スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

シュガーロード ~さらば、八幡饅頭~

2014年02月25日

 今月末で、八幡の鶴屋が閉店・・という新聞記事をみつけたことは、先日のブログにUPした通り。
 読んでいない方はこちらをご覧になってくださいね→☆☆☆

 今日(2月25日)は北九州へ行く用事ができたので、ついでに、鶴屋本店によって八幡饅頭を買って来よう・・・と思いつきました。2月も残り少なくなってきましたし、最終日だと、もう作っていない・・ということになりそうな気がしたからです。

 昨年、行った事がありますから、場所はわかってますしね。
 ちなみに、最寄の駅はJRスペースワールド駅。そこから777m。(ネットで検索したらこの距離がでてきました)歩いていける距離です。

 お店にいってみたら、店内には行列が。
 皆さん、八幡饅頭を買ってらっしゃる。遠方におくるのか、発送を依頼してる人も多かったです。
 順番待ちをしている間に、一緒に並んでいる方たちおしゃべり。
 常連さん曰く、「今日みたいに、みんなが八幡饅頭をこうたら(買ったら)こんな事(閉店)にはならんかったんだけどね・・・」 
 私がお菓子のことを調べていて、このお店と千鳥屋が兄弟って知って興味がわいた・・と話したら、「そうよ~。知らんかった?千鳥屋と兄弟なんよ。お父さんが一緒ってこと」と教えてくださいました。

 八幡の駅前の支店では、もう八幡饅頭売ってなかったよ。それで本店に来た・・という方もいらっしゃいました。もしかしたら他の支店でも、売ってないかもですね。

 お店の方はてんてこ舞い。閉店までこんな感じなんでしょうね。

 さて、買ってきた八幡饅頭。食べてみたら、以前食べたときより、アンコが少ししっとりしてまして、好きな感じでした。閉店の報道があってから、きっとお客さんがふえて、焼きたてのものだったのかもしれません。

 千鳥饅頭と再度食べ比べをしてみようか・・・と思案中です。

 お店で並んでいる時にふと思ったことですが、お客さんは、やはり年配の方ばかりでした。若い人がいない・・・。懐かしいって思う年齢層ばかり。今の時代は、若い人にも支持されないと、なかなか存続は難しいのかもしれませんね。

 それでも、八幡饅頭は、鉄都八幡が育てた、銘菓であります。北九州の人にとってはなじみのお饅頭。なくなるのは非常に寂しい。残すことは出来ないものか・・・と思ってしまいます。


 八幡饅頭を食べたくなった方、28日までですよ。お急ぎくださいね。





   


Posted by はなはな at 21:38Comments(2)番外編

シュガーロード ~消える八幡饅頭~

2014年02月17日

 本日(2014年2月17日)の西日本新聞 朝刊に、 消える八幡饅頭 「鶴屋」閉店へ・・・の記事。

 びっくりしました。
 本店以外にも支店が数店有るお店だったので、大丈夫・・・と思っていましたが、円安の影響と、後継者がいないこと、何より販売数の減少の為、閉店されるそうです。
 
 思えば、シュガーロードのお菓子を調べはじめた頃、千鳥饅頭の千鳥屋と八幡饅頭の鶴屋の創業が寛永7年で佐賀ということに疑問をもちまして、寛永7年に佐賀で何があった??・・・と思ったのですが、答えは簡単に見つかり、この二つのお店の主は兄弟で、実家が佐賀の松月堂。そこの創業が寛永7年だったのでした。このささやかな発見(私にとっての)は、お菓子の歴史っておもしろいな~~~・・と、はまるきっかけの一つとなったのでした。

 詳しくは以前ブログにUPしてますのでご覧下さい。
 シュガーロードのお菓子たち ~千鳥饅頭と八幡饅頭~ →☆☆☆

 余談ですが、先月、シュガーロードモニターバスツアーでたちよった、飯塚の千鳥屋本店に、この佐賀の松月堂からもってきたという戸襖がありました。とても綺麗な絵が描かれていました。このことからも、佐賀の松月堂がとても立派なお店であったことが伺えます。

 それにしても、老舗が閉店するというのはつらい。鶴屋は大きいお店ですが、大体小さな個人営業のお店が多く、そういったお店の方が面白い、昔からのお菓子を作っていることが多いので、閉店は本当に残念です。
 
 私個人の調査についていえば、今年に入ってカステラ饅頭は受難であります。二日市の中村屋は火事にあうし(このお店の天拝饅頭はカステラ饅頭でした)今度は、八幡の鶴屋・・・とは・・・

 八幡の鶴屋は今月いっぱいの営業だそうです。
 心残りがないように、八幡饅頭を買いにいこう・・とおもっているところです。千鳥饅頭と食べ比べる最後のチャンスでもあります。

 昨年、食べ比べた時の写真です。











*****************************
さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
******************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 19:45Comments(0)番外編

大分 中津のお菓子 ~ビスマン~

2014年02月06日

 月に一度、大分へお花のレッスンに行っているのですが、いつも気になる看板を途中の中津で見かけていたのです。

 それは、ビスマン・・・という看板。

 中津銘菓・・・とある。ビスマンってなあに??

 そう思いながら、途中下車することもなく月日がたっていきました。

 先月、レッスンの帰りに大分駅で思いがけず、このビスマンをみつけました。

 ビスマンはビスケット饅頭の略らしい・・・。というわけで、今回のテーマは中津のお菓子「ビスマン」であります。

 ビスマンを作っているお店は【ビスマン本舗 殿畑双葉堂】
 創業は1889年(明治22年)。屋号の双葉堂は、2代目が名横綱双葉山の面倒を見ていたことがあって、そのご縁に由来しているそうです。現在の店主で4代目。歴史の有るお店でした。

 さて、「ビスマン」ですが、ビスケット生地に黄身餡を包んで焼いたお菓子だそうです。
 中津に残る南蛮文化のエピソード~1590年(天正18年)神学校を建設したお礼として、宣教師から「ビスカウト」というお菓子が藩主に献上された~に基づき「ビスケット饅頭」として昭和31年に発売されたということ。

 戦前に主流だったカステラ饅頭に、戦後になって練乳やバターなどを使った物が人気がでてきたので、カステラ饅頭にそれらを使って風味をよくしたのが、ビスケット饅頭のようです。

 ということは、ビスマンはカステラ饅頭の進化系ということになるわけですね。
 カステラ饅頭に興味津々の私としては、とても面白く思えました。
 ビスマンは黄身餡ですから、やはり焼き饅頭には白餡もしくは黄身餡ということでしょうか。

 コレがビスマンです
 
 

味は、そうねえ・・・。ひよ子をちょっと乳臭くした感じ・・・かなあ。
ビスケット生地だからカステラ饅頭の生地よりも固いのかな・・と思いますが、そんなこともありません。思ったよりしっとりしています。
 



