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【京都】 修道院の乙女菓子 

2015年02月25日

日本のあちらこちらにある修道院で、お菓子が作られていることを知ったのは、昨年の夏ごろだったかなあ。乙女菓子と称して、修道院のことやそこで作られているお菓子の紹介をしてる本を見つけたのがきっかけでした。

 私にとって手作りというものは、どうも気になる存在のようで、そこに紹介されていた、飾らない、素朴な温かみを感じるお菓子たちは、昔、小さかった時に母が作っていたお菓子にも似ていて、とても心惹かれるものでした。

 京都には、京都カルメル会修道院があるのですが、今回の京都滞在では時間がなくて行けそうにありません。どうしよう・・とおもっていたら、あったんです。京都には、修道院のお菓子を扱っているお酒屋さんが。それも錦市場の近くに。ここならいけそう・・とお邪魔してきました。

お店はタキノ酒店といいます
こんな看板が目印でしたよ









お酒屋さんのなかには、修道院のお菓子が沢山♪ありました


 
なぜ、お酒屋さんで修道院のお菓子を販売しているのでしょう?
お尋ねしてみたところ、まずクリスチャンだったということ。
で、50年前くらいから、修道院のお菓子を販売していたところ、近頃は雑誌にとりあげられるようになって、どうも日本全国をさがしても、こんなに修道院のお菓子を扱っているお店はない・・と言うことに気が付かれたそうです。雑誌や本を見てこられるお客様も多いので、酒屋はどこにでもあるけれど、修道院のお菓子は珍しいのでちょっと力を入れてみようか・・と思われたとのこと。
修道院のお菓子は、添加物などが入っていないので、やさしい味が特徴。
ただ、近頃は、シスターになる人も少なくなって、どこの修道院も高齢化が進んでいるとのこと。
寂しい話ですが、お菓子を作れなくなっている修道院も出始めている・・とのことでした。

ここにも高齢化の問題。町の小さな和菓子屋さんが直面している問題と同じです。

やさしい味をいつまでも・・そう願わずにはいられないですね~。



  


Posted by はなはな at 20:16Comments(0)番外編

【京都】 村上開新堂 ~ときめきのクラッシック菓子~

2015年02月21日

東京の村上開新堂のお菓子のことを友人にお願いしていた時のこと。
 
 ふいに
 「村上開新堂って京都にもあるよね~」と友人がいいだして、
 「?」

 調べてみたら有りました。
 同じ名前のお店が。
 で、なんとなくだけど、クッキーも似てる。
 親戚かな??とおもっていろいろとしらべていたら、なんとなく沿革もわかってきて
 ほうほう・・そうなんや・・って感じ。
 よく東京が本店、京都が支店なんて思われてる方がいらっしゃるようですが、そんな関係ではありません。親戚ですが、別物のお店と思っていただいた方が良いと思います。

 この二つのお店の大きな違いは、東京の村上開新堂は一見さんおことわり。紹介者がないとかえないのです。
 京都は、一見さんでも買えます。但し、クッキーの詰め合わせは、予約制となってる。今からだと4月になる・・と言われたくらいちょっと待たされる。あと、京都のお店にはロシアケーキなるものがある。これは東京にはないお菓子。

 今回、京都へ行こう・・・と思い立った最大の理由はこのお店に行きたかったからなのであります。

 前置きはさておき
 京都の村上開新堂は明治40年創業。京都で一番古い洋菓子屋さんであります。
 現在のお店の建物も古く昭和10年のものだそうで、京都は戦災にあっていないので、無事だったことを考えると、本当によかったと思えるくらいのなんとも趣のあるかわいらしい建物でした。

これがその建物





扉なんか、洋館建築フェチにとっては垂涎のしろもの
をす・・・だって。時代やねえ~~






 これが ときめきのクラッシック菓子(と、勝手に私がよんでいる)
 ロシアケーキ
 本当は5種類あるんですが、なぜか、4種類しか買ってこなかった(バカバカ・・反省)
 上から チョコ その下ジャムが見えてるのがアプリコット その左がぶどうジャムサンド 下がレーズンです。他にゆずジャムサンドがあります。
 見た目もレーズンの感じがレトロ感満載って感じでときめきます。赤いチェリーなんて近頃見かけないもんねえ。
 味は、油脂分の少ないビスケットって感じ。ぱさぱさだとか、喉に詰まる・・とか書いてる人もいたけれど、私はこの油脂の少ないビスケット風のクッキーは好きです。泉屋のクッキーが好きな人は好きかも(少し似てる)懐かしい味ですよ。



 

 お店で一番古いお菓子はこのロシアケーキかと思っていたら、お店の人が違うという。

 一番古いのは「好事福盧」(こうずぶくろ)という紀州みかんのゼリーらしい。みかんの時期が終わったらおしまい・・と言うお菓子。毎年11月から翌年3月までのお愉しみらしい。
 気にはなったが、帰ることを考えて今回はやめておきました。

 その代り、クッキー缶の予約をしてきましたよ。4月に届く予定。たのしみであります。


 京都へ行ったときにはぜひのぞいてみてください。
 場所などは検索していただければ、必ず出てきますよ。
  


Posted by はなはな at 09:41Comments(0)番外編

京都 虎屋饅頭

2015年02月16日

先日、京都へ行ってきました。
京都は和菓子屋さんがたくさんあるところ。千年の都は他の都市とは一味違う気がする。
その中で、私がどうしても食べたかったのは、虎屋の【虎屋饅頭】
虎屋といえば、羊羹・・と思ってるでしょっ♪
ふふふ・・実はこの寒い季節だけ、販売される酒饅頭があるのです。
虎屋の直営店で販売されていて、通販で買えない饅頭。
京都へ行くことになって、早速、虎屋の四条店さんに電話してきいてみたら、確かに虎屋饅頭は販売されていて、でも数に限りがあるので絶対に予約したほうが良い・・とおっしゃる。ならば・・と二個予約しておいたら、当日、お店で「予約されていてよかったですよ~。たくさん買ったお客様がいらして、すべて完売してしまったところでした。」とのこと。
冬の間だけ、そして地方では手にはいらないお饅頭は、知る人ぞ知るのお饅頭で人気があるよう。
スイーツ好きの考えることは皆同じということでしょう(笑)



 これが虎屋饅頭。
小ぶりの酒饅頭。
完璧な形・・・。宇宙をかんじるわ(というのは、おおげさかw)







中は黒餡
甘くないかとおもっていたら、上品な甘さが口に残り、甘党としては、それがうれしく感じられる。
近頃は甘さ控えめ・・との考えから、味もそっけもないあんこに出くわすことが多いのだけれど、この餡の味には好意をもった。

虎屋饅頭は、酒饅頭である。
酒饅頭というのは、酒種の酵母の力で膨らませる饅頭のこと。

饅頭の歴史を調べると、饅頭の製法には二つの流れがある。大まかにわけるとだけど。
一つは、奈良の塩瀬饅頭の祖 林浄因による「薬饅頭」これはふくらし粉を使って膨らませる製法。塩瀬饅頭は今でもちゃんとあるから、奈良は饅頭発祥の地といわれている。

