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ショック!二日市温泉 中村屋の火事

2014年01月24日

 今日、たまたま通りかかった二日市温泉。
 気がつけば、中村屋が真っ黒に焼けてる。
 知らなかったのだけど、22日の午後、火事で焼けたらしい。
 22日といえば、雪の日で、私はシュガーロードのモニターツアーに参加していた日。

 復活は難しいだろう・・というのが大方の見方のよう。
 あの、天拝饅頭はもう食べれない。とてもショック。
 とても悲しい気持ちでいっぱいです(TT)

 昨年、天拝饅頭の話などお聞きしてこのブログにもUPしてます。
 こちらをご覧下さい→☆☆☆


  


Posted by はなはな at 23:41Comments(0)スイーツ女子の日々

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】3~

2014年01月21日

 お花のレッスンで大分へ毎月一回いっているのですが、行きかえりの列車の中で必ず目を通すのが、JR九州が発行している情報誌、プリーズ。九州の列車の旅の楽しみに触れることが出来るのと、有意義な情報が掲載されていることがあるのでいつも楽しみにしています。

 今日は、行きの列車の中で手に入れることが出来なくて残念におもっていたところ、大分駅でいただくことが出来ました。帰りの列車の中で見てみたら、思いがけなく、あの平戸の江代商店さんのことが載っている記事に遭遇。そういえば、お訪ねした時に奥様が、明日は雑誌の取材が入る・・とおっしゃってた事を思い出し、このプリーズのことだったのだな・・・と思い当たりました。

 特集は「百年後に残したい 九州の正月遺産」
 



 江代商店さんの「つじうら」のことが載っています。
 この「つじうら」のことは、昨年末お訪ねしてお話伺ってこのブログにもUPしています。
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】→☆☆☆
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】2→☆☆☆

 ブログにも書いたとおり、この「つじうら」というお菓子は、新年の「おてがけ」に使うお菓子で、そのほかにも、丸ぼうろやヘソ菓子、一口香や橙や昆布などと一緒に三方に盛られ、お正月の朝、家族で福茶と一緒にいただくものと教えていただきました。

 年末にお話を伺ったので、我が家でも、今年はお鏡餅のほかにお菓子も一緒にお供えしたのですが、実際にやってみると、この「おてがけ」というのが、正確にはどんな風にしていたのかがわからない。コレでよいのかしら?という疑問がでてきました。また平戸に行ったときに聞いてこよう・・と思っていました。

 その疑問の答えが、今日貰ったプリーズに載っていたのでびっくりしました。

 もともとは、松浦藩の23代藩主 松浦弘定が筑前箱崎の金胎寺の住職から元旦にこのおてがけのもてなしを受けたのが始まりとあります。・・・おや、筑前・・博多の風習?(また疑問がでてきました。発祥は博多なのでしょうか)その後、松浦家では、年賀に来た家臣に、菓子やつじうらを包んで与えた事から市民も真似るようになった・・とのこと。松浦家には江戸時代に作られた「御祝帳」というものがあるらしくその中に「御手がけ鈴鉢」の図が記されてるそうです。その写真がのっていたので、なるほど、こんな風に飾るのか・・・というのがわかったというわけです。

 お菓子に意識がいっていると、いろんな情報が集まってきますが、こんなにタイミングよくやってくるとは・・・・。

 プリーズには、他にも宮崎の椎葉村に伝わるお供えのことや、大分の竹田の姫だるまの事が載っていましたよ。新年の迎え方は先人の願いがこめられていて、どれも素敵なことだと思います。そんなことがわかる年齢になった・・ということでもありますが、古きよき日本の風習は、大切にしたいですね。お菓子もそうですが、九州には、とてもよいものが、数多く残っている気がします。(九州生まれの身びいきも含めて・・・笑)


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます

  


Posted by はなはな at 22:14Comments(0)番外編

博多 百年饅頭店を訪ねて

2014年01月12日

 NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の宣伝の影響?なのか、近頃、博多のことがちょいと気になっております。博多に残っている古いお菓子をちゃんと調べようかな・・ってね。一見、何にも残っていないような感じの福岡・博多。シュガーロード(長崎街道)沿いの町、長崎や佐賀のような華やかさはないわね。福岡・博多土産のような顔をしている、ひよ子や千鳥饅頭は筑豊のお菓子だしね。そう思うと、一体何があるのだろう・・・と思ったわけ。