 中身は黄身餡。

 気になる方は大分の中津へ・・・、又は大分駅で購入してみてくださいね。

 それから、このブログのカテゴリーは豊後のお菓子に分類してますが、中津は黒田官兵衛の時代には豊前の国でした。



***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

 当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
  


Posted by はなはな at 14:51Comments(2)お菓子ストーリー

唐菓子 ~餢飳饅頭(ぶとまんじゅう)~

2014年02月06日

 シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べていたらすっかりはまり込んで1年。
 近頃は、物産展だの、デパートの地域銘菓のコーナーだの覘いています。
 正確には、以前もよく立ち寄っていたのだけど、いっそう興味津々ということです。

 で、見つけました。デパートの地域銘菓のコーナーで。

 本当は奈良まで買いに行きたいと思っていたのですが、なかなかそうも行きません。
 コレは一足先に味見だけでも・・・・と思い購入いたしました次第。(うふふ・・・)


 今回のテーマは、「餢飳饅頭(ぶとまんじゅう)」であります。
 面白い名前でしょう。ぶとまんじゅう?・・・ってなに??って感じですね。

 このお饅頭の事を書く前にこのお饅頭のジャンル、唐菓子について少し書くことにいたしましょう。

 最も古いお菓子は、木の実や果物と考えられています。そんな中、奈良・平安時代に中国から飯を潰して固めた餅や米粉を固めて蒸した物などが伝わります。この加工菓子はまだ主食の一部という位置づけでしたが、その後、中国から唐菓子と呼ばれる粉食菓子の製法が伝来しました。
 その中には、うどんや素麺のルーツと呼ばれている索餅や今回ご紹介の餢飳も含まれていました。唐菓子は、ちょっと不思議な形をしています。沖縄に残っている琉球菓子にも似ています。餢飳はギョウザみたいな形です。

 現在でも奈良の春日大社や京都の賀茂神社では祭事に餢飳を供えているそうです。

 その餢飳をかたどったお菓子が餢飳饅頭とうわけ。小麦粉 卵、砂糖の生地で餡をつつんであげたものです。

 
 見た目はこんなかんじ。ギョウザみたい。
 

 
 中身。食べてみたらアンドーナツみたいな感じです。
 


 唐菓子の中には、歓喜団なるものもあります。これは団子のルーツともいわれてます。煎餅は、そのまま、煎餅のルーツです。奈良時代には作られてました。こうしてみていくと、今に繋がるお菓子のいわばご先祖様たち・・といった感じです。

 お菓子を食べたら、やっぱり奈良に行きたくなりました。
 そのお菓子が育った環境で食べるのが一番美味しい気がしますし、お店でお話も出来たら伺いたいのです。 

***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

 当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます



 

  


Posted by はなはな at 14:38Comments(2)お菓子ストーリー

ショック!二日市温泉 中村屋の火事

2014年01月24日

 今日、たまたま通りかかった二日市温泉。
 気がつけば、中村屋が真っ黒に焼けてる。
 知らなかったのだけど、22日の午後、火事で焼けたらしい。
 22日といえば、雪の日で、私はシュガーロードのモニターツアーに参加していた日。

 復活は難しいだろう・・というのが大方の見方のよう。
 あの、天拝饅頭はもう食べれない。とてもショック。
 とても悲しい気持ちでいっぱいです(TT)

 昨年、天拝饅頭の話などお聞きしてこのブログにもUPしてます。
 こちらをご覧下さい→☆☆☆


  


Posted by はなはな at 23:41Comments(0)スイーツ女子の日々

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】3~

2014年01月21日

 お花のレッスンで大分へ毎月一回いっているのですが、行きかえりの列車の中で必ず目を通すのが、JR九州が発行している情報誌、プリーズ。九州の列車の旅の楽しみに触れることが出来るのと、有意義な情報が掲載されていることがあるのでいつも楽しみにしています。

 今日は、行きの列車の中で手に入れることが出来なくて残念におもっていたところ、大分駅でいただくことが出来ました。帰りの列車の中で見てみたら、思いがけなく、あの平戸の江代商店さんのことが載っている記事に遭遇。そういえば、お訪ねした時に奥様が、明日は雑誌の取材が入る・・とおっしゃってた事を思い出し、このプリーズのことだったのだな・・・と思い当たりました。

 特集は「百年後に残したい 九州の正月遺産」
 



 江代商店さんの「つじうら」のことが載っています。
 この「つじうら」のことは、昨年末お訪ねしてお話伺ってこのブログにもUPしています。
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】→☆☆☆
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】2→☆☆☆

 ブログにも書いたとおり、この「つじうら」というお菓子は、新年の「おてがけ」に使うお菓子で、そのほかにも、丸ぼうろやヘソ菓子、一口香や橙や昆布などと一緒に三方に盛られ、お正月の朝、家族で福茶と一緒にいただくものと教えていただきました。

 年末にお話を伺ったので、我が家でも、今年はお鏡餅のほかにお菓子も一緒にお供えしたのですが、実際にやってみると、この「おてがけ」というのが、正確にはどんな風にしていたのかがわからない。コレでよいのかしら?という疑問がでてきました。また平戸に行ったときに聞いてこよう・・と思っていました。

 その疑問の答えが、今日貰ったプリーズに載っていたのでびっくりしました。

 もともとは、松浦藩の23代藩主 松浦弘定が筑前箱崎の金胎寺の住職から元旦にこのおてがけのもてなしを受けたのが始まりとあります。・・・おや、筑前・・博多の風習?(また疑問がでてきました。発祥は博多なのでしょうか)その後、松浦家では、年賀に来た家臣に、菓子やつじうらを包んで与えた事から市民も真似るようになった・・とのこと。松浦家には江戸時代に作られた「御祝帳」というものがあるらしくその中に「御手がけ鈴鉢」の図が記されてるそうです。その写真がのっていたので、なるほど、こんな風に飾るのか・・・というのがわかったというわけです。

 お菓子に意識がいっていると、いろんな情報が集まってきますが、こんなにタイミングよくやってくるとは・・・・。

 プリーズには、他にも宮崎の椎葉村に伝わるお供えのことや、大分の竹田の姫だるまの事が載っていましたよ。新年の迎え方は先人の願いがこめられていて、どれも素敵なことだと思います。そんなことがわかる年齢になった・・ということでもありますが、古きよき日本の風習は、大切にしたいですね。お菓子もそうですが、九州には、とてもよいものが、数多く残っている気がします。(九州生まれの身びいきも含めて・・・笑)


***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます

  