もう一つは、博多(福岡)に伝わった「酒饅頭」
資料によると、1241年に宋に留学していた円に弁円(後の聖一国師)が帰国。博多の町
で布教中にお世話になった茶屋の主人に酒饅頭の製法を伝えたといわれている。
この茶屋の主人は、栗波吉右衛門といい、聖一国師から、「虎屋」の屋号と、「御饅頭所」の看板を書いてもらったらしい。
なので、酒饅頭は虎屋饅頭といわれた。
残念なことに栗波吉右衛門の虎屋はすでに無くなっている。
「御饅頭所」の看板は、戦前に東京の虎屋に伝わっていて、そのrぷレプリカは、博多の老舗だった松屋菓子舗にあった。
栗波吉右衛門の虎屋と東京の虎屋の関係は不明。
( 余談だけど、和菓子屋・饅頭屋に、虎屋○○という屋号が多いのは、虎屋=饅頭ということなのだろう。)

博多(福岡)の町になにげに酒饅頭を作っている饅頭屋が多いのは、伝わった土地だからだろうか?紅白の甘酒饅頭は、小さい時に祝い事の度にもらったような気がする。

が、とにもかくにも、お店がすでにないというのは、弱いもので、饅頭発祥地としての自覚も、博多にはすでにない気がする。
もったいない。
奈良に負けてなるものか…と思うのだけど、あっさりとこだわらない・・というのも、博多っ子らしいといえばらしい。
  


Posted by はなはな at 20:48Comments(0)番外編

上島珈琲店で丸ぼうろ

2014年09月01日

 
 東京に戻っていたKさんから聞いた話。
 ある日、お兄さんが珈琲と丸ぼうろを持って帰ってきたそうで。
 丸ぼうろは、北部九州ではコンビニでも見かけるくらい、ちっとも珍しいお菓子ではありませんが、東京で見ることはほとんどないお菓子なので、これどうしたの・・・と根堀、葉掘りお兄さんに聞いて、それは上島珈琲店で売っているものだ・・・ということが分かったとのこと。

 上島珈琲ね~・・ 。UCCコーヒーといった方がわかりやすいかしらね。
 UCCが丸ぼうろを販売してるとはね。
 なんで、丸ぼうろ?
 もしかして創業者が九州人?なんて、いろいろと話が飛躍しましたが、調べてみたら、創業者は関西の人?みたいで、創業の地は神戸でした。違うね。こればかりはUCCに問い合わせてみないとわからないね。・・という話でおしゃべりは終了。

 で、本日、博多駅まで行ったので、上島珈琲店によって確認してみましたら、本当に売ってる。

 これ、ちゃんと佐賀のお菓子屋さん(大坪製菓)が作っている。佐賀ぼうろね。
 

 ちょっとモダンなパッケージに入っていると丸ぼうろもちょっとかっこいい感じ。
 西洋菓子なんて書いてある。

 丸ぼうろは、もともとはポルトガルから伝わったボーロがもとになっているといわれている南蛮菓子。

 だから?かもしれませんが、コーヒーにあいます。

 このことで、丸ぼうろが全国区になってくれればいいな~・・と、佐賀をルーツに持つ私としては思ってます。

 ちなみに、ぼうろ・・といえば、京都の衛生ぼうろ(卵ぼうろ)とかそばぼうろを想像する方も多いと思います。どちらも、クッキーのようなお菓子。このお菓子たちを想像しながら、佐賀の丸ぼうろを食べると、あれ?湿気が来てる・・と思うかもしれません。丸ぼうろは堅いクッキーのようなお菓子ではありません。柔らかいお菓子です。くれぐれもびっくりしないように。(笑)

 それから、丸ぼうろは佐賀が有名ですが、大分県の中津市のも有名なんですよ~。
 興味のある方は調べてみてね(笑)

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 19:59Comments(0)番外編

雲仙銘菓 湯せんぺい その2

2014年08月08日

先日、Kさんにもらった湯せんぺいのことを先日ブログにUPしました。
 まだ、読んでいない方はこちらを見てくださいね→☆☆☆

調べていたら、湯せんぺいは、雲仙と小浜町で10数軒の菓子屋がつくっているとのこと。で、味が店によって微妙に違う・・・ということでした。
 ホントかな・・・・?
 他の店のものも食べてみたい・・と思い立ち、そういえば、博多阪急で見かけた気がする・・と思いだし、買ってきました。

 買ってきたのは、小浜町の三宅商店のものです。写真では右のもの。紐がかかっている方です。湯せんぺいの箱や包装の柄は、よく似ていますが、微妙に店ごとに違います。デザインは、どちらも同じ国立雲仙公園と島原の地名が書かれています。このデザインがなかなか粋であります。




 
 三宅商店の湯せんぺい。店のマークは山のしるし(雲仙の普賢岳か?)の下に三です。



 
 遠江屋の湯せんぺいとともに。上が三宅商店、下が遠江屋。
 デザインはほぼ同じ。それぞれにお店の屋号のマーク入り


 
 大きさが微妙に違います。
 遠江屋の方が5mm大きい。
 色は三宅商店のもの(上)が濃い色です。
 香りは、遠江屋の方が、強い華やかな香り。甘そうな、卵煎餅の香り。
 甘い匂いは遠江屋が強かったのですが、食べてみたら、三宅商店の方が甘いかなあ・・という感じ。配合がそれぞれの店で違うのでしょう。かすかですが、違いがあります。

 湯せんぺいは、いろいろなお店のものを食べてお気に入りを探すのも楽しいかもしれません。

 その昔、雲仙が避暑地としてデビューしたころ、温泉の湯が体に良いので・・と旧島原藩の松平公が、お湯を使ってせんぺいを焼かせたのが発祥ともいわれている湯せんぺい。品の良い甘さと軽い食感の卵煎餅は、和製ゴーフルといっても良いお菓子です。懐かしい、古いお菓子ですが、時々食べたくなるお菓子でもあります。
 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:02Comments(0)番外編

雲仙銘菓 湯せんぺい

2014年08月04日

 先日、Kさんから電話があり、雲仙に来てるので、古いお菓子とかあったら買ってきて下さるという。
 すかさず、【湯せんぺい】をお願いしておいたら、ちゃんと買ってきてくださいました。それも、遠江屋のもの。感謝、感謝であります。

 雲仙は、日本で初めて国定公園に指定された場所。明治以降は在留外国人の避暑地として栄えました。軽井沢みたいな感じだったのかなあ?そのせいか、ちょっと上品な雰囲気がありますもんね~(私の個人的な感想です。あくまでも・・・)

 湯せんぺいもこの時期に生まれたお菓子らしい。誕生にはいろいろな説があるようで、これは直接雲仙に行ったときに確かめようと思います。

 卵と砂糖と小麦粉で作られている卵煎餅。
 九州のお菓子は卵と砂糖と小麦粉を使っているものが多いのは、いつもこのブログにも書いている通りですが、煎餅も卵煎餅が多いですね。草加せんべいとか米を使った煎餅とは違ったお菓子。煎餅とはいうものの、こちらは洋風の雰囲気です。ちなみに煎餅と書いてせんぺいと読むことも多いのも九州のお菓子の特徴。でも、絶対・・というものでもないので、このあいまいさも、九州人の気質ににてて、おおらかな感じです。

 この湯煎餅、フランス菓子のゴーフルにも似てる・・・・と思っていたら、フランス煎餅がルーツかも・・という説もあるらしいのです。

 食べてみたら、和製ゴーフルという感じ。煎餅と思えば、卵煎餅だし、ゴーフルと思えば、ゴーフルかも・・という感じ。昔、避暑に来ていた外国人たちは、アイスクリームに添えるウエハースの代わりにしていた・・という話もあるらしい。なるほど、合うかも・・・・試してみようか・・という気になります。

