくのは、諫早おこし・・です。
 
 おこしは、歴史的には古いお菓子で、平安時代に唐菓子の一種として日本につたわったといわれています。
 東京の雷おこしや大阪の粟おこしを思い出す方も多いのでは・・。実は、シュガーロードのまわりでも良く見かける伝統的なお菓子です。例えば、鳥栖(佐賀県)の鳥栖おこし。佐賀の松原という地名が残るところには、昔、松原おこしがありました(今はありません)。松原おこし・・というと、唐津(佐賀県)に有名な松原おこしがあります。 久留米(福岡県)にも阿わやおこしがありますね。(シュガーロード沿いではありませんが)・・といった具合にです。

 おこし・・が興す・・に通じるということで、お家の繁栄を願った縁起菓子でもあるようです。

 さて、話を諫早おこしにもどしましょう。
 諫早で訪れたのは、おこしの老舗「菓秀苑 森長」の工場です。こちらで、おこし作りを見学、試食。それから、半熟 生カステラの試食をさせていただきました。
 
 


 菓秀苑 森長は、創業が1793年(寛政5年)。220年の歴史を持つお店です。
 最初の180年はおこしだけを販売していましたが、その後、カステラなどのいろいろなお菓子も作るようになった・・(代表取締役社長 森淳氏談)そうです。

 工場では、会長の森長之氏からお話をうかがいました。ガラス越しにおこしを作っているところも見学しましたよ。とても美味しそうな、よい匂いが漂ってまして、出来上がったばかりの、ピーナツおこしをいただきながらの見学でした。





 おこしの材料は、米・水飴・黒砂糖(黒おこしの場合)
 諫早は、長崎県で一番の米の産地だそうで、昔から農家がおこしを作っていたという。(森長創業以前から)
 「黒おこしが出来るまで」という手書きの可愛らしい解説レジュメ(これがものすごくわかりやすい解説でした♪)、ざっと作り方を書いてみると、白米を蒸して乾燥させ熱を加えて膨らましたもの(乾飯)がおこしのもとになるらしい。これに水飴と黒砂糖を加えて拡販、その後、枠に入れて手でのばし、長方形に機械でカットしたら出来上がり・・らしい。乾飯は、牛乳をかけて食べてもおいしいとのこと。(ちょっと気になりました)

 久しぶりに食べたおこしは、甘く香ばしく懐かしい味でした。小さい時によく食べたことをおもいだしました。諫早おこしは、雷おこしや粟おこしに比べてやわらかめだそうです。お土産に黒おこしを買ったのですが、これがまた、黒砂糖の味と独特な味わいがよく、やめられない、止まらない・・・状態に。もっとたくさん買ってくればよかった・・・

 おこしは古い伝統のあるお菓子でありますが、古臭いお菓子ではありません。今ではこんなにかわいいパッケージのおこしが・・・。puchi OKOC(ぷちおこしー)は、ちょい土産にいいですね~。



 工場のとなりには、あら・・・めずらしい。
 福岡の石村萬成堂と森長のダブルネームのお店がありました。
 両方のお店のお菓子が買えるんです。
 そちらに場所を移して、お楽しみ♪「半熟 生カステラ」の試食をさせて頂きました。


 
 この生カステラは2009年11月に発売されたものなのですが、紹介されると同時に爆発的に売れて大変だった・・・というお話を伺いました。伺いながら、その爆発的に売れた時に、お取り寄せを私はしたんだわ・・・と思い出し、ちょっとニヤニヤしてしまいました。テレビで紹介されているのを友人がみて、ぜひ食べたい・・と一緒にお取り寄せをしたのです。ただ、解凍がヘタだったのか、テレビでみたような「とろり~~ん」って感じではなかったので、今日はリベンジを・・と密かに思っていました。