Posted by はなはな at 22:14Comments(0)番外編

博多 百年饅頭店を訪ねて

2014年01月12日

 NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の宣伝の影響?なのか、近頃、博多のことがちょいと気になっております。博多に残っている古いお菓子をちゃんと調べようかな・・ってね。一見、何にも残っていないような感じの福岡・博多。シュガーロード(長崎街道)沿いの町、長崎や佐賀のような華やかさはないわね。福岡・博多土産のような顔をしている、ひよ子や千鳥饅頭は筑豊のお菓子だしね。そう思うと、一体何があるのだろう・・・と思ったわけ。

 郷土菓子的に考えると、博多は酒饅頭の発祥の地。
 
 1241年、円爾弁円(後の聖一国師)が帰国、博多で布教をしていた時に、荒戸で世話になった茶店の主人、栗波吉右衛門に酒饅頭の製法を伝えたというのです。

 聖一国師は、承天寺の開祖、博多祇園山笠にも関係有る人物。

 以前、承天寺界隈をぶらぶらした時のことをブログにもかいてますのでこちらをご覧くださいね →☆☆☆


 ちなみに、饅頭の伝来にはもう一つルートがあって、塩瀬饅頭の祖、林浄因による薬饅頭(ふくらし粉を使った饅頭)があります。どちらかといえば、こちらの方が有名かも。・・というのも、塩瀬饅頭は系譜として今でも残ってるから。

 さて、博多の酒饅頭はどうかといえば、製法を伝えられた栗波吉右衛門は製法と一緒に「虎屋」という屋号をもらい、看板も書いてもらったのだけれど、今ではその家は途絶えていて、看板は、東京の虎屋に伝わっているというのです。詳しいいきさつはここでは省きますが、ちょっと残念。

 それでも発祥の地だからか?福岡・博多の饅頭屋は酒饅頭を作っているところが多い気がします(気のせいかなあ・・・)小さい時から、何かお祝い事があると、紅白の饅頭をもらっていたような気もしますし。

 下呉服町に、古い饅頭屋がある・・としったので、ちょいと覗いてきました。
 こんな目的がないと、なかなか行かないエリア。竪町筋のあたりにある、「大浜饅頭」


 
 
 早い時間にいかないと饅頭がない・・という噂をきいてましたが、ラッキーなことにありました。
 奥さんがでていらしたので、きいてみたら、100年の歴史があるらしい。(調べて見たら創業は1912年でした)元は今の場所よりちょっと海側だったらしい。今の場所でも半世紀たつかなあ・・・とのこと。今日は注文がはいったから、紅白そろっている・・とのこと。いつもは白い方だけらしい。

 というわけで、運よく紅白の酒饅頭をゲット♪









 食べてみたら、皮がほのかに甘い。懐かしい味です。
 あんこはこし餡でした。甘さ控えめ。コレならいくつでも食べれそうな感じ。

 他の饅頭より、酒饅頭は作るのに時間がかかるのだそうです。
 出来上がるのに4時間くらいかかるかな・・とおっしゃってました。聞いているとパンを作っている感じ。でもパンのイースト菌のように、バンバン発酵はしてくれない。酒だねはゆっくりと発酵していくようです。

 気になる方はお店を覗いてみてくださいね。但し、酒饅頭は早めに売り切れるようですよ。


 もう一軒。こちらは3日に覗いたお店。対馬小路の「承天庵」
 名前は承天寺を連想させますね。お店の中には、承天寺のお饅頭の碑の写真がありました。
 こちらの創業は1855年(安政2年)
 江戸時代末期ですね。ペリーが浦賀に来ていた時代。
 もともと、お豆を炊いていたのが最初らしい。今でも商品にお多福豆を炊いた物があります。

 さて、お目当ては・・承天まんじゅう




 
 食べてみたら、じょうよ饅頭みたいな感じ。
 可愛らしい一口サイズ・・よりはちょっと大きめ。
 お饅頭だけど、上品な雰囲気です。

 古いお店には心惹かれます。
 古いお店が作るお饅頭にはもっと心惹かれます。
 福岡・博多の古い饅頭屋をもうちょっと歩いてさがしてみようと思います。
 自分の足元を見直す・・というのも、何か面白いことを見つけることに繋がるかもしれません。


***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

  


Posted by はなはな at 10:27Comments(0)百年饅頭

つじうら煎餅とフォーチュンクッキー

2014年01月04日

 年末から年明けにかけて、辻占菓子についてブログに書いてました。
 
 一つのお菓子に着目すると、面白いもので情報が集まってきます。
 昨日、偶然テレビでフォーチュンクッキーのことを紹介している番組をみました。
 つじうら煎餅とフォーチュンクッキーの関係は、ちょっとだけ先日UPしたブログに書きましたが、今日はもう少し詳しくご紹介します。

 先日UPした内容
 つじうら煎餅のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆
 つじうら煎餅2のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆
 
 フォーチュンクッキーは、中に紙片(おみくじみたいな)が入っているお菓子です。紙片には運勢や、格言や聖書の一節などが書かれていて、アメリカやカナダの中華料理店において、食後に提供される事が多いお菓子です。

 形はまったく、つじうら煎餅と同じ。
 半月型を曲げた形で中に紙が入ってます。

 先日、平戸や太宰府で買い求めた物と形状は同じ。
 そういえば、昔、サンフランシスコのチャイナタウンで買ったフォーチュンクッキーも同じ形だったわ。(急に思い出しました・・・笑)

 昨日のテレビ番組によると、
 フォーチュンクッキーが登場したのは、アメリカ サンフランシスコに有る日本庭園「ジャパニーズ・ティー・ガーデン。このお庭は、1894年に開かれた国際博覧会の際に造園された日本庭園です。博覧会の終了後、日本人移民で庭師の萩原真氏はこの公園を恒久的な公園の一部にするよう提案し、自身も1925年まで公的な管理人を勤めたそうです。
 フォーチュンクッキーはこの庭園をおとずれた客に提供されていたお菓子でした。それが日本のつじうら煎餅から発想されたもので有るのは間違いないようです。

 中華料理店の食後に提供される事が多いため、中国のお菓子・・と思われがちですが、ルーツは日本にあったとうわけです。

 お菓子の歴史はやっぱり面白い♪としみじみ思います。


写真は太宰府でみつけた、おみくじせんべい
割ってみると、中にこんな風におみくじがはいってます。




***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 19:44Comments(0)お菓子ストーリー

太宰府でみつけた、おみくじせんべい

2014年01月03日

 二日に初詣にいってきました。
 太宰府の茶店でお土産用のお菓子をながめていたら、あら・・・・、こんなところに。
 おみくじせんべいを見つけました。
 製造元は筑紫野市に有る会社です。
 おみくじせんべいは、あの、つじうら煎餅そっくりの半月型です。
 食べてみたら、味噌せんべいでした。
 中にはしっかりおみくじが入ってました。
 年明けに、辻占菓子のことをブログにUPしていたので、この偶然は面白く感じました。
  