 今回、頂いた湯煎餅。 遠江屋本舗のもの。パッケージが良いですね~。





 


 〇にト 遠江屋のマーク?デザインが良い感じ。
 食べると、あっさりした卵煎餅という感じ。
 品の良い甘さ。
  
 今回は頂いたお菓子なので、ざっとアウトラインのみ書いてます。
 実際に訪ねて、お話を伺えば、もっと面白い発見があるかもしれません。
 後日のお愉しみ・・ですね。

 ちょうど、ゴーフルも取り寄せたいものがあるので、これも後日のお愉しみです


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 10:46Comments(0)番外編

熊本の朝鮮飴のこと

2014年05月14日

5月1日に阿蘇にいってきました。
 お目当ては、JR阿蘇駅にできた「レストラン火星」と阿蘇神社と朝鮮飴。
 このブログでは、朝鮮飴のことを書いています。

 阿蘇神社をあとにして、熊本までもどってきました。
 熊本は、加藤清正公が作った熊本城があります。清正公は土木や建築に才能があった方だったようです。あの石垣をみると、素晴らしいの一言ですもんね。熊本城の石垣は、美しく、ちょっと色気があるので好きです。加藤家が改易となった後は、細川氏の城下町となりました。でも、加藤清正公の人気は衰えず、細川氏もその点にはかなり配慮して治世を行ったといわれています。
 加藤清正公というと、虎退治・・・を思い出しますが、今回熊本に立ち寄ったのも、実は清正公に関係あるモノが欲しかったからなのでした。

 熊本でのお目当ては、もちろんお菓子です。
 
 それは・・・・・老舗 園田屋の「朝鮮飴」です。
 お店を訪ねたら、お~~~~…すごい。古くてステキ♪



 
 (写真の吹き出しみたいなものは、お店の紹介がかかれているものです)


  
  お店の名前の上に創業天正年間・・とあります。
  天正年間って安土桃山時代だ~・・・。

  お店のなかで、朝鮮飴と柿球肥の試食をいただきながら、ちょっとだけお店の方とお話をしました。いただいた、朝鮮飴と柿球肥、どちらも懐かしい味でした。朝鮮飴の味は小さいときから知っている味。実は父の好物でしたから、小さいときから食べてました。ボンタン飴の味に似てるとも思いました。ボンタン飴も父の好物。なるほど好きなはずだわ・・と改めて思いました。柿球肥は、柿がきらいなので、大丈夫かな・・って思いましたが、全く心配無用といったおいしさ。こちらの方が甘いお菓子でした。

 さて、なんで朝鮮飴という名前なのでしょうか?
 答えは、いただいたしおりに書いてありました。もともと、このお菓子は園田屋の開祖 初代園田武衛門によって創製されたもので、当初は、長生飴といっていたようです。加藤清正が特に寵用したお菓子で、文禄、慶長の役に、朝鮮に携行し、長期の口糧としてよく保存に耐えたことに感銘せられ、朝鮮飴といわれるようになったそうです。

 主な原料はもち米と水あめと砂糖。


 
 日持ちはしますが、長くおくと固くなります。が、その時はお湯をかけたり温めると柔らかくなるそうでさすが、備蓄に向いているお菓子であります。

 なんで、名前が餅でなくて飴なんだろう?
 家に戻って食べながらふと思いました。またお店に行って聞いてこようかな。

 これが朝鮮飴  小箱の方は、粉から出して1枚1枚銀紙で包んだものだそうです。
 今の時代に合わせた仕様ということでしょうか。確かに粉が散らないので便利です。
 

 普通の朝鮮飴はこんな風に片栗粉のなかにはいってます。


 
 ちょっと掘ってみましょう(笑)
 



 柿球肥は、この朝鮮飴に肥後特産の柿の風味を加えたお菓子です。こちらは新しいお菓子だそうですが、出来上がったのは明治36年だそうです。園田屋は400年以上の歴史があるので、明治時
代はまだ時代としては若い方になるのかも。

 柿球肥です。


 こちらは少し黒っぽい。周りの白いところは砂糖です。
 なので、食べるとダイレクトに砂糖の甘さが口に広がります。
 苦いお茶、コーヒーがあいますね~。


 
 シンプルな形と味はお茶菓子にぴったり。朝鮮飴に比べて、モダンな感じ。

 小さいときからよく知っているつもりだったお菓子でしたが、歴史を知るとちょっと味わいが増す気がします。いつでもそうですが、お菓子には物語があって、それが楽しい&美味しいのだ・・と改めて思いました。
 園田屋はお菓子だけでなく建物がとても良くて、魅力的。また行きたいな~。店の外に求人募集の張り紙がしてあって、熊本に住んでたら応募するな~ってちょっとだけ思いました。

 熊本にはほかにも調べたいお菓子があるので、また行かなくっちゃね。次回のお愉しみ・・、なんだか近頃は宿題が多いなあ~。

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 20:16Comments(0)番外編

薩摩菓子~げたんは~

2014年03月17日

近所の人から、お菓子をいただいた。
 見てみたら、な~~んと、「げたんは」ではあ~りませんか
 このお菓子、博多阪急でみかけたんだけど、たくさん入っているので買うのをためらっていたところだったので、大喜びです。近所の人は、私が郷土菓子を調べていることは知りません。偶然なんです。シンクロだわ。。

 ・・というわけで、本日のテーマは「げたんは」です。

 げたんは・・・というのは、下駄の歯という意味。
 形が下駄の歯に似ている・・というわけ。

 このお菓子の原料は、小麦粉 卵 黒糖であります。
 
 このお菓子と同じ仲間で、「黒棒」 「黒ん棒」というお菓子があります。こちらの方が、福岡では一般的ね。スーパーなどのお菓子のコーナーで売ってます。材料は、げたんはと同じ。ちょっと黒棒の方が、ドライ(乾燥してる)。げたんは、しっとりしてます。半生みたいな感じです。

 これが、げたんは


 
 袋を開けると、黒糖の良い香りがします。
 袋の下の方に蜜がたまってました。下に行くほどしっとりしてました。
 黒棒だと、このような蜜はしっかり固めてあります。液体でみることはないわね。
 げたんはが半生なのはこれが原因?


