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夏休みの自由研究??

2014年08月16日

 いつも、長崎街道(シュガーロード)などスイーツ関連の私のブログを読んでくださってありがとうございます。

 夏休みの自由研究の影響でしょうか?近頃のブログの解析をみると、検索ワードは圧倒的に長崎街道、シュガーロード、松屋、長崎 お菓子の名前・・などが多いようです。

 近頃は、何を調べるにも、まずネット検索・・なので、こんな検索結果となっているのでしょう。

 検索ワードを見ていると、へ~こんなことまで検索するのね・・というものに遭遇します。

 例えば、あるお饅頭の直径とか、その断面の写真とか・・・。

 実際に買うのが惜しいのか?
 それとも遠方で買いに行けない?取り寄せられない?

 郷土菓子を調べているものとしては、できれば、実際にお店に行って、買って、食べてほしいな~と思ってます。郷土菓子はその地域に根差したお菓子が多いので、それを育てた地域、風土、もっといえば、その空の下で食べるのが一番おいしい・・と思っているからです。現地で作っているお菓子屋さんから話がきければ、尚、ラッキ~。(忙しい時は聞いちゃだめですよ)おいしさ倍増です。

 何を調べるにも、自分の足を使う。
 フィールドワークは大切だし、一番楽しい部分でもあります。

 どうぞ、この一番楽しい部分を大切に。

 

 
 
 写真は鳥栖の水田屋さんのすずめ最中
 こんな楽しい形のお菓子に出会えるのも、お菓子の調べものの醍醐味です。  


Posted by はなはな at 07:56Comments(0)スイーツ女子の日々

泉屋のクッキー

2014年08月09日

小さい時に食べていたものというのは、ずいぶんと大人になっても好物であることが多いようです。
 両親、とりわけ母がお菓子好きだったこともあって、小さい時からいろいろと食べさせてもらっていたようです。今では、こうしてお菓子のことを調べているのも、その影響かもしれませんね。

 今日のテーマの泉屋のクッキーもその思い出の味のひとつ。食べると懐かしい気持ちでいっぱいになります。小さい時にこのクッキーがお土産などでやってくると、どれから食べ用か・・と迷う楽しさ。そして人気のクッキーからなくなって、それでも残ることはなく・・という感じでした。

 昔は福岡のデパートにもお店が出てましたが、今では、地方銘菓のコーナーで見かけることが多いようです。懐かしかったので、アソートパックを買ってみました。



 
  泉屋の定番のクッキーが勢ぞろい。
  私が好きなのは、浮き輪の形のリングダーツです。
  このリングダーツにも物語があるそうなので、後ほどご紹介しますね。
  味は、素朴で正統派のクッキーといった感じ。今のクッキーより油脂が少ないきがします。なのでちょっと固めです。

 さて、すべてのお菓子に、誕生の物語があると、いつもこのブログにUPしてますが、この泉屋のクッキーにも素敵な物語がありました。

 詳しくは泉屋のHPにありますが、ちょっと簡単にご紹介します。
 
 泉屋はもともと明治・大正時代に大阪の船場で機械や鉄を扱っているお店でした。
 4代目、泉伊助とその妻園子は敬虔なクリスチャンで、子供の健康のためにと、気候の温暖な和歌山県に移り住みます。その地でアメリカ人宣教師のロイド夫人と出会いがクッキーとの出会いでもあったようです。
 ロイド夫人は子供のために自身でクッキーというお菓子を焼いてあたえていることを知った、園子は、栄養満点で美味しい食べ物を自分も作ろうと日曜学校の教室でクッキーづくりを習い始めます。
 しかし、クッキーづくりにはオーブンが必要。園子は当時とても高価なオーブンを注文し、届いたときに伊助に報告という作戦にでます。伊助は届いたオーブンを見て怒りもせず、園子のクッキーの勉強の手助けをしたようでした。夫婦の探求心は、ロイド夫人も太鼓判を押すほどのクッキーを作り出し、その中には、今でも泉屋の定番の形として残っているものもすでに出来上がっていたとか。

 その後、このクッキーづくりは評判をえて、昭和2年に個人ですが会社を興こし、その後の発展で今日のような企業の形になったそうです。

 そしてリングダーツの形は、企業理念をあらわしていて、泉屋のロゴにもなっています。
 浮き輪は荒波にあっても沈まない→人生の荒波を乗り越えていく→浮き輪が人を救うように、泉屋も社会の役に立つ会社でありたい・・・ということでした。この考えはクリスチャンであったことも影響しているのでしょう。