 いただいた生カステラはこれです。とろり~~ん・・・ってなってました。リベンジできてよかった♪ 味は普通のカステラより卵の味が濃厚です。
 

 カステラはポルトガルがもたらした南蛮菓子です。カステラという名前はスペインのカステリアという古王国からという説が有力ですが、カステラという名前のお菓子はないそうです。スペインのビスコチョ、ポルトガルのパン・デ・ロー が近いもののようです。以前、ポルトガルのパン・デ・ローには、半熟のものがあるようにきいたことがあります。(うろ覚えなのでちょっと怪しい情報ですが・・・)半熟カステラをいただきながら、そんなことをふと思い出しました。

 今回の見学などを通じて、伝統のお菓子を守りながら、時代にあったお菓子も作っていく老舗の力を見た・・そんな感じがしたのでした。


 楽しい工場見学の後は、諫早の眼鏡橋を見に行きました。
 建築フェチ(私は洋館や石造りの橋など古い建造物が大好きです)としてはこれははずせない。詳細はまたページを改めて書くことにいたしましょう。




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シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~平戸~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード連絡協議会主催のモニターツアーに参加しました。
 行き先は、西九州。 平戸・諫早・長崎です。なんて魅力的なコース・・・♪。
 
 ツアーで最初に訪ねたのは【平戸】です。
 平戸はお菓子好きにはたまらない町であります。とにかくお菓子屋が多い。伝統的なお菓子から、現代的なお菓子まで充実しています。

 今年は5月に平戸を訪れていますので、2回目の訪問です。
 5月に訪れた時のことはこちらを→☆☆☆
 
 ツアーの行程表をみて、唯一、自由散策の時間があるので、今回は、5月に行けなかったお店や食べれなかったお菓子を食べたいな~・・と密かに思っていました。それと、たまたま、平戸の江代商店から「つじうら」と言うお菓子を取寄せていた私。ちょうど届いたところだったので、お支払のついでに、「つじうら」についてもお話を伺いたいと思っていたら、立ち寄る事ができました。なんてラッキ~。この「つじうら」のことはまた改めて書くことにいたしますね。 

 平戸では、おもてなしキャラクターという方々がいらっしゃいまして、行政の方と一緒に私たちを迎えてくれました。おもてなしキャラクターは、平戸にかかわりの有る歴史上の人物にコスプレしている人たち。今日は道案内を担当。なので、サクサクと散策が効率よくできましたよ。

 私のグループを案内してくれた、三浦按針クンです。


 
 
 
最初に言ったのは、菓子処 津乃上。5月に訪問できなかったお店です。




 有名なのはお城の形をした平戸城もなか。もなかの皮が歯にくっつかないんだって・・(三浦按針クン談) 古いお菓子は、ごぼうもちと破れまんじゅう(お店の方談)写真の左下のお菓子は、千代香というらしいのですが、これが復元菓子の網笠そっくり。他の店でも見かけました。
復元菓子のことは、以前ブログに書いてますのでこちらをご覧ください→☆☆☆


次に訪れたのは、熊屋。創業240年くらい。牛蒡餅が有名。福岡にも支店があります。



これがごぼう餅。名前はごぼう餅ですが、ごぼうがはいっているわけではありません。形がごぼうに似ているのでこんな名前。米粉と砂糖でできてるお菓子、歴史は古く440年前に中国から伝わったらしい。



カスドースで有名な蔦屋。建物は按針の館と呼ばれている古い建物



蔦屋の中


カスドースの色は、平戸の黄金の日々を思わせます




商店街の中で発見。ジャパネットたかたの社長のご実家らしい・・・。



江代商店では、おらんだ焼きを焼いているところを見せていただきました。
おらんだ焼きのことも以前ブログに書いてますのでご覧下さい→☆☆☆

おらんだ焼き




この機械が一周すると焼き上がり・・となる。まわす速度は、すべて職人のカンだとか。



いちどきに生地を流す機械。



焼きたてのおらんだ焼きをいただきました。焼きたてはやわらかいのでびっくり。素朴な味わいでおいしかったですよ~。

余談ですが、おらんだ焼きは、北海道の根室でも作っているお店があります。その昔、北前船で平戸から、日本海側の港町に伝わったらしいのです。今でも残っているのが根室・・というわけ。形はそっくりですが、根室のは、ソフトせんべいなのですよ。