 
 形は不等辺三角形



 
 断面をみると、黒棒と同じです。



 黒棒の由来は、南蛮菓子のビスコッティ、ビスコチョ・・・という説があるようで、日本風にしたものがこのような黒棒やげたんは・・とうことらしいです。

 黒棒は、九州の郷土菓子ですが、今では大量生産されてあちこちで見られるようになったそうです。げたんはは、鹿児島の郷土菓子として、主に物産展などで見られるようですよ。

 薩摩菓子は素朴ですが、ご当地ならではのものが多い気がします。今年はぜひ、現地で食べてみたい…と思っています。


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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:36Comments(0)番外編

唐津街道~ 唐人町 加美屋製菓~

2014年03月16日


唐人町商店街は江戸時代、唐津街道でした。唐津街道は、唐津藩、福岡藩の藩主が参勤交代で使った街道です。

 この商店街に、江戸時代から続いている古い菓子屋があります。
 それが、加美屋製菓です。看板に享保2年とかいてある。すごい。

 1日と15日は、はとポッポというお菓子が販売される・・・という話をネットで見つけたので行ってきました。

 はとポッポというのは、あんこの入っていない人形焼みたいなもの。
 カステラ生地の焼き菓子でした。

 お店の前にはのぼりがたち、お客さんがならんでいました。
 はとポッポを買いにきました~っていうと、お店の人が、「ごめんね~。いま、作っていて、お待たせして…」とおっしゃる。大丈夫です・・・。と並びました。並んでいる間も、作っているところが見れるから飽きないもんね~。私は職人さんが仕事をするのを見るのが大好きです。






 



 
 作っているところを見ていると簡単そうに見えるんだけど、型はとても重いらしい。
 梅が枝もちを作る型も重くて水平に保つのが意外と大変という話をきいたことがありましたが、これも同じみたいですね。





 
 毎月2回の販売です。1日と15日



 
 焼上がったばっかりのはとポッポ
 お菓子の袋は2種類
 小は350円 大は700円
 写真は小です。量り売りなのではとポッポがいくつ入っているのかは数えてみないと分からない。ざっと数えて20個以上はありましたよ。


 
 これが、はとポッポ

 焼きたては周りがカリッとしています。アツアツなので、しばらく袋の口をあけておいてね~といわれました。焼きたてを食べる幸せよ
 冷えるとカリっとしたところがなくなって全体にしっとりします。
 中にはあんこは入ってません。カステラ生地の焼菓子です。

 今日はお店がお忙しそうだったので、このお菓子のいわれとか、ほかのお菓子のことを聞くことができませんでした。日を改めて、お伺いしよう・・と思います。可愛いお饅頭もありましたしね。気になります。

 はとポッポは毎月1日と15日の販売です。食べたくなった人は、行ってみてね。


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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 00:09Comments(2)番外編

シュガーロード 八幡饅頭 その後

2014年03月01日

 昨日で、北九州の鶴屋が閉店。84年の歴史に幕をおろしました。
 昨日、フェイスブックで、午前中10時には八幡饅頭売り切れ・・と誰かが書いていたけれど、予想通りすごかったのね。

 今日、北九州にすんでいるcoloさんからメールがきて、昨日、八幡饅頭をゲットしたので、おすそ分けを送りますよ・・とのこと。ありがたく、気持ちだけ頂きました。お饅頭は先日、ちゃんとゲットして食べましたから。なんでも、ダイパーケーキのおもちゃのことでメールのやり取りをしたときに、私のメールが寂しそうだったので気になったのだそうで。(すみませんね~。お世話かけて。)

 寂しいのは寂しいけど・・・
 
 今日の西日本新聞の朝刊にも、小さな記事が載ってました。
 昨日は午前中に6000個、午後に追加して6000個を完売したそうです。
 最後は、往時の賑わい・・を思わせるくらいにぎわったようで、よかったです。

 coloさんもいっていたのだけど、八幡饅頭がこんなに美味しいとは・・って思ったのだそう。私だけじゃなかったんだ。そう、いつもよりも、美味しかった。出来立てだったからかも。ホント、いつもはあの白餡が喉に詰まる・・・っていわれてたお饅頭だったけど(私はそれでも好きだったけど)出来立ては白餡がまだしっとりしていて、美味しかった。これぞ、かすてら饅頭♪(八幡饅頭や千鳥饅頭みたいな焼き饅頭の総称)

 古い和菓子屋が閉店するのは、諸事情があるのだろうから、仕方のないこと。
 でもね。その地域を象徴するようなお菓子はやっぱり残って欲しい。
 博多の松屋菓子舗の鶏卵素麺は、今では鹿児島の蒸気屋が作っているし、大牟田の草木饅頭の江口商店は熊本のお菓子の香梅が作っている。そりゃ~、もともとのお店に作ってもらいたいけど、それが出来ないときは、消えるよりマシなんじゃないかなあ・・なんて思ってる。八幡饅頭はどこか残してくれるお菓子メーカーさんはないのでしょうかね~。いっそのこと、千鳥屋が引き取ってくれたら・・・なんてことも思ったりして(もともとは兄弟なんだし)、そんな妄想を、饅頭を食べながら抱いてしまうのであります。

 近頃、八幡饅頭のことばかりかいているな~~。私・・・。感傷的になりすぎやん。(反省)
 それでも、お菓子の調べ物は続く・・・。めげずに、調べるど、食べるど・・・・。


 八幡饅頭のことで以前UPしたものはこちらから
 








 




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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます

 
  


Posted by はなはな at 19:16Comments(2)番外編

シュガーロード ~さらば、八幡饅頭~

2014年02月25日

 今月末で、八幡の鶴屋が閉店・・という新聞記事をみつけたことは、先日のブログにUPした通り。
 読んでいない方はこちらをご覧になってくださいね→☆☆☆

 今日(2月25日)は北九州へ行く用事ができたので、ついでに、鶴屋本店によって八幡饅頭を買って来よう・・・と思いつきました。2月も残り少なくなってきましたし、最終日だと、もう作っていない・・ということになりそうな気がしたからです。

 昨年、行った事がありますから、場所はわかってますしね。
 ちなみに、最寄の駅はJRスペースワールド駅。そこから777m。(ネットで検索したらこの距離がでてきました)歩いていける距離です。

 お店にいってみたら、店内には行列が。
 皆さん、八幡饅頭を買ってらっしゃる。遠方におくるのか、発送を依頼してる人も多かったです。
 順番待ちをしている間に、一緒に並んでいる方たちおしゃべり。
 常連さん曰く、「今日みたいに、みんなが八幡饅頭をこうたら(買ったら)こんな事(閉店)にはならんかったんだけどね・・・」 
 私がお菓子のことを調べていて、このお店と千鳥屋が兄弟って知って興味がわいた・・と話したら、「そうよ~。知らんかった?千鳥屋と兄弟なんよ。お父さんが一緒ってこと」と教えてくださいました。

 八幡の駅前の支店では、もう八幡饅頭売ってなかったよ。それで本店に来た・・という方もいらっしゃいました。もしかしたら他の支店でも、売ってないかもですね。

 お店の方はてんてこ舞い。閉店までこんな感じなんでしょうね。

 さて、買ってきた八幡饅頭。食べてみたら、以前食べたときより、アンコが少ししっとりしてまして、好きな感じでした。閉店の報道があってから、きっとお客さんがふえて、焼きたてのものだったのかもしれません。

 千鳥饅頭と再度食べ比べをしてみようか・・・と思案中です。

 お店で並んでいる時にふと思ったことですが、お客さんは、やはり年配の方ばかりでした。若い人がいない・・・。懐かしいって思う年齢層ばかり。今の時代は、若い人にも支持されないと、なかなか存続は難しいのかもしれませんね。

 それでも、八幡饅頭は、鉄都八幡が育てた、銘菓であります。北九州の人にとってはなじみのお饅頭。なくなるのは非常に寂しい。残すことは出来ないものか・・・と思ってしまいます。


 八幡饅頭を食べたくなった方、28日までですよ。お急ぎくださいね。





   


Posted by はなはな at 21:38Comments(2)番外編

シュガーロード ~消える八幡饅頭~

2014年02月17日

 本日(2014年2月17日)の西日本新聞 朝刊に、 消える八幡饅頭 「鶴屋」閉店へ・・・の記事。

 びっくりしました。
 本店以外にも支店が数店有るお店だったので、大丈夫・・・と思っていましたが、円安の影響と、後継者がいないこと、何より販売数の減少の為、閉店されるそうです。
 