 郷土菓子的に考えると、博多は酒饅頭の発祥の地。
 
 1241年、円爾弁円(後の聖一国師)が帰国、博多で布教をしていた時に、荒戸で世話になった茶店の主人、栗波吉右衛門に酒饅頭の製法を伝えたというのです。

 聖一国師は、承天寺の開祖、博多祇園山笠にも関係有る人物。

 以前、承天寺界隈をぶらぶらした時のことをブログにもかいてますのでこちらをご覧くださいね →☆☆☆


 ちなみに、饅頭の伝来にはもう一つルートがあって、塩瀬饅頭の祖、林浄因による薬饅頭(ふくらし粉を使った饅頭)があります。どちらかといえば、こちらの方が有名かも。・・というのも、塩瀬饅頭は系譜として今でも残ってるから。

 さて、博多の酒饅頭はどうかといえば、製法を伝えられた栗波吉右衛門は製法と一緒に「虎屋」という屋号をもらい、看板も書いてもらったのだけれど、今ではその家は途絶えていて、看板は、東京の虎屋に伝わっているというのです。詳しいいきさつはここでは省きますが、ちょっと残念。

 それでも発祥の地だからか?福岡・博多の饅頭屋は酒饅頭を作っているところが多い気がします(気のせいかなあ・・・)小さい時から、何かお祝い事があると、紅白の饅頭をもらっていたような気もしますし。

 下呉服町に、古い饅頭屋がある・・としったので、ちょいと覗いてきました。
 こんな目的がないと、なかなか行かないエリア。竪町筋のあたりにある、「大浜饅頭」


 
 
 早い時間にいかないと饅頭がない・・という噂をきいてましたが、ラッキーなことにありました。
 奥さんがでていらしたので、きいてみたら、100年の歴史があるらしい。(調べて見たら創業は1912年でした)元は今の場所よりちょっと海側だったらしい。今の場所でも半世紀たつかなあ・・・とのこと。今日は注文がはいったから、紅白そろっている・・とのこと。いつもは白い方だけらしい。

 というわけで、運よく紅白の酒饅頭をゲット♪









 食べてみたら、皮がほのかに甘い。懐かしい味です。
 あんこはこし餡でした。甘さ控えめ。コレならいくつでも食べれそうな感じ。

 他の饅頭より、酒饅頭は作るのに時間がかかるのだそうです。
 出来上がるのに4時間くらいかかるかな・・とおっしゃってました。聞いているとパンを作っている感じ。でもパンのイースト菌のように、バンバン発酵はしてくれない。酒だねはゆっくりと発酵していくようです。

 気になる方はお店を覗いてみてくださいね。但し、酒饅頭は早めに売り切れるようですよ。


 もう一軒。こちらは3日に覗いたお店。対馬小路の「承天庵」
 名前は承天寺を連想させますね。お店の中には、承天寺のお饅頭の碑の写真がありました。
 こちらの創業は1855年(安政2年)
 江戸時代末期ですね。ペリーが浦賀に来ていた時代。
 もともと、お豆を炊いていたのが最初らしい。今でも商品にお多福豆を炊いた物があります。

 さて、お目当ては・・承天まんじゅう




 
 食べてみたら、じょうよ饅頭みたいな感じ。
 可愛らしい一口サイズ・・よりはちょっと大きめ。
 お饅頭だけど、上品な雰囲気です。

 古いお店には心惹かれます。
 古いお店が作るお饅頭にはもっと心惹かれます。
 福岡・博多の古い饅頭屋をもうちょっと歩いてさがしてみようと思います。
 自分の足元を見直す・・というのも、何か面白いことを見つけることに繋がるかもしれません。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 10:27Comments(0)百年饅頭

つじうら煎餅とフォーチュンクッキー

2014年01月04日

 年末から年明けにかけて、辻占菓子についてブログに書いてました。
 
 一つのお菓子に着目すると、面白いもので情報が集まってきます。
 昨日、偶然テレビでフォーチュンクッキーのことを紹介している番組をみました。
 つじうら煎餅とフォーチュンクッキーの関係は、ちょっとだけ先日UPしたブログに書きましたが、今日はもう少し詳しくご紹介します。

 先日UPした内容
 つじうら煎餅のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆
 つじうら煎餅2のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆
 
 フォーチュンクッキーは、中に紙片(おみくじみたいな)が入っているお菓子です。紙片には運勢や、格言や聖書の一節などが書かれていて、アメリカやカナダの中華料理店において、食後に提供される事が多いお菓子です。

 形はまったく、つじうら煎餅と同じ。
 半月型を曲げた形で中に紙が入ってます。

 先日、平戸や太宰府で買い求めた物と形状は同じ。
 そういえば、昔、サンフランシスコのチャイナタウンで買ったフォーチュンクッキーも同じ形だったわ。(急に思い出しました・・・笑)