 太宰府で見つけたおみくじせんべいです。



 平戸の「つじうら」の事はこちらをご覧下さい  その1→☆☆☆
 その2→☆☆☆ 


***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 19:34Comments(0)お菓子ストーリー

おみくじ入りのお菓子 ハトマメ

2014年01月03日

 新年のお菓子というわけではありませんが、ちょっとお正月っぽい感じがしましたので、ご紹介♪
 おみくじ入りのお菓子が福岡県朝倉市で作られている、ハトマメ屋のハトマメ

 ハトマメといっても鳩にあげる豆ではありません。
 小麦粉で出来たお菓子です。本物の豆みたいですが、違います。

 こんなレトロな雰囲気の三角袋にはいってます。
 その中におみくじのようなものが。まさにこれも、辻占菓子。

 

 

 おみくじには、
 「おもうまことも そでからそでに えんのつながる どようぼし」
 都都逸風の文句が江戸時代の匂いを伝えているような気がするお菓子です。


***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 19:22Comments(0)お菓子ストーリー

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】2~

2014年01月01日

 年末に平戸から取寄せたお菓子【つじうら】。思いがけなく平戸にもいくことができて、このお菓子についてお話をうかがうことができました。

 その時のことはすでにブログにUPしてますので、こちらをご覧下さい→☆☆☆

 さて、今日は元旦。平戸で買ってきたお菓子もお供えいたしました。



 上 左より 一口香 つじうら
 真ん中左より みかん 丸ぼうろ
 下 左より ヘソ菓子 さとう煎(寒菊)

 駄菓子と呼ばれるお菓子ではありますが、 こうして並べると、素朴で可愛らしい雰囲気です。とっても写真写りがよいお菓子たちです。懐かしい雰囲気は、故郷を思わせます。このお供えの内容は、各家庭でそれぞれ違っているそうです。

 同じような風習が長崎にも残っているそうで、長崎では、七色菓子とよばれるもの、一口香や口砂香などが一緒にお供えされるそうです。商品名になりますが、「とんぴんかん」の中に入っているもの・・ということになりましょうか。

 とんぴんかんのことは以前ブログにUPしてますのでこちらをご覧下さい→☆☆☆


 さて、気になるのは、つじうらの中に入っている占いの紙。
 なので、1個食べてみました。
 味は、しょうが煎餅みたいな感じです。



 出てきた占いの紙には
 「昨日は他人の身 明日はわが身」・・・・ですって。
 他人におこったよい事も悪い事も、明日は自分のところに起きる事ですよ・・・ということかいな。他人をうらやまず、あわれまず、自分のことに置き換えて、奢ることなく、油断することなくすごせ・・・と解釈。元旦にふさわしいご神託ですね~。

 赤い方を食べたので、白い方も・・と食べてみたら、こちらには「果報は寝て待て・・」だって(笑)

 これは、おもしろい・・・。家族が多い家や親戚が集まる家だったらきっと大盛り上がりね。
 
 つじうらは、新潟や北陸などにも同じ様なお菓子が残っています。日本海側なので、北前船の影響もあるのでしょうか?これも調べていくとおもしろいかもしれませんね。

 ***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます 

  


Posted by はなはな at 12:53Comments(0)番外編

シュガーロード ~大村寿司をみかけたので・・・~

2013年12月31日

 今日は大晦日。歳の市の売り出しでごったがえしていた百貨店で「大村寿司」をみつけました。

 シュガーロード(長崎街道)の周辺にひろがる砂糖の文化を調べていると、必ず出てくる長崎県大村市の郷土料理です。

 今回はお菓子ではありませんが、この大村寿司のことを書くことにいたしましょう。

 大村寿司の起こりは室町時代のようです。
 1474年大村領主 大村純伊は、島原の有馬氏、諫早の西郷氏の連合軍に敗れ一時領地をのがれますが、1480年に大村領を回復します。その時に、領主の帰還を喜んだ領民達がおもてなしをしようとしたが、急なことで用意ができていなかったので、とりあえず、もろぶたに炊きたてのご飯をひろげ、その上に魚の切り身や野菜のみじん切りなどをひろげ、軽くおさえたものを領主や兵にふるまったというのです。それを、兵士たちが脇差で角切りにして食した・・というのが、大村寿司のはじまりといわれています。

 大村ではお祝い事が有るとこのお寿司をつくるのだそうです。おめでたい食べ物なんですね~。

 砂糖・・とのかかわりは、寿司飯の味付け、それから具の味付けに砂糖を使うのだそうです。 そう、ちょっと甘めのお寿司です。
 
 この大村寿司が最初から甘かったとは考えにくいのですが(室町時代には相当貴重品だったので庶民の口には入らなかったはずですから)砂糖の流通量がふえていくにつれ、庶民にまで広がり甘くなった・・と思われます。



 
 錦糸卵がきれいですね~。
 凄く甘いのか・・と思っていたら、そんなこともなく、ほんのりとした甘さ。
 九州は甘めの味付けだから、よその土地の人が食べたら甘く感じるかもね~。
 (私の家も味付けは甘めですから、甘さを感じにくいのかもしれません)

 先にも書きましたが、砂糖は昔は貴重品で、贅沢品でした。それを使うお料理というのは、最高のおもてなしを表していたでしょうし、富の象徴でもあるわけですから、こんなに豊かですよ~ということでもあったのでしょう。

 昔は、「殿様寿司」と呼ばれていた大村寿司。
 殿様寿司・・といえば、岩国に伝わる岩国寿司を思い出します。
 見た目は同じように錦糸卵がたくさんのっている押し寿司です。
 味は昔、比較はできないですけどね。(忘れてしまっておりまして・・)

 郷土菓子や郷土料理は、その土地の風土に育まれた歴史をもっているものですから、その土地で実際に食べるのが一番。来年は、大村に出かけていって食べてこようかな。その土地の空気の中で食べると本当の味が感じられるっていいますから。そして、いつから甘くなったのか・・を現地で尋ねてこようと思います。



***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 22:28Comments(0)番外編

 シュガーロード ~平戸の「つじうら煎餅」

2013年12月29日

 年末ですね。今年も後数日かと思うと名残おしいような、早く新年になってほしいような。。

 郷土菓子の中にはこの時期にしか出回らないものがあります。今日はそんなお菓子の一つをご紹介いたしましょう。

 ところで、フォーチュンクッキーというお菓子をご存知でしょうか?
 外国のチャイナタウンやチャイナレストランでみかけるお菓子です。日本でも中華街辺りにありそうな気がします。半月型の焼き菓子で、中に格言や聖書の言葉なんかが書いてある紙片が入っているお菓子です。このお菓子のルーツが実は日本のお菓子・・・らしいのです。