 思えば、シュガーロードのお菓子を調べはじめた頃、千鳥饅頭の千鳥屋と八幡饅頭の鶴屋の創業が寛永7年で佐賀ということに疑問をもちまして、寛永7年に佐賀で何があった??・・・と思ったのですが、答えは簡単に見つかり、この二つのお店の主は兄弟で、実家が佐賀の松月堂。そこの創業が寛永7年だったのでした。このささやかな発見(私にとっての)は、お菓子の歴史っておもしろいな~~~・・と、はまるきっかけの一つとなったのでした。

 詳しくは以前ブログにUPしてますのでご覧下さい。
 シュガーロードのお菓子たち ~千鳥饅頭と八幡饅頭~ →☆☆☆

 余談ですが、先月、シュガーロードモニターバスツアーでたちよった、飯塚の千鳥屋本店に、この佐賀の松月堂からもってきたという戸襖がありました。とても綺麗な絵が描かれていました。このことからも、佐賀の松月堂がとても立派なお店であったことが伺えます。

 それにしても、老舗が閉店するというのはつらい。鶴屋は大きいお店ですが、大体小さな個人営業のお店が多く、そういったお店の方が面白い、昔からのお菓子を作っていることが多いので、閉店は本当に残念です。
 
 私個人の調査についていえば、今年に入ってカステラ饅頭は受難であります。二日市の中村屋は火事にあうし(このお店の天拝饅頭はカステラ饅頭でした)今度は、八幡の鶴屋・・・とは・・・

 八幡の鶴屋は今月いっぱいの営業だそうです。
 心残りがないように、八幡饅頭を買いにいこう・・とおもっているところです。千鳥饅頭と食べ比べる最後のチャンスでもあります。

 昨年、食べ比べた時の写真です。











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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 19:45Comments(0)番外編

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】3~

2014年01月21日

 お花のレッスンで大分へ毎月一回いっているのですが、行きかえりの列車の中で必ず目を通すのが、JR九州が発行している情報誌、プリーズ。九州の列車の旅の楽しみに触れることが出来るのと、有意義な情報が掲載されていることがあるのでいつも楽しみにしています。

 今日は、行きの列車の中で手に入れることが出来なくて残念におもっていたところ、大分駅でいただくことが出来ました。帰りの列車の中で見てみたら、思いがけなく、あの平戸の江代商店さんのことが載っている記事に遭遇。そういえば、お訪ねした時に奥様が、明日は雑誌の取材が入る・・とおっしゃってた事を思い出し、このプリーズのことだったのだな・・・と思い当たりました。

 特集は「百年後に残したい 九州の正月遺産」
 



 江代商店さんの「つじうら」のことが載っています。
 この「つじうら」のことは、昨年末お訪ねしてお話伺ってこのブログにもUPしています。
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】→☆☆☆
 シュガーロードのお菓子たち~平戸の【つじうら煎餅】2→☆☆☆

 ブログにも書いたとおり、この「つじうら」というお菓子は、新年の「おてがけ」に使うお菓子で、そのほかにも、丸ぼうろやヘソ菓子、一口香や橙や昆布などと一緒に三方に盛られ、お正月の朝、家族で福茶と一緒にいただくものと教えていただきました。

 年末にお話を伺ったので、我が家でも、今年はお鏡餅のほかにお菓子も一緒にお供えしたのですが、実際にやってみると、この「おてがけ」というのが、正確にはどんな風にしていたのかがわからない。コレでよいのかしら?という疑問がでてきました。また平戸に行ったときに聞いてこよう・・と思っていました。

 その疑問の答えが、今日貰ったプリーズに載っていたのでびっくりしました。

 もともとは、松浦藩の23代藩主 松浦弘定が筑前箱崎の金胎寺の住職から元旦にこのおてがけのもてなしを受けたのが始まりとあります。・・・おや、筑前・・博多の風習?(また疑問がでてきました。発祥は博多なのでしょうか)その後、松浦家では、年賀に来た家臣に、菓子やつじうらを包んで与えた事から市民も真似るようになった・・とのこと。松浦家には江戸時代に作られた「御祝帳」というものがあるらしくその中に「御手がけ鈴鉢」の図が記されてるそうです。その写真がのっていたので、なるほど、こんな風に飾るのか・・・というのがわかったというわけです。

 お菓子に意識がいっていると、いろんな情報が集まってきますが、こんなにタイミングよくやってくるとは・・・・。

 プリーズには、他にも宮崎の椎葉村に伝わるお供えのことや、大分の竹田の姫だるまの事が載っていましたよ。新年の迎え方は先人の願いがこめられていて、どれも素敵なことだと思います。そんなことがわかる年齢になった・・ということでもありますが、古きよき日本の風習は、大切にしたいですね。お菓子もそうですが、九州には、とてもよいものが、数多く残っている気がします。(九州生まれの身びいきも含めて・・・笑)


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 22:14Comments(0)番外編

シュガーロード ~平戸の【つじうら煎餅】2~

2014年01月01日

 年末に平戸から取寄せたお菓子【つじうら】。思いがけなく平戸にもいくことができて、このお菓子についてお話をうかがうことができました。

 その時のことはすでにブログにUPしてますので、こちらをご覧下さい→☆☆☆

 さて、今日は元旦。平戸で買ってきたお菓子もお供えいたしました。



 上 左より 一口香 つじうら
 真ん中左より みかん 丸ぼうろ
 下 左より ヘソ菓子 さとう煎(寒菊)

 駄菓子と呼ばれるお菓子ではありますが、 こうして並べると、素朴で可愛らしい雰囲気です。とっても写真写りがよいお菓子たちです。懐かしい雰囲気は、故郷を思わせます。このお供えの内容は、各家庭でそれぞれ違っているそうです。

 同じような風習が長崎にも残っているそうで、長崎では、七色菓子とよばれるもの、一口香や口砂香などが一緒にお供えされるそうです。商品名になりますが、「とんぴんかん」の中に入っているもの・・ということになりましょうか。

 とんぴんかんのことは以前ブログにUPしてますのでこちらをご覧下さい→☆☆☆


 さて、気になるのは、つじうらの中に入っている占いの紙。
 なので、1個食べてみました。
 味は、しょうが煎餅みたいな感じです。



 出てきた占いの紙には
 「昨日は他人の身 明日はわが身」・・・・ですって。
 他人におこったよい事も悪い事も、明日は自分のところに起きる事ですよ・・・ということかいな。他人をうらやまず、あわれまず、自分のことに置き換えて、奢ることなく、油断することなくすごせ・・・と解釈。元旦にふさわしいご神託ですね~。

 赤い方を食べたので、白い方も・・と食べてみたら、こちらには「果報は寝て待て・・」だって(笑)