 ざっと、内容をまとめて書きましたが、詳しくは泉屋のHPをご覧になってくださいね→☆☆☆


 お菓子の歴史を調べていると、明治から大正・戦前の昭和にかけてできたお菓子には、栄養があるから・・と作り始めたというものがかなりあります。おなじみのグリコも元々はグリコーゲンを生かしてお菓子はできないかな・・ということから始まってますし、カステラを見てこれは病人に良い・・と作り始めた話もあります。今ではお菓子は嗜好品ですが、昔は補助食品的なものもあったとうことでしょう。それだけ、昔の食事が質素だったということですね。

 今、NHKの朝ドラで「花子とアン」があってますが、話の中で女学校時代にクッキーと紅茶でお茶の時間を楽しむシーンがありました。昔のハイカラなご婦人が習ったクッキー、宣教師から習ったクッキーもあんな感じだったのかなあ・・・・・と思って興味深くみました。キリスト教と一緒にやってきたお菓子の一つかもしれませんね。
 そういえば、明治生まれの祖母が、若い時に東京のキリスト教関係のおうちで行儀見習いに入っていた時、クッキーの作り方を習ったと母が言ってました。母が小さい時に作ってもらったといっていたことを思い出しました。泉屋のクッキーが好きだったのはそれも影響していたのかなあと思います。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます


 
  


Posted by はなはな at 15:57Comments(0)お菓子ストーリー

雲仙銘菓 湯せんぺい その2

2014年08月08日

先日、Kさんにもらった湯せんぺいのことを先日ブログにUPしました。
 まだ、読んでいない方はこちらを見てくださいね→☆☆☆

調べていたら、湯せんぺいは、雲仙と小浜町で10数軒の菓子屋がつくっているとのこと。で、味が店によって微妙に違う・・・ということでした。
 ホントかな・・・・?
 他の店のものも食べてみたい・・と思い立ち、そういえば、博多阪急で見かけた気がする・・と思いだし、買ってきました。

 買ってきたのは、小浜町の三宅商店のものです。写真では右のもの。紐がかかっている方です。湯せんぺいの箱や包装の柄は、よく似ていますが、微妙に店ごとに違います。デザインは、どちらも同じ国立雲仙公園と島原の地名が書かれています。このデザインがなかなか粋であります。




 
 三宅商店の湯せんぺい。店のマークは山のしるし(雲仙の普賢岳か?)の下に三です。



 
 遠江屋の湯せんぺいとともに。上が三宅商店、下が遠江屋。
 デザインはほぼ同じ。それぞれにお店の屋号のマーク入り


 
 大きさが微妙に違います。
 遠江屋の方が5mm大きい。
 色は三宅商店のもの(上)が濃い色です。
 香りは、遠江屋の方が、強い華やかな香り。甘そうな、卵煎餅の香り。
 甘い匂いは遠江屋が強かったのですが、食べてみたら、三宅商店の方が甘いかなあ・・という感じ。配合がそれぞれの店で違うのでしょう。かすかですが、違いがあります。

 湯せんぺいは、いろいろなお店のものを食べてお気に入りを探すのも楽しいかもしれません。

 その昔、雲仙が避暑地としてデビューしたころ、温泉の湯が体に良いので・・と旧島原藩の松平公が、お湯を使ってせんぺいを焼かせたのが発祥ともいわれている湯せんぺい。品の良い甘さと軽い食感の卵煎餅は、和製ゴーフルといっても良いお菓子です。懐かしい、古いお菓子ですが、時々食べたくなるお菓子でもあります。
 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:02Comments(0)番外編

シュガーロード 武雄温泉 百合羊羹

2014年08月04日

久しぶりに長崎街道(シュガーロード)のお菓子に戻ってきました。
 近頃はこの長崎街道からはみだして、いろんなお菓子のことを書いてますが、お菓子のことを調べるきっかけになったのは、この長崎街道なのです。
 きっかけなどなど、調べ始めたころのことは、ブログのテーマで長崎街道(シュガーロード)のところを見てくださいね。

 さて、今日のお菓子は武雄温泉の百合羊羹です。
 武雄温泉は長崎街道でみると、塚崎宿のあたり。
 このあたりは今でも長崎街道の面影を残している宿場町が続きます。行ったことがないので詳しくは書けませんが、特徴的なお菓子が残る魅力的なエリアです。

 百合羊羹は、Kさんからのお土産。
 武雄温泉で、現地のガイドさんに古いお菓子屋をきいたら、この百合羊羹に行きついたらしい。
 武雄温泉に行って買ってこなくては・・と思っているお菓子でしたので、狂喜乱舞(私)感謝です。