 そのお菓子は「辻占菓子」とよばれるもの。ちょっと意外というか、驚きです。その「辻占菓子」のひとつが、今でも平戸で作られています。「つじうら」といいます。

 そのお菓子の話の前に、辻占(つじうら)の説明を・・・。
 辻占は、日本に古くから伝わる占いです。道の辻にたち、すれ違う人の言葉に耳をすませ、これを神示とするものです。こうした辻占の風習が受けつがれる間に、未来や兆しを暗示するような言葉をかいたものを辻占と呼ぶようになりました。そういった紙片をお菓子と一緒に袋に入れて販売したものが辻占菓子と呼ばれるものです。
 辻占菓子の歴史は古く江戸時代後期くらいに登場。昭和初期くらいまで受け継がれていました。今では、だんだん少なくなって、北陸や京都の一部で辻占煎餅がつくられています。

 九州では、平戸と佐世保に残っている・・との情報を得たので、年末になるのを楽しみにまっていました。辻占菓子は、新年に使われるお菓子なので、作られるのは11月から12月にかけてだからです。

 平戸で作っているお店は「江代商店」です。
 今回、11月の終わりごろに電話をして、送っていただくようにお願いしていました。江代商店さん曰く、煎餅に占いを入れるので手間がかかる。注文から10日ほどかかる・・とのこと。送られてくる日をワクワクしながら待っていました。
 
 届いた「つじうら」


 
 
 このつじうらが届いた数日後、シュガーロードモニターツアーに参加することになったので、お支払いをかねて、お店を訪ねてみよう(幸いなことに、ツアーで唯一平戸は自由な時間があったので)そして、このつじうら煎餅がどんな風につかわれていたのか(いるのか・・)聞いてみよう・・・と思ったのでした。まさか今年中に平戸にいけるとは思っていなかったので、これはとてもラッキーなことでした。

 シュガーロードモニターツアーの平戸のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆

江代商店では、福岡から実際にお支払いに来た・・というのでびっくりされました。(お支払いの為にいったわけではありませんが・・・笑)そして、奥様と、おばあ様(なのかな?)がいろいろと教えてくださいました。

 年の瀬になると平戸ではこの「つじうら」の他に寒菊、へそ菓子、黒棒、一口香、などを一緒に買い求めるそうです。そして、三宝にこれらのお菓子と昆布や橙などをのせて、おてがけの準備をし、元旦の朝に、家族そろって福茶とつじうらをいただくのだそうです。

 そして、昔はこれらのお菓子を紙につつんで、子供たちにお年玉の代わりとして渡していたそうです。今では、お年玉として使われることはなくなったそうですが、神様へのお供えとして使われているそうです。

 お菓子の内容はそれぞれの家によって微妙に違っていて、子供の頃に親戚の家などでもらったりした時に、ここの家のは豪華・・とか、貰ったお年玉を見て子供心に思った・・というほほえましいお話を伺いました。知らないはずのお正月の風景なのに、お話を伺っていると、生き生きとその様子が思い浮かびます。いいな~・・・そんなお年玉。

 つじうらと共にお供えするお菓子。砂糖せんというのは、寒菊です。
 他にはかすてらぼうろ(丸ぼうろ) みかん(甘い軽焼きのようなお菓子) 一口香 ヘソ菓子
 
 
  
  ヘソ菓子はめずらしいですね。平戸や長崎独特のお菓子でしょうか。福岡では見かけないお菓子です。出回るのは、やはり年末だそうです。平戸ではこの時期、スーパーでも売っているらしいです。
  
  おばあ様のお話によると、以前は佐世保でも作っているお店があったが、今では作るのをやめてしまったとのこと。平戸でも、作っているのは江代商店だけなのだそうです。

  ・・・というわけで、今回はお鏡餅のほかに、我が家でも平戸風に、お菓子をお供えしようと思います。つじうらの中には、おみくじがはいっていますので、そのおみくじのことは、年が明けてからまたブログに書きますね。お楽しみに~~~

 お菓子の中身も年明けにお披露目しますね。

 それにしても、神様のお供えにもお菓子がつかわれるとは・・・。さすが、平戸・・・と思わずにはいられません。
 
***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 20:34Comments(0)番外編

シュガーロード モニターツアーに参加♪~長崎~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 先に書いた平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆
 諫早の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆ 
 諫早の眼鏡橋の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 最後の訪問地は長崎です。
 長崎では出島の見学と和菓子作りの体験をしました。

 出島は、日本が鎖国している時代に唯一開かれていた貿易の拠点でした。
 扇の形をした人工の島です。
 江戸時代、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止する為に作られました。住民と隔てるためです。ポルトガル人の来航が禁止されると、平戸のオランダ商館が出島に移されました。

 シュガーロードを語るとき、この出島は絶対にはずせない場所です。この出島に砂糖が届いてここから、全国に・・・・。まあいわば、すごろくの振り出しみたいな場所ですわね。

 そんな、こんなの出島の話を学芸員さんがしてくださいました。
 
 

 さすがに説明付きだと理解も早いし、真剣に聞きます。

 最初はカピタン部屋に立ち寄りました。この部屋は商館長の住まいとお客をもてなす場だったようです。晩餐会のようなしつらえが再現されてました。

 
 
 壁紙が独特ですね~。



奥から一番蔵 二番蔵。 一番蔵は主に砂糖を収蔵していました



 
三番蔵も砂糖の収蔵につかわれていました。


シュガーロードに関係の有るお菓子の数々




砂糖



 一部写真でご紹介しましたが、このほかにもいろいろと展示物があって、興味深く拝見しました。

 出島は、今、どんどん復元されています。
 島の位置はそのまま、江戸時代の建物は復元。明治時代の建物は当時のオリジナルのものを修復しているそうです。
 長期復元計画によると、四方に水面を確保して19世紀はじめの扇形の島に完全復元する予定だそうです。これも楽しみですね。


 さて、出島をざっと見学したら、旧長崎内外クラブに場所をうつし、そこで和菓子作り体験をしました。この旧長崎内外クラブの建物は、なんと明治時代の建物で、昔から今の場所に有る英国式洋風建築です。今はレストランとなっています。

 和菓子作りを教えてくださったのは、長崎の代表的なお菓子屋のご主人たち。
 ご紹介しますと、御菓子處双葉屋 千寿庵長崎屋 岩永梅寿軒です。
 とっても贅沢な講師陣です。

 これが和菓子の材料。練りきりとアンコ

 

 準備中です



 これが今回作る練りきりのお菓子。菊と椿です。


 お手本を見せてくださってその通りにするのですが、見ているのと実際にやってみるのは大違い。簡単そうに見えたのにね。
 みんなで一斉に練りきりをクルクルとお団子を作るように手のひらで転がしている様は、きっと傍で見ていたら面白い光景だったことでしょう。
 上手に出来た人も、四苦八苦した人も、みんなニコニコしていたのが印象的でした。お菓子作りは楽しい~~~・・・そんな雰囲気が満ち満ちていました。