 これは、おもしろい・・・。家族が多い家や親戚が集まる家だったらきっと大盛り上がりね。
 
 つじうらは、新潟や北陸などにも同じ様なお菓子が残っています。日本海側なので、北前船の影響もあるのでしょうか?これも調べていくとおもしろいかもしれませんね。

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 12:53Comments(0)番外編

シュガーロード ~大村寿司をみかけたので・・・~

2013年12月31日

 今日は大晦日。歳の市の売り出しでごったがえしていた百貨店で「大村寿司」をみつけました。

 シュガーロード(長崎街道)の周辺にひろがる砂糖の文化を調べていると、必ず出てくる長崎県大村市の郷土料理です。

 今回はお菓子ではありませんが、この大村寿司のことを書くことにいたしましょう。

 大村寿司の起こりは室町時代のようです。
 1474年大村領主 大村純伊は、島原の有馬氏、諫早の西郷氏の連合軍に敗れ一時領地をのがれますが、1480年に大村領を回復します。その時に、領主の帰還を喜んだ領民達がおもてなしをしようとしたが、急なことで用意ができていなかったので、とりあえず、もろぶたに炊きたてのご飯をひろげ、その上に魚の切り身や野菜のみじん切りなどをひろげ、軽くおさえたものを領主や兵にふるまったというのです。それを、兵士たちが脇差で角切りにして食した・・というのが、大村寿司のはじまりといわれています。

 大村ではお祝い事が有るとこのお寿司をつくるのだそうです。おめでたい食べ物なんですね~。

 砂糖・・とのかかわりは、寿司飯の味付け、それから具の味付けに砂糖を使うのだそうです。 そう、ちょっと甘めのお寿司です。
 
 この大村寿司が最初から甘かったとは考えにくいのですが(室町時代には相当貴重品だったので庶民の口には入らなかったはずですから)砂糖の流通量がふえていくにつれ、庶民にまで広がり甘くなった・・と思われます。



 
 錦糸卵がきれいですね~。
 凄く甘いのか・・と思っていたら、そんなこともなく、ほんのりとした甘さ。
 九州は甘めの味付けだから、よその土地の人が食べたら甘く感じるかもね~。
 (私の家も味付けは甘めですから、甘さを感じにくいのかもしれません)

 先にも書きましたが、砂糖は昔は貴重品で、贅沢品でした。それを使うお料理というのは、最高のおもてなしを表していたでしょうし、富の象徴でもあるわけですから、こんなに豊かですよ~ということでもあったのでしょう。

 昔は、「殿様寿司」と呼ばれていた大村寿司。
 殿様寿司・・といえば、岩国に伝わる岩国寿司を思い出します。
 見た目は同じように錦糸卵がたくさんのっている押し寿司です。
 味は昔、比較はできないですけどね。(忘れてしまっておりまして・・)

 郷土菓子や郷土料理は、その土地の風土に育まれた歴史をもっているものですから、その土地で実際に食べるのが一番。来年は、大村に出かけていって食べてこようかな。その土地の空気の中で食べると本当の味が感じられるっていいますから。そして、いつから甘くなったのか・・を現地で尋ねてこようと思います。



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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 22:28Comments(0)番外編

 シュガーロード ~平戸の「つじうら煎餅」

2013年12月29日

 年末ですね。今年も後数日かと思うと名残おしいような、早く新年になってほしいような。。

 郷土菓子の中にはこの時期にしか出回らないものがあります。今日はそんなお菓子の一つをご紹介いたしましょう。

 ところで、フォーチュンクッキーというお菓子をご存知でしょうか?
 外国のチャイナタウンやチャイナレストランでみかけるお菓子です。日本でも中華街辺りにありそうな気がします。半月型の焼き菓子で、中に格言や聖書の言葉なんかが書いてある紙片が入っているお菓子です。このお菓子のルーツが実は日本のお菓子・・・らしいのです。

 そのお菓子は「辻占菓子」とよばれるもの。ちょっと意外というか、驚きです。その「辻占菓子」のひとつが、今でも平戸で作られています。「つじうら」といいます。

 そのお菓子の話の前に、辻占(つじうら)の説明を・・・。
 辻占は、日本に古くから伝わる占いです。道の辻にたち、すれ違う人の言葉に耳をすませ、これを神示とするものです。こうした辻占の風習が受けつがれる間に、未来や兆しを暗示するような言葉をかいたものを辻占と呼ぶようになりました。そういった紙片をお菓子と一緒に袋に入れて販売したものが辻占菓子と呼ばれるものです。
 辻占菓子の歴史は古く江戸時代後期くらいに登場。昭和初期くらいまで受け継がれていました。今では、だんだん少なくなって、北陸や京都の一部で辻占煎餅がつくられています。

 九州では、平戸と佐世保に残っている・・との情報を得たので、年末になるのを楽しみにまっていました。辻占菓子は、新年に使われるお菓子なので、作られるのは11月から12月にかけてだからです。

 平戸で作っているお店は「江代商店」です。
 今回、11月の終わりごろに電話をして、送っていただくようにお願いしていました。江代商店さん曰く、煎餅に占いを入れるので手間がかかる。注文から10日ほどかかる・・とのこと。送られてくる日をワクワクしながら待っていました。
 
 届いた「つじうら」


 
 
 このつじうらが届いた数日後、シュガーロードモニターツアーに参加することになったので、お支払いをかねて、お店を訪ねてみよう(幸いなことに、ツアーで唯一平戸は自由な時間があったので)そして、このつじうら煎餅がどんな風につかわれていたのか(いるのか・・)聞いてみよう・・・と思ったのでした。まさか今年中に平戸にいけるとは思っていなかったので、これはとてもラッキーなことでした。

 シュガーロードモニターツアーの平戸のことはこちらをご覧下さい→☆☆☆

江代商店では、福岡から実際にお支払いに来た・・というのでびっくりされました。(お支払いの為にいったわけではありませんが・・・笑)そして、奥様と、おばあ様(なのかな?)がいろいろと教えてくださいました。

 年の瀬になると平戸ではこの「つじうら」の他に寒菊、へそ菓子、黒棒、一口香、などを一緒に買い求めるそうです。そして、三宝にこれらのお菓子と昆布や橙などをのせて、おてがけの準備をし、元旦の朝に、家族そろって福茶とつじうらをいただくのだそうです。

 そして、昔はこれらのお菓子を紙につつんで、子供たちにお年玉の代わりとして渡していたそうです。今では、お年玉として使われることはなくなったそうですが、神様へのお供えとして使われているそうです。

 お菓子の内容はそれぞれの家によって微妙に違っていて、子供の頃に親戚の家などでもらったりした時に、ここの家のは豪華・・とか、貰ったお年玉を見て子供心に思った・・というほほえましいお話を伺いました。知らないはずのお正月の風景なのに、お話を伺っていると、生き生きとその様子が思い浮かびます。いいな~・・・そんなお年玉。

 つじうらと共にお供えするお菓子。砂糖せんというのは、寒菊です。
 他にはかすてらぼうろ(丸ぼうろ) みかん(甘い軽焼きのようなお菓子) 一口香 ヘソ菓子
 
 
  
  ヘソ菓子はめずらしいですね。平戸や長崎独特のお菓子でしょうか。福岡では見かけないお菓子です。出回るのは、やはり年末だそうです。平戸ではこの時期、スーパーでも売っているらしいです。
  
  おばあ様のお話によると、以前は佐世保でも作っているお店があったが、今では作るのをやめてしまったとのこと。平戸でも、作っているのは江代商店だけなのだそうです。

  ・・・というわけで、今回はお鏡餅のほかに、我が家でも平戸風に、お菓子をお供えしようと思います。つじうらの中には、おみくじがはいっていますので、そのおみくじのことは、年が明けてからまたブログに書きますね。お楽しみに~~~

 お菓子の中身も年明けにお披露目しますね。

 それにしても、神様のお供えにもお菓子がつかわれるとは・・・。さすが、平戸・・・と思わずにはいられません。
 
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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 20:34Comments(0)番外編