 百合羊羹をつくっているのは、山里屋菓子老舗。
 創業は天保年間。160年ほどの歴史がある老舗です。

 百合羊羹はその名の通り、ユリ根と白あんを混ぜて作る羊羹。
 ユリ根は、そういえば以前佐賀に行ったときに買ったお菓子にも使われていました。
 そのことは、こちらに書いてますので、興味のある方はご覧くださいね→☆☆☆


 漢方にも使われるユリ根。この薬効がお菓子に生かせないか・・と思ったのが、お店の4代目だった山口佐平さん。(現在の代表は7代目にあたるそうです)それから90年ほど作り続けられているお菓子のようです。










 これが百合羊羹。
 白あんの羊羹です。上品な色合いがとても魅力的。

 羊羹を撮影するときにいつも思うのですが、本当に和菓子の中でもフォトジェニック。
 薄く光に透ける色合いといい、光の加減で変わる表情といい、かの夏目漱石が絶賛しただけのお菓子だけあります。夏目漱石の草枕の中の羊羹の描写は、お菓子を調べている人にはおなじみですが、溺愛かげんが計り知れる・・のです。ちなみに、夏目漱石の描写した羊羹は、東京の藤村の羊羹だそうですが、このお店も近年廃業されました。とても残念です。

 さて、話を百合羊羹に戻しますが、白あんにユリ根を裏ごししたものを混ぜているとのこと。食べてみましたら、ユリ根の味というより、白あんのマメに風味がとても豊かで、とても味に表情があるのです。白あんの羊羹というのは、きっとユリ根の風味がアズキだと消えてしまうからかも。子の羊羹の味は、私個人としては好きなタイプの羊羹で、直方の白ダイヤ(羊羹の名前ですよ)と同じくらい好きだわ・・と思いました。

 今度は、現地に行ってお話を聞かなくては…と思っています。武雄には他にもお菓子があるので楽しみです。

 Kさんがこの百合羊羹を買うときにお店の方に「友達がお菓子を調べてるので・・」といったら、この間、あるテレビの番組でやはりシュガーロードのことを調べていてロケがあったとのこと。番組の放映はもうあったのかしら?と気になるところです。

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 10:58Comments(0)

雲仙銘菓 湯せんぺい

2014年08月04日

 先日、Kさんから電話があり、雲仙に来てるので、古いお菓子とかあったら買ってきて下さるという。
 すかさず、【湯せんぺい】をお願いしておいたら、ちゃんと買ってきてくださいました。それも、遠江屋のもの。感謝、感謝であります。

 雲仙は、日本で初めて国定公園に指定された場所。明治以降は在留外国人の避暑地として栄えました。軽井沢みたいな感じだったのかなあ?そのせいか、ちょっと上品な雰囲気がありますもんね~(私の個人的な感想です。あくまでも・・・)

 湯せんぺいもこの時期に生まれたお菓子らしい。誕生にはいろいろな説があるようで、これは直接雲仙に行ったときに確かめようと思います。

 卵と砂糖と小麦粉で作られている卵煎餅。
 九州のお菓子は卵と砂糖と小麦粉を使っているものが多いのは、いつもこのブログにも書いている通りですが、煎餅も卵煎餅が多いですね。草加せんべいとか米を使った煎餅とは違ったお菓子。煎餅とはいうものの、こちらは洋風の雰囲気です。ちなみに煎餅と書いてせんぺいと読むことも多いのも九州のお菓子の特徴。でも、絶対・・というものでもないので、このあいまいさも、九州人の気質ににてて、おおらかな感じです。

 この湯煎餅、フランス菓子のゴーフルにも似てる・・・・と思っていたら、フランス煎餅がルーツかも・・という説もあるらしいのです。

 食べてみたら、和製ゴーフルという感じ。煎餅と思えば、卵煎餅だし、ゴーフルと思えば、ゴーフルかも・・という感じ。昔、避暑に来ていた外国人たちは、アイスクリームに添えるウエハースの代わりにしていた・・という話もあるらしい。なるほど、合うかも・・・・試してみようか・・という気になります。

 今回、頂いた湯煎餅。 遠江屋本舗のもの。パッケージが良いですね~。





 


 〇にト 遠江屋のマーク?デザインが良い感じ。
 食べると、あっさりした卵煎餅という感じ。
 品の良い甘さ。
  
 今回は頂いたお菓子なので、ざっとアウトラインのみ書いてます。
 実際に訪ねて、お話を伺えば、もっと面白い発見があるかもしれません。
 後日のお愉しみ・・ですね。

 ちょうど、ゴーフルも取り寄せたいものがあるので、これも後日のお愉しみです


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 10:46Comments(0)番外編