 昨日のテレビ番組によると、
 フォーチュンクッキーが登場したのは、アメリカ サンフランシスコに有る日本庭園「ジャパニーズ・ティー・ガーデン。このお庭は、1894年に開かれた国際博覧会の際に造園された日本庭園です。博覧会の終了後、日本人移民で庭師の萩原真氏はこの公園を恒久的な公園の一部にするよう提案し、自身も1925年まで公的な管理人を勤めたそうです。
 フォーチュンクッキーはこの庭園をおとずれた客に提供されていたお菓子でした。それが日本のつじうら煎餅から発想されたもので有るのは間違いないようです。

 中華料理店の食後に提供される事が多いため、中国のお菓子・・と思われがちですが、ルーツは日本にあったとうわけです。

 お菓子の歴史はやっぱり面白い♪としみじみ思います。


写真は太宰府でみつけた、おみくじせんべい
割ってみると、中にこんな風におみくじがはいってます。




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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

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Posted by はなはな at 19:44Comments(0)お菓子ストーリー

太宰府でみつけた、おみくじせんべい

2014年01月03日

 二日に初詣にいってきました。
 太宰府の茶店でお土産用のお菓子をながめていたら、あら・・・・、こんなところに。
 おみくじせんべいを見つけました。
 製造元は筑紫野市に有る会社です。
 おみくじせんべいは、あの、つじうら煎餅そっくりの半月型です。
 食べてみたら、味噌せんべいでした。
 中にはしっかりおみくじが入ってました。
 年明けに、辻占菓子のことをブログにUPしていたので、この偶然は面白く感じました。
  
 太宰府で見つけたおみくじせんべいです。



 平戸の「つじうら」の事はこちらをご覧下さい  その1→☆☆☆
 その2→☆☆☆ 


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 19:34Comments(0)お菓子ストーリー

おみくじ入りのお菓子 ハトマメ

2014年01月03日

 新年のお菓子というわけではありませんが、ちょっとお正月っぽい感じがしましたので、ご紹介♪
 おみくじ入りのお菓子が福岡県朝倉市で作られている、ハトマメ屋のハトマメ

 ハトマメといっても鳩にあげる豆ではありません。
 小麦粉で出来たお菓子です。本物の豆みたいですが、違います。

 こんなレトロな雰囲気の三角袋にはいってます。
 その中におみくじのようなものが。まさにこれも、辻占菓子。

 

 

 おみくじには、
 「おもうまことも そでからそでに えんのつながる どようぼし」
 都都逸風の文句が江戸時代の匂いを伝えているような気がするお菓子です。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

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Posted by はなはな at 19:22Comments(0)お菓子ストーリー

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】2~

2014年01月01日

 年末に平戸から取寄せたお菓子【つじうら】。思いがけなく平戸にもいくことができて、このお菓子についてお話をうかがうことができました。

 その時のことはすでにブログにUPしてますので、こちらをご覧下さい→☆☆☆

 さて、今日は元旦。平戸で買ってきたお菓子もお供えいたしました。



 上 左より 一口香 つじうら
 真ん中左より みかん 丸ぼうろ
 下 左より ヘソ菓子 さとう煎(寒菊)

 駄菓子と呼ばれるお菓子ではありますが、 こうして並べると、素朴で可愛らしい雰囲気です。とっても写真写りがよいお菓子たちです。懐かしい雰囲気は、故郷を思わせます。このお供えの内容は、各家庭でそれぞれ違っているそうです。

 同じような風習が長崎にも残っているそうで、長崎では、七色菓子とよばれるもの、一口香や口砂香などが一緒にお供えされるそうです。商品名になりますが、「とんぴんかん」の中に入っているもの・・ということになりましょうか。

 とんぴんかんのことは以前ブログにUPしてますのでこちらをご覧下さい→☆☆☆


 さて、気になるのは、つじうらの中に入っている占いの紙。
 なので、1個食べてみました。
 味は、しょうが煎餅みたいな感じです。



 出てきた占いの紙には
 「昨日は他人の身 明日はわが身」・・・・ですって。
 他人におこったよい事も悪い事も、明日は自分のところに起きる事ですよ・・・ということかいな。他人をうらやまず、あわれまず、自分のことに置き換えて、奢ることなく、油断することなくすごせ・・・と解釈。元旦にふさわしいご神託ですね~。

 赤い方を食べたので、白い方も・・と食べてみたら、こちらには「果報は寝て待て・・」だって(笑)

 これは、おもしろい・・・。家族が多い家や親戚が集まる家だったらきっと大盛り上がりね。
 
 つじうらは、新潟や北陸などにも同じ様なお菓子が残っています。日本海側なので、北前船の影響もあるのでしょうか?これも調べていくとおもしろいかもしれませんね。

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 12:53Comments(0)番外編