シュガーロード モニターツアーに参加♪~長崎~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 先に書いた平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆
 諫早の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆ 
 諫早の眼鏡橋の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 最後の訪問地は長崎です。
 長崎では出島の見学と和菓子作りの体験をしました。

 出島は、日本が鎖国している時代に唯一開かれていた貿易の拠点でした。
 扇の形をした人工の島です。
 江戸時代、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止する為に作られました。住民と隔てるためです。ポルトガル人の来航が禁止されると、平戸のオランダ商館が出島に移されました。

 シュガーロードを語るとき、この出島は絶対にはずせない場所です。この出島に砂糖が届いてここから、全国に・・・・。まあいわば、すごろくの振り出しみたいな場所ですわね。

 そんな、こんなの出島の話を学芸員さんがしてくださいました。
 
 

 さすがに説明付きだと理解も早いし、真剣に聞きます。

 最初はカピタン部屋に立ち寄りました。この部屋は商館長の住まいとお客をもてなす場だったようです。晩餐会のようなしつらえが再現されてました。

 
 
 壁紙が独特ですね~。



奥から一番蔵 二番蔵。 一番蔵は主に砂糖を収蔵していました



 
三番蔵も砂糖の収蔵につかわれていました。


シュガーロードに関係の有るお菓子の数々




砂糖



 一部写真でご紹介しましたが、このほかにもいろいろと展示物があって、興味深く拝見しました。

 出島は、今、どんどん復元されています。
 島の位置はそのまま、江戸時代の建物は復元。明治時代の建物は当時のオリジナルのものを修復しているそうです。
 長期復元計画によると、四方に水面を確保して19世紀はじめの扇形の島に完全復元する予定だそうです。これも楽しみですね。


 さて、出島をざっと見学したら、旧長崎内外クラブに場所をうつし、そこで和菓子作り体験をしました。この旧長崎内外クラブの建物は、なんと明治時代の建物で、昔から今の場所に有る英国式洋風建築です。今はレストランとなっています。

 和菓子作りを教えてくださったのは、長崎の代表的なお菓子屋のご主人たち。
 ご紹介しますと、御菓子處双葉屋 千寿庵長崎屋 岩永梅寿軒です。
 とっても贅沢な講師陣です。

 これが和菓子の材料。練りきりとアンコ

 

 準備中です



 これが今回作る練りきりのお菓子。菊と椿です。


 お手本を見せてくださってその通りにするのですが、見ているのと実際にやってみるのは大違い。簡単そうに見えたのにね。
 みんなで一斉に練りきりをクルクルとお団子を作るように手のひらで転がしている様は、きっと傍で見ていたら面白い光景だったことでしょう。
 上手に出来た人も、四苦八苦した人も、みんなニコニコしていたのが印象的でした。お菓子作りは楽しい~~~・・・そんな雰囲気が満ち満ちていました。

 で、こんな感じに出来上がり・・・
 上の3つはお土産にいただいた双葉屋さんの【ふるーつ大福】
 下の二つが私が作ったものです。形は多少おかしくてもケースに入れたら何とか様になりました。
 

 駆け足で、平戸、諫早、長崎をめぐった今回の日帰りツアー。
 シュガーロードの中でも、このエリアのお菓子は特に種類も多く華やかです。機会をつくって、また訪れたい・・そんな気持ちにさせてくれます。
 お菓子の旅は美味しい&楽しい。お菓子の背景を知るともっと味わいが増すようなきがします。それは自分のいる、この九州を知ることにも繋がるような、そんな気がします。

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 23:52Comments(0)番外編

シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~諫早~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード モニターツアーに参加いたしました。
 行き先は、平戸・諫早・長崎です。
 
 平戸の事はこちらをご覧下さい→☆☆☆

 平戸を後にして、次に訪れたのは【諫早】です。

 地図をみると、長崎県のくびれた部分に位置する、諫早。
 有明海、大村湾、橘湾と3つの海に囲まれています。長崎街道や島原街道も通り、交通の要所として栄えたであろう・・と思わせます。今でも、JR九州の長崎本線・大村線と島原鉄道がとおる交通要所です。砂糖も水、陸両方からはいってきたのかもしれませんね。

 歴史的には、戦国時代、龍造寺家晴がおさめ、初代、諫早家をなのり、その後、佐賀藩諫早領となりました。

 諫早のお菓子・・・というと、真っ先に思いつくのは、諫早おこし・・です。
 
 おこしは、歴史的には古いお菓子で、平安時代に唐菓子の一種として日本につたわったといわれています。
 東京の雷おこしや大阪の粟おこしを思い出す方も多いのでは・・。実は、シュガーロードのまわりでも良く見かける伝統的なお菓子です。例えば、鳥栖(佐賀県)の鳥栖おこし。佐賀の松原という地名が残るところには、昔、松原おこしがありました(今はありません)。松原おこし・・というと、唐津(佐賀県)に有名な松原おこしがあります。 久留米(福岡県)にも阿わやおこしがありますね。(シュガーロード沿いではありませんが)・・といった具合にです。

 おこし・・が興す・・に通じるということで、お家の繁栄を願った縁起菓子でもあるようです。

 さて、話を諫早おこしにもどしましょう。
 諫早で訪れたのは、おこしの老舗「菓秀苑 森長」の工場です。こちらで、おこし作りを見学、試食。それから、半熟 生カステラの試食をさせていただきました。
 
 


 菓秀苑 森長は、創業が1793年(寛政5年)。220年の歴史を持つお店です。
 最初の180年はおこしだけを販売していましたが、その後、カステラなどのいろいろなお菓子も作るようになった・・(代表取締役社長 森淳氏談)そうです。

 工場では、会長の森長之氏からお話をうかがいました。ガラス越しにおこしを作っているところも見学しましたよ。とても美味しそうな、よい匂いが漂ってまして、出来上がったばかりの、ピーナツおこしをいただきながらの見学でした。





 おこしの材料は、米・水飴・黒砂糖(黒おこしの場合)
 諫早は、長崎県で一番の米の産地だそうで、昔から農家がおこしを作っていたという。(森長創業以前から)
 「黒おこしが出来るまで」という手書きの可愛らしい解説レジュメ(これがものすごくわかりやすい解説でした♪)、ざっと作り方を書いてみると、白米を蒸して乾燥させ熱を加えて膨らましたもの(乾飯)がおこしのもとになるらしい。これに水飴と黒砂糖を加えて拡販、その後、枠に入れて手でのばし、長方形に機械でカットしたら出来上がり・・らしい。乾飯は、牛乳をかけて食べてもおいしいとのこと。(ちょっと気になりました)

 久しぶりに食べたおこしは、甘く香ばしく懐かしい味でした。小さい時によく食べたことをおもいだしました。諫早おこしは、雷おこしや粟おこしに比べてやわらかめだそうです。お土産に黒おこしを買ったのですが、これがまた、黒砂糖の味と独特な味わいがよく、やめられない、止まらない・・・状態に。もっとたくさん買ってくればよかった・・・

 おこしは古い伝統のあるお菓子でありますが、古臭いお菓子ではありません。今ではこんなにかわいいパッケージのおこしが・・・。puchi OKOC(ぷちおこしー)は、ちょい土産にいいですね~。



 工場のとなりには、あら・・・めずらしい。
 福岡の石村萬成堂と森長のダブルネームのお店がありました。
 両方のお店のお菓子が買えるんです。
 そちらに場所を移して、お楽しみ♪「半熟 生カステラ」の試食をさせて頂きました。