 で、こんな感じに出来上がり・・・
 上の3つはお土産にいただいた双葉屋さんの【ふるーつ大福】
 下の二つが私が作ったものです。形は多少おかしくてもケースに入れたら何とか様になりました。
 

 駆け足で、平戸、諫早、長崎をめぐった今回の日帰りツアー。
 シュガーロードの中でも、このエリアのお菓子は特に種類も多く華やかです。機会をつくって、また訪れたい・・そんな気持ちにさせてくれます。
 お菓子の旅は美味しい&楽しい。お菓子の背景を知るともっと味わいが増すようなきがします。それは自分のいる、この九州を知ることにも繋がるような、そんな気がします。

 ***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます              


Posted by はなはな at 23:52Comments(0)番外編

シュガーロード モニターツアーに参加 ~諫早2~

2013年12月27日

2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 先に書いた平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆
 諫早の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 諫早の眼鏡橋は、諫早市高城町の諫早公園の池に架かっています。
 石造二連アーチ橋。二連のアーチが水面にうつる姿が眼鏡橋といわれるゆえんです。

 眼鏡橋といえば、長崎の眼鏡橋がおなじみ。私は小さい時に長崎に住んでいたので、眼鏡橋を背景に写った写真が数枚あります。そのせいか、無意識に可愛らしい感じの小さな橋を想像していました。

 ところが、諫早の眼鏡橋は、全然想像していたのとは違っていて、堂々とした石のアーチ橋は、周りをちょっと威圧する感じでした。

 この橋は1839年(天保10年)に現在地の近くを流れる本明川に架けられた橋です。諫早は洪水が多かったらしく、丈夫で洪水でも流されない橋を目指したそうです。その願いどおり、この橋は一度も流された事がなかったそうです。

 ところが、1957年(昭和32年)の諫早大水害の時に、眼鏡橋は流されなかったのですが、この橋がせき止めた流木や瓦礫が水の流れをかえ被害を拡大した・・という指摘がなされ、水害後の復興策では、川幅の拡張とともに橋を爆破解体する案もでたとか。

 当時の市長らが諫早のシンボルで、文化財で有るこの橋の保存を強調。さまざまな働きかけにより翌年の1958年(昭和33年)に日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定され、その後、諫早公園に移設されました。

 この橋はもちろん実際にわたることが出来ます。
 渡ると不思議な事に、行ったりきたりしたくなります。
 まだ、かすかに紅葉が残っていましたので、ちょっと風情の有る情景を見ることが出来ました。

 諫早に行ったときは、ぜひ諫早公園に行ってみてください。
 石造りのアーチ橋の美しい姿は、古の石工の技術の素晴らしさと、人々の願いを思いおこさせます。



 


 そのほか、諫早の名物で知らなかった事・・・。うなぎが名物なんですって。
 江戸時代から続く名物らしい・・・。次回はうなぎを食したい・・・・と思いながら、ツアーは一路長崎へ・・・と向かいましたとさw




***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 23:10Comments(0)

シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~諫早~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 平戸を後にして、次に訪れたのは【諫早】です。

 地図をみると、長崎県のくびれた部分に位置する、諫早。
 有明海、大村湾、橘湾と3つの海に囲まれています。長崎街道や島原街道も通り、交通の要所として栄えたであろう・・と思わせます。今でも、JR九州の長崎本線・大村線と島原鉄道がとおる交通要所です。砂糖も水、陸両方からはいってきたのかもしれませんね。

 歴史的には、戦国時代、龍造寺家晴がおさめ、初代、諫早家をなのり、その後、佐賀藩諫早領となりました。

 諫早のお菓子・・・というと、真っ先に思いつくのは、諫早おこし・・です。
 
 おこしは、歴史的には古いお菓子で、平安時代に唐菓子の一種として日本につたわったといわれています。
 東京の雷おこしや大阪の粟おこしを思い出す方も多いのでは・・。実は、シュガーロードのまわりでも良く見かける伝統的なお菓子です。例えば、鳥栖(佐賀県)の鳥栖おこし。佐賀の松原という地名が残るところには、昔、松原おこしがありました(今はありません)。松原おこし・・というと、唐津(佐賀県)に有名な松原おこしがあります。 久留米(福岡県)にも阿わやおこしがありますね。(シュガーロード沿いではありませんが)・・といった具合にです。

 おこし・・が興す・・に通じるということで、お家の繁栄を願った縁起菓子でもあるようです。

 さて、話を諫早おこしにもどしましょう。
 諫早で訪れたのは、おこしの老舗「菓秀苑 森長」の工場です。こちらで、おこし作りを見学、試食。それから、半熟 生カステラの試食をさせていただきました。
 
 


 菓秀苑 森長は、創業が1793年(寛政5年)。220年の歴史を持つお店です。
 最初の180年はおこしだけを販売していましたが、その後、カステラなどのいろいろなお菓子も作るようになった・・(代表取締役社長 森淳氏談)そうです。

 工場では、会長の森長之氏からお話をうかがいました。ガラス越しにおこしを作っているところも見学しましたよ。とても美味しそうな、よい匂いが漂ってまして、出来上がったばかりの、ピーナツおこしをいただきながらの見学でした。





 おこしの材料は、米・水飴・黒砂糖(黒おこしの場合)
 諫早は、長崎県で一番の米の産地だそうで、昔から農家がおこしを作っていたという。(森長創業以前から)
 「黒おこしが出来るまで」という手書きの可愛らしい解説レジュメ(これがものすごくわかりやすい解説でした♪)、ざっと作り方を書いてみると、白米を蒸して乾燥させ熱を加えて膨らましたもの(乾飯)がおこしのもとになるらしい。これに水飴と黒砂糖を加えて拡販、その後、枠に入れて手でのばし、長方形に機械でカットしたら出来上がり・・らしい。乾飯は、牛乳をかけて食べてもおいしいとのこと。(ちょっと気になりました)

 久しぶりに食べたおこしは、甘く香ばしく懐かしい味でした。小さい時によく食べたことをおもいだしました。諫早おこしは、雷おこしや粟おこしに比べてやわらかめだそうです。お土産に黒おこしを買ったのですが、これがまた、黒砂糖の味と独特な味わいがよく、やめられない、止まらない・・・状態に。もっとたくさん買ってくればよかった・・・

 おこしは古い伝統のあるお菓子でありますが、古臭いお菓子ではありません。今ではこんなにかわいいパッケージのおこしが・・・。puchi OKOC(ぷちおこしー)は、ちょい土産にいいですね~。