集合時間までちょっと時間があったので、最後にダッシュで丸屋菓子店にもよりました。前回たべそこねた、甘酒まんじゅうを買うためです。



 平戸は散策の楽しみが多い町です。
 今回は駆け足だったので行けませんでしたが、
 松浦史料博物館では、松浦氏の栄華が偲ばれますし、茶室 閑雲亭では、お茶とお菓子を味わう事ができます。
 市役所前の幸橋は可愛い石橋。ちょっと渡ってみたくなります。
 平戸ザビエル記念教会など、キリスト教関連の史跡も多いです。クリスマスの季節は特に素敵な気がします。
 平戸温泉 うで湯・あし湯も気になるところ。疲れたら一休み・・・によさげです。
 そして、平戸城。山の上に有る天守閣からの眺望は一度は見てみたいもの。
 
 長崎がどちらかといえば、中国風な感じだとすると、平戸は欧州の雰囲気のようなきがします。大航海時代の匂いがするのです。なるほど、歴史とロマンの島・・・なのであります。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 22:10Comments(0)番外編

唐津街道~唐津 銘菓 「若緑」のこと~

2013年12月07日

 今年の4月25日に唐津に藤の花見のついでに数軒、菓子店を訪れました。
 詳細は、ブログのテーマ、唐津街道のところを見てくださいね。

 その時に、実は一軒、どうしても見つからなかった菓子店がありまして、なんど、その住所のあたりを車で廻っても見つけることができなかったのです。その住所のあたりにあった駐車場が、とっても悪い予感を・・・・。電話をかけてみても、呼び鈴はなるけれど、誰も出ない。

 で、その日はあきらめて、また改めて・・とそのままにしてました。
 
 昨日、お菓子関連の本を読んでいたときにふと思い出し、そういえば、商品を売っていたお土産店があったな・・・と思いつき、お問合せメールを送ってみました。

 本日、お返事をいただき、探していた菓子店が今年の3月で廃業なさったと教えてくださいました。
 廃業されたお店は大浦金盛堂といいます。
 跡継ぎがいらっしゃらなかったそうで、廃業となったようです。
 探していたお菓子は、「若緑」というお菓子です。
 見た感じ、かりんとうに似た感じの干菓子。
 茶席のお菓子です。

 お菓子についてもう少し詳しく書きますと、もともとは「みどり」といわれていたお菓子です。
 古いお菓子で、古文書などには1651年あたりに出てくるものです。
 小麦粉と砂糖を練り合わせた記事を3センチほどに切って、焼き上げ、外に砂糖蜜の衣をつけています。
 1800年後半には姿を消して行ったお菓子で、実は唐津の大浦金盛堂の「若緑」は江戸時代の「みどり」がそのままの姿で残っている物ではなかろうか・・というものでした。

 食べ損なってますので、味はわかりません。
 写真でお菓子を見る限り、白いかりんとうみたいな感じ。フィンガービスケットにも似てるかも。
 
 お菓子の調査をしていて毎度感じる事ですが、本当に時間が残ってない・・・
 大きな会社になっている菓子屋は心配ないのですが、個人でされている菓子屋がとても心配です。この個人でされている菓子屋に、とっても魅力的なお菓子があったりするので、本当はとても大切にしたいのです。廃業されるのは、大抵後継者が居ない・・というものです。本当に跡継ぎさんが居ない、もしくは後をついでも儲からない・・・あとを継ぐほどのものでない・・と思われての判断・・ということでしょうか。

 郷土に残るお菓子は素朴ですが、とても魅力的だと思います。町おこしの材料にもなります。地方に残されたお菓子を地域全体で遺していく努力が必要な時代になっているような気がしてなりません。廃業は菓子店一軒がなくなるだけではありません。郷土の菓子文化の消滅ということでもあるのですから。

 それにしても、今年の3月は東京の栄陽堂(大隈重信に関係の有るお店でした)も閉店してますし・・・。一つの節目がきているのかも・・・と焦りますね。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 19:48Comments(0)唐津街道