泉屋のクッキー

2014年08月09日

小さい時に食べていたものというのは、ずいぶんと大人になっても好物であることが多いようです。
 両親、とりわけ母がお菓子好きだったこともあって、小さい時からいろいろと食べさせてもらっていたようです。今では、こうしてお菓子のことを調べているのも、その影響かもしれませんね。

 今日のテーマの泉屋のクッキーもその思い出の味のひとつ。食べると懐かしい気持ちでいっぱいになります。小さい時にこのクッキーがお土産などでやってくると、どれから食べ用か・・と迷う楽しさ。そして人気のクッキーからなくなって、それでも残ることはなく・・という感じでした。

 昔は福岡のデパートにもお店が出てましたが、今では、地方銘菓のコーナーで見かけることが多いようです。懐かしかったので、アソートパックを買ってみました。

泉屋のクッキー

 
  泉屋の定番のクッキーが勢ぞろい。
  私が好きなのは、浮き輪の形のリングダーツです。
  このリングダーツにも物語があるそうなので、後ほどご紹介しますね。
  味は、素朴で正統派のクッキーといった感じ。今のクッキーより油脂が少ないきがします。なのでちょっと固めです。

 さて、すべてのお菓子に、誕生の物語があると、いつもこのブログにUPしてますが、この泉屋のクッキーにも素敵な物語がありました。

 詳しくは泉屋のHPにありますが、ちょっと簡単にご紹介します。
 
 泉屋はもともと明治・大正時代に大阪の船場で機械や鉄を扱っているお店でした。
 4代目、泉伊助とその妻園子は敬虔なクリスチャンで、子供の健康のためにと、気候の温暖な和歌山県に移り住みます。その地でアメリカ人宣教師のロイド夫人と出会いがクッキーとの出会いでもあったようです。
 ロイド夫人は子供のために自身でクッキーというお菓子を焼いてあたえていることを知った、園子は、栄養満点で美味しい食べ物を自分も作ろうと日曜学校の教室でクッキーづくりを習い始めます。
 しかし、クッキーづくりにはオーブンが必要。園子は当時とても高価なオーブンを注文し、届いたときに伊助に報告という作戦にでます。伊助は届いたオーブンを見て怒りもせず、園子のクッキーの勉強の手助けをしたようでした。夫婦の探求心は、ロイド夫人も太鼓判を押すほどのクッキーを作り出し、その中には、今でも泉屋の定番の形として残っているものもすでに出来上がっていたとか。

 その後、このクッキーづくりは評判をえて、昭和2年に個人ですが会社を興こし、その後の発展で今日のような企業の形になったそうです。

 そしてリングダーツの形は、企業理念をあらわしていて、泉屋のロゴにもなっています。
 浮き輪は荒波にあっても沈まない→人生の荒波を乗り越えていく→浮き輪が人を救うように、泉屋も社会の役に立つ会社でありたい・・・ということでした。この考えはクリスチャンであったことも影響しているのでしょう。

 ざっと、内容をまとめて書きましたが、詳しくは泉屋のHPをご覧になってくださいね→☆☆☆


 お菓子の歴史を調べていると、明治から大正・戦前の昭和にかけてできたお菓子には、栄養があるから・・と作り始めたというものがかなりあります。おなじみのグリコも元々はグリコーゲンを生かしてお菓子はできないかな・・ということから始まってますし、カステラを見てこれは病人に良い・・と作り始めた話もあります。今ではお菓子は嗜好品ですが、昔は補助食品的なものもあったとうことでしょう。それだけ、昔の食事が質素だったということですね。

 今、NHKの朝ドラで「花子とアン」があってますが、話の中で女学校時代にクッキーと紅茶でお茶の時間を楽しむシーンがありました。昔のハイカラなご婦人が習ったクッキー、宣教師から習ったクッキーもあんな感じだったのかなあ・・・・・と思って興味深くみました。キリスト教と一緒にやってきたお菓子の一つかもしれませんね。
 そういえば、明治生まれの祖母が、若い時に東京のキリスト教関係のおうちで行儀見習いに入っていた時、クッキーの作り方を習ったと母が言ってました。母が小さい時に作ってもらったといっていたことを思い出しました。泉屋のクッキーが好きだったのはそれも影響していたのかなあと思います。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 15:57│Comments(0)お菓子ストーリー
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