 工場のとなりには、あら・・・めずらしい。
 福岡の石村萬成堂と森長のダブルネームのお店がありました。
 両方のお店のお菓子が買えるんです。
 そちらに場所を移して、お楽しみ♪「半熟 生カステラ」の試食をさせて頂きました。


 
 この生カステラは2009年11月に発売されたものなのですが、紹介されると同時に爆発的に売れて大変だった・・・というお話を伺いました。伺いながら、その爆発的に売れた時に、お取り寄せを私はしたんだわ・・・と思い出し、ちょっとニヤニヤしてしまいました。テレビで紹介されているのを友人がみて、ぜひ食べたい・・と一緒にお取り寄せをしたのです。ただ、解凍がヘタだったのか、テレビでみたような「とろり~~ん」って感じではなかったので、今日はリベンジを・・と密かに思っていました。

 いただいた生カステラはこれです。とろり~~ん・・・ってなってました。リベンジできてよかった♪ 味は普通のカステラより卵の味が濃厚です。
 

 カステラはポルトガルがもたらした南蛮菓子です。カステラという名前はスペインのカステリアという古王国からという説が有力ですが、カステラという名前のお菓子はないそうです。スペインのビスコチョ、ポルトガルのパン・デ・ロー が近いもののようです。以前、ポルトガルのパン・デ・ローには、半熟のものがあるようにきいたことがあります。(うろ覚えなのでちょっと怪しい情報ですが・・・)半熟カステラをいただきながら、そんなことをふと思い出しました。

 今回の見学などを通じて、伝統のお菓子を守りながら、時代にあったお菓子も作っていく老舗の力を見た・・そんな感じがしたのでした。


 楽しい工場見学の後は、諫早の眼鏡橋を見に行きました。
 建築フェチ(私は洋館や石造りの橋など古い建造物が大好きです)としてはこれははずせない。詳細はまたページを改めて書くことにいたしましょう。




***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 22:54Comments(0)番外編

シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~平戸~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード連絡協議会主催のモニターツアーに参加しました。
 行き先は、西九州。 平戸・諫早・長崎です。なんて魅力的なコース・・・♪。
 
 ツアーで最初に訪ねたのは【平戸】です。
 平戸はお菓子好きにはたまらない町であります。とにかくお菓子屋が多い。伝統的なお菓子から、現代的なお菓子まで充実しています。

 今年は5月に平戸を訪れていますので、2回目の訪問です。
 5月に訪れた時のことはこちらを→☆☆☆
 
 ツアーの行程表をみて、唯一、自由散策の時間があるので、今回は、5月に行けなかったお店や食べれなかったお菓子を食べたいな~・・と密かに思っていました。それと、たまたま、平戸の江代商店から「つじうら」と言うお菓子を取寄せていた私。ちょうど届いたところだったので、お支払のついでに、「つじうら」についてもお話を伺いたいと思っていたら、立ち寄る事ができました。なんてラッキ~。この「つじうら」のことはまた改めて書くことにいたしますね。 

 平戸では、おもてなしキャラクターという方々がいらっしゃいまして、行政の方と一緒に私たちを迎えてくれました。おもてなしキャラクターは、平戸にかかわりの有る歴史上の人物にコスプレしている人たち。今日は道案内を担当。なので、サクサクと散策が効率よくできましたよ。

 私のグループを案内してくれた、三浦按針クンです。


 
 
 
最初に言ったのは、菓子処 津乃上。5月に訪問できなかったお店です。




 有名なのはお城の形をした平戸城もなか。もなかの皮が歯にくっつかないんだって・・(三浦按針クン談) 古いお菓子は、ごぼうもちと破れまんじゅう(お店の方談)写真の左下のお菓子は、千代香というらしいのですが、これが復元菓子の網笠そっくり。他の店でも見かけました。
復元菓子のことは、以前ブログに書いてますのでこちらをご覧ください→☆☆☆


次に訪れたのは、熊屋。創業240年くらい。牛蒡餅が有名。福岡にも支店があります。



これがごぼう餅。名前はごぼう餅ですが、ごぼうがはいっているわけではありません。形がごぼうに似ているのでこんな名前。米粉と砂糖でできてるお菓子、歴史は古く440年前に中国から伝わったらしい。



カスドースで有名な蔦屋。建物は按針の館と呼ばれている古い建物



蔦屋の中


カスドースの色は、平戸の黄金の日々を思わせます




商店街の中で発見。ジャパネットたかたの社長のご実家らしい・・・。



江代商店では、おらんだ焼きを焼いているところを見せていただきました。
おらんだ焼きのことも以前ブログに書いてますのでご覧下さい→☆☆☆

おらんだ焼き




この機械が一周すると焼き上がり・・となる。まわす速度は、すべて職人のカンだとか。



いちどきに生地を流す機械。



焼きたてのおらんだ焼きをいただきました。焼きたてはやわらかいのでびっくり。素朴な味わいでおいしかったですよ~。

余談ですが、おらんだ焼きは、北海道の根室でも作っているお店があります。その昔、北前船で平戸から、日本海側の港町に伝わったらしいのです。今でも残っているのが根室・・というわけ。形はそっくりですが、根室のは、ソフトせんべいなのですよ。

集合時間までちょっと時間があったので、最後にダッシュで丸屋菓子店にもよりました。前回たべそこねた、甘酒まんじゅうを買うためです。



 平戸は散策の楽しみが多い町です。
 今回は駆け足だったので行けませんでしたが、
 松浦史料博物館では、松浦氏の栄華が偲ばれますし、茶室 閑雲亭では、お茶とお菓子を味わう事ができます。
 市役所前の幸橋は可愛い石橋。ちょっと渡ってみたくなります。
 平戸ザビエル記念教会など、キリスト教関連の史跡も多いです。クリスマスの季節は特に素敵な気がします。
 平戸温泉 うで湯・あし湯も気になるところ。疲れたら一休み・・・によさげです。
 そして、平戸城。山の上に有る天守閣からの眺望は一度は見てみたいもの。
 
 長崎がどちらかといえば、中国風な感じだとすると、平戸は欧州の雰囲気のようなきがします。大航海時代の匂いがするのです。なるほど、歴史とロマンの島・・・なのであります。


***************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
****************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 22:10Comments(0)番外編

唐津街道~唐津 銘菓 「若緑」のこと~

2013年12月07日

 今年の4月25日に唐津に藤の花見のついでに数軒、菓子店を訪れました。
 詳細は、ブログのテーマ、唐津街道のところを見てくださいね。

 その時に、実は一軒、どうしても見つからなかった菓子店がありまして、なんど、その住所のあたりを車で廻っても見つけることができなかったのです。その住所のあたりにあった駐車場が、とっても悪い予感を・・・・。電話をかけてみても、呼び鈴はなるけれど、誰も出ない。

