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森永太一郎展 

2014年09月13日

 ある日のこと、新聞をのんびり眺めていたら、北部九州の博物館情報が掲載されていて、そこに、佐賀の博物館で開催中の展覧会情報が目に留まりました。

 え~~・・森永太一郎展だって(ワクワク・・・)これはいかなくては・・・

 そう思っていたら、Kさんから、都合が合えば一緒に行きましょう・・とのお誘い。が、結局都合がつかず、一人でバタバタといってきました。7日までの会期だったので滑り込みといった感じでした。

 シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べていて、面白い・・と思ったことは、戦前に4大菓子メーカーというのがあって、そのうちの3つの会社はなんと創業者が佐賀出身ということ。

 森永の森永太一郎 江崎グリコの江崎利一、新高製菓の森平太郎です。

 森永とグリコは今でも健在の大きなお菓子メーカー。新高製菓は今ではありませんが、戦前は台湾などで有名だったと聞いたことがあります。

 ちなみに4大菓子メーカーの残り一つは明治であります。チョコレートは明治♪…の明治です。
 もう一つおまけ情報、ペコちゃんで有名な不二家は明治43年創業、北陸製菓(今のブルボン)は大正13年に創業です。明治から大正にかけて、今でもおなじみの菓子メーカーが続々できていたんですね~。

 その中でも森永の森永太一郎は西洋菓子のパイオニア・・と呼ばれているのです。

 私は以前から、なぜ森永はエンゼルマーク??って思っていたので、それも解決したいと思ってましたので、とても興味がありました。

 展示会は、森永太一郎の生い立ちから森永製菓を興す話から、それぞれの時代のお菓子の変遷の展示でした。

 特にお菓子のパッケージはステキで、同じお菓子でもこんなに変わっているんだな~と興味深く拝見しました。創業時にはあか抜けない印象のものが、大正時代には、モダンでとっても素敵なデザインにかわり、昭和になると戦争の影がさしてくる・・みたいな感じ。見ていて飽きないな~・・。錆びたビスケットの缶ですら、眺めていたい感じでした。

 エンゼルマークは、森永太一郎はクリスチャンだったってことで解決。お菓子作りを神から与えられた天職と思っていたようです。エンゼルマークの誕生は、森永の西洋菓子の評判がたかまるにつれ、それを真似た海賊版(今でいうところの・・)のお菓子が出回りだしたので、その質の悪いお菓子と差別化を図るために考えられたシンボルマークだったそうです。
 エンゼルがもっているものはアルファベットのTとM。これは森永太一郎のイニシャル。ちなみに現在のマークは昭和61年から使用でデザインがかわってます。その以前のマークはアルファベットを持って天から降ってくる感じのマークでした。

 それから、会社として大きくなるには、重要な人との出会いがやっぱりあるようで、森永太一郎には松崎半三郎と出会ったことが大きかったようです。これは、ソニーやホンダにも通じるところ。職人だった森永太一郎に経営面をカバーする松崎半三郎とタッグを組んだことで大きな会社組織になりました。この松崎半三郎は2代目の社長になります。

 展示品をながめていたら、あの「お菓子のかんづめ」が年代別に並べてありました。これが欲しかったんだ…小さい時にね。へ~・・って感じ。

 大きな菓子メーカーのありふれたお菓子・・という印象で特に注意を向けていなかったというのが正直なところでありますが、少し調べるとやっぱり面白い話がごろごろしていて、もっときちんと調べなくては・・と思ったのが今回の発見でした。お菓子の歴史や創業の話は、やっぱり面白いな~。お菓子の数だけ物語がある・・・・・。これだから、調べて食べることはやめられまへんな~~。そのうちちゃんと森永製菓のことをUPしますね。

 博物館のロビーでおなじみのキョロちゃんを発見

 


 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 20:02Comments(0)佐賀

上島珈琲店で丸ぼうろ

2014年09月01日

 
 東京に戻っていたKさんから聞いた話。
 ある日、お兄さんが珈琲と丸ぼうろを持って帰ってきたそうで。
 丸ぼうろは、北部九州ではコンビニでも見かけるくらい、ちっとも珍しいお菓子ではありませんが、東京で見ることはほとんどないお菓子なので、これどうしたの・・・と根堀、葉掘りお兄さんに聞いて、それは上島珈琲店で売っているものだ・・・ということが分かったとのこと。

 上島珈琲ね~・・ 。UCCコーヒーといった方がわかりやすいかしらね。
 UCCが丸ぼうろを販売してるとはね。
 なんで、丸ぼうろ?
 もしかして創業者が九州人?なんて、いろいろと話が飛躍しましたが、調べてみたら、創業者は関西の人?みたいで、創業の地は神戸でした。違うね。こればかりはUCCに問い合わせてみないとわからないね。・・という話でおしゃべりは終了。

 で、本日、博多駅まで行ったので、上島珈琲店によって確認してみましたら、本当に売ってる。

 これ、ちゃんと佐賀のお菓子屋さん(大坪製菓)が作っている。佐賀ぼうろね。
 

 ちょっとモダンなパッケージに入っていると丸ぼうろもちょっとかっこいい感じ。
 西洋菓子なんて書いてある。

 丸ぼうろは、もともとはポルトガルから伝わったボーロがもとになっているといわれている南蛮菓子。

 だから?かもしれませんが、コーヒーにあいます。

 このことで、丸ぼうろが全国区になってくれればいいな~・・と、佐賀をルーツに持つ私としては思ってます。

 ちなみに、ぼうろ・・といえば、京都の衛生ぼうろ(卵ぼうろ)とかそばぼうろを想像する方も多いと思います。どちらも、クッキーのようなお菓子。このお菓子たちを想像しながら、佐賀の丸ぼうろを食べると、あれ?湿気が来てる・・と思うかもしれません。丸ぼうろは堅いクッキーのようなお菓子ではありません。柔らかいお菓子です。くれぐれもびっくりしないように。(笑)

 それから、丸ぼうろは佐賀が有名ですが、大分県の中津市のも有名なんですよ~。
 興味のある方は調べてみてね(笑)

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 19:59Comments(0)番外編スイーツ女子の日々