 で、その日はあきらめて、また改めて・・とそのままにしてました。
 
 昨日、お菓子関連の本を読んでいたときにふと思い出し、そういえば、商品を売っていたお土産店があったな・・・と思いつき、お問合せメールを送ってみました。

 本日、お返事をいただき、探していた菓子店が今年の3月で廃業なさったと教えてくださいました。
 廃業されたお店は大浦金盛堂といいます。
 跡継ぎがいらっしゃらなかったそうで、廃業となったようです。
 探していたお菓子は、「若緑」というお菓子です。
 見た感じ、かりんとうに似た感じの干菓子。
 茶席のお菓子です。

 お菓子についてもう少し詳しく書きますと、もともとは「みどり」といわれていたお菓子です。
 古いお菓子で、古文書などには1651年あたりに出てくるものです。
 小麦粉と砂糖を練り合わせた記事を3センチほどに切って、焼き上げ、外に砂糖蜜の衣をつけています。
 1800年後半には姿を消して行ったお菓子で、実は唐津の大浦金盛堂の「若緑」は江戸時代の「みどり」がそのままの姿で残っている物ではなかろうか・・というものでした。

 食べ損なってますので、味はわかりません。
 写真でお菓子を見る限り、白いかりんとうみたいな感じ。フィンガービスケットにも似てるかも。
 
 お菓子の調査をしていて毎度感じる事ですが、本当に時間が残ってない・・・
 大きな会社になっている菓子屋は心配ないのですが、個人でされている菓子屋がとても心配です。この個人でされている菓子屋に、とっても魅力的なお菓子があったりするので、本当はとても大切にしたいのです。廃業されるのは、大抵後継者が居ない・・というものです。本当に跡継ぎさんが居ない、もしくは後をついでも儲からない・・・あとを継ぐほどのものでない・・と思われての判断・・ということでしょうか。

 郷土に残るお菓子は素朴ですが、とても魅力的だと思います。町おこしの材料にもなります。地方に残されたお菓子を地域全体で遺していく努力が必要な時代になっているような気がしてなりません。廃業は菓子店一軒がなくなるだけではありません。郷土の菓子文化の消滅ということでもあるのですから。

 それにしても、今年の3月は東京の栄陽堂(大隈重信に関係の有るお店でした)も閉店してますし・・・。一つの節目がきているのかも・・・と焦りますね。


*****************************
~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
******************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます



  


Posted by はなはな at 19:48Comments(0)唐津街道

薩摩の郷土菓子 けせん団子

2013年10月26日


 


 



















 お向かいさんからお団子をいただきました。
 見ると「けせん団子」と書いてある・・・?けせん??ってな~に?

 郷土菓子研究家・・としては、これは捨て置けぬ(笑)
 というわけで、ちょいと調べてみました。

 けせん団子は、薩摩地方の郷土菓子です。
 けせん・・というのは肉桂(ニッキ)のことです。
 小豆と砂糖と米粉で作ったお団子をけせんの葉ではさんで、蒸したお菓子のようです。
 袋をあけると、ほのかにシナモンの香がします。(肉桂はシナモンの仲間です)この香が南の地方のお菓子の雰囲気を醸し出しています。






 


















 こんな感じのお団子です。
 細長く、中は黒いお団子。
 柏餅の色を黒くして細長くして・・みたいなお団子です。
 きっと肉桂の葉には殺菌作用なんかもあるんでしょうね。
 日持ちがしそうな気がします。(あくまでも私がそう思っているだけでまだ調べてません)
 
 薩摩菓子は、北部九州ではみかけない南九州特有のお菓子がたくさんあります。
 なんといっても、黒砂糖の産地をもってますからね。色の黒いお菓子が多いようなイメージです。それから、かるかんのようなお菓子のイメージ。素朴で飾らないお菓子が魅力的なんです。そのうち調べてみたいと思っています。


*****************************
~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
******************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道で今まで書いたことを見ることができます。

長崎街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます






  


Posted by はなはな at 21:56Comments(2)スイーツ女子の日々

唐津街道~福・博 鶏卵素麺その2~

2013年10月26日



 






  
 
















 昨年、秋に自己破産した松屋菓子舗が、鹿児島の蒸気屋に買収され復活いたしました。
 昨日はそのことをこのブログにも書きました。
 内容はこちらをご覧くださいね→☆☆☆

 昨日はお店のことを中心に書きましたので、肝心の鶏卵素麺について書いていませんでしたので、補足説明として書きたいと思います。

 鶏卵素麺は南蛮菓子です。
 煮えた砂糖(蜜状になってます)の中にじょうごのような器具を使って卵黄を流し込み、素麺のように細く固めたものです。
 南蛮菓子なので、長崎あたりから伝わっているはずなので、大昔は佐賀県あたりでも作っていたようなのですが、現存するのは福岡県。松屋菓子舗が秘伝を守ってきた・・ということのようです。

 その松屋菓子舗葉どこでこの鶏卵素麺の作り方を学んだのでしょう。
 松屋菓子舗の初代、松屋利右衛門が長崎で学んだとされています。で、筑前藩主、黒田光之公に献上したところ、たいそう喜ばれ、末代までのご用命と黒田家の家紋の使用をゆるされたそう。お殿様の驚きが想像できますね~。

 余談ですが、この松屋利右衛門さんは、豪商であった大賀家の手代さんだったそう。大賀・・・ときいて思い出しませんか?福岡に大賀薬局ってあるでしょう。大賀薬局はこの豪商、大賀家の末裔です。今でも、残っているんですね~。凄いです。

 鶏卵素麺は、南蛮菓子ですから、マカオやポルトガルにも似たようなお菓子がのこっているそうです。ポルトガルでは、このお菓子はケーキの飾りに使われていたそうです。飾りで使われていた部分が日本でお菓子として発展した・・ということでしょうか?カステラがケーキのスポンジ部分が日本で独自に発展させて今のカステラとなった・・ということを考えるとそれもありだな~という感じもします。オリジナルのものをつくるより、有るものをよりよく発達させるのが得意な日本人らしい発想という気がします。

 長いこと伝統を守ってきた松屋菓子舗も昨年秋に自己破産。幸いなことに、復活いたしましたが、このようなことは、南蛮菓子を伝えたポルトガルでもあるようで、伝統菓子をつくっている菓子屋が消えていっているようです。このことは、ただ菓子屋がなくなるだけではなく、食文化の消滅ということでもあるので、伝統菓子をいかにして現代に、そして未来につないでいくかが、今後の課題になっていくのだろうと思います。




*****************************
~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
******************************

このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道で今まで書いたことを見ることができます。

長崎街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます  


Posted by はなはな at 21:48Comments(2)唐津街道