 
 この生カステラは2009年11月に発売されたものなのですが、紹介されると同時に爆発的に売れて大変だった・・・というお話を伺いました。伺いながら、その爆発的に売れた時に、お取り寄せを私はしたんだわ・・・と思い出し、ちょっとニヤニヤしてしまいました。テレビで紹介されているのを友人がみて、ぜひ食べたい・・と一緒にお取り寄せをしたのです。ただ、解凍がヘタだったのか、テレビでみたような「とろり~~ん」って感じではなかったので、今日はリベンジを・・と密かに思っていました。

 いただいた生カステラはこれです。とろり~~ん・・・ってなってました。リベンジできてよかった♪ 味は普通のカステラより卵の味が濃厚です。
 

 カステラはポルトガルがもたらした南蛮菓子です。カステラという名前はスペインのカステリアという古王国からという説が有力ですが、カステラという名前のお菓子はないそうです。スペインのビスコチョ、ポルトガルのパン・デ・ロー が近いもののようです。以前、ポルトガルのパン・デ・ローには、半熟のものがあるようにきいたことがあります。(うろ覚えなのでちょっと怪しい情報ですが・・・)半熟カステラをいただきながら、そんなことをふと思い出しました。

 今回の見学などを通じて、伝統のお菓子を守りながら、時代にあったお菓子も作っていく老舗の力を見た・・そんな感じがしたのでした。


 楽しい工場見学の後は、諫早の眼鏡橋を見に行きました。
 建築フェチ(私は洋館や石造りの橋など古い建造物が大好きです)としてはこれははずせない。詳細はまたページを改めて書くことにいたしましょう。




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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます   


Posted by はなはな at 22:54Comments(0)番外編

シュガーロードモニターツアーに参加♪ ~平戸~

2013年12月27日

 2013年12月18日、シュガーロード連絡協議会主催のモニターツアーに参加しました。
 行き先は、西九州。 平戸・諫早・長崎です。なんて魅力的なコース・・・♪。
 
 ツアーで最初に訪ねたのは【平戸】です。
 平戸はお菓子好きにはたまらない町であります。とにかくお菓子屋が多い。伝統的なお菓子から、現代的なお菓子まで充実しています。

 今年は5月に平戸を訪れていますので、2回目の訪問です。
 5月に訪れた時のことはこちらを→☆☆☆
 
 ツアーの行程表をみて、唯一、自由散策の時間があるので、今回は、5月に行けなかったお店や食べれなかったお菓子を食べたいな~・・と密かに思っていました。それと、たまたま、平戸の江代商店から「つじうら」と言うお菓子を取寄せていた私。ちょうど届いたところだったので、お支払のついでに、「つじうら」についてもお話を伺いたいと思っていたら、立ち寄る事ができました。なんてラッキ~。この「つじうら」のことはまた改めて書くことにいたしますね。 

 平戸では、おもてなしキャラクターという方々がいらっしゃいまして、行政の方と一緒に私たちを迎えてくれました。おもてなしキャラクターは、平戸にかかわりの有る歴史上の人物にコスプレしている人たち。今日は道案内を担当。なので、サクサクと散策が効率よくできましたよ。

 私のグループを案内してくれた、三浦按針クンです。


 
 
 
最初に言ったのは、菓子処 津乃上。5月に訪問できなかったお店です。




 有名なのはお城の形をした平戸城もなか。もなかの皮が歯にくっつかないんだって・・(三浦按針クン談) 古いお菓子は、ごぼうもちと破れまんじゅう(お店の方談)写真の左下のお菓子は、千代香というらしいのですが、これが復元菓子の網笠そっくり。他の店でも見かけました。
復元菓子のことは、以前ブログに書いてますのでこちらをご覧ください→☆☆☆


次に訪れたのは、熊屋。創業240年くらい。牛蒡餅が有名。福岡にも支店があります。



これがごぼう餅。名前はごぼう餅ですが、ごぼうがはいっているわけではありません。形がごぼうに似ているのでこんな名前。米粉と砂糖でできてるお菓子、歴史は古く440年前に中国から伝わったらしい。



カスドースで有名な蔦屋。建物は按針の館と呼ばれている古い建物



蔦屋の中


カスドースの色は、平戸の黄金の日々を思わせます




商店街の中で発見。ジャパネットたかたの社長のご実家らしい・・・。



江代商店では、おらんだ焼きを焼いているところを見せていただきました。
おらんだ焼きのことも以前ブログに書いてますのでご覧下さい→☆☆☆

おらんだ焼き




この機械が一周すると焼き上がり・・となる。まわす速度は、すべて職人のカンだとか。



いちどきに生地を流す機械。



焼きたてのおらんだ焼きをいただきました。焼きたてはやわらかいのでびっくり。素朴な味わいでおいしかったですよ~。

余談ですが、おらんだ焼きは、北海道の根室でも作っているお店があります。その昔、北前船で平戸から、日本海側の港町に伝わったらしいのです。今でも残っているのが根室・・というわけ。形はそっくりですが、根室のは、ソフトせんべいなのですよ。

集合時間までちょっと時間があったので、最後にダッシュで丸屋菓子店にもよりました。前回たべそこねた、甘酒まんじゅうを買うためです。



 平戸は散策の楽しみが多い町です。
 今回は駆け足だったので行けませんでしたが、
 松浦史料博物館では、松浦氏の栄華が偲ばれますし、茶室 閑雲亭では、お茶とお菓子を味わう事ができます。
 市役所前の幸橋は可愛い石橋。ちょっと渡ってみたくなります。
 平戸ザビエル記念教会など、キリスト教関連の史跡も多いです。クリスマスの季節は特に素敵な気がします。
 平戸温泉 うで湯・あし湯も気になるところ。疲れたら一休み・・・によさげです。
 そして、平戸城。山の上に有る天守閣からの眺望は一度は見てみたいもの。
 
 長崎がどちらかといえば、中国風な感じだとすると、平戸は欧州の雰囲気のようなきがします。大航海時代の匂いがするのです。なるほど、歴史とロマンの島・・・なのであります。


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 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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Posted by はなはな at 22:10Comments(0)番外編

豊後のお菓子 その2

2013年07月19日

 お花のレッスンで大分にいったので、ついでに、デパートの銘菓コーナーを覗いてきました。
 大分もお菓子が多いですね。
 ざびえるや、やせうまはもっともポピュラーなお菓子かもしれません。

 ところで、大分ってお城はあるけれど、何藩なんだっけ??

 というのも、お菓子と殿様の関係はとても深いものが有ることが多いからです。

 例えば、平戸は松浦氏が800年にわたっておさめた土地柄。茶の湯も盛んでしたから、お茶のお菓子がとても発達しました。全国的にも松江や金沢も同じく茶の湯が盛んだったので、やはり和菓子が発達しています。

 そこまで熱心でなくても、お殿様に献上していたお菓子を作っていたお店なんかがあったりするとスイーツ女子としてはとてもワクワクするわけで・・・

 で、大分は・・と考えると、意外と大分の殿様がわからない。
 大分っていうと、大友宗麟っておもっちゃうんだけど、この方は、室町時代の方だしね~~。まあ、大分の礎を築いたといえばそうかもしれないお方ですけど。駅前に銅像もあるくらいだしね。

 で、調べてみたら、大分は小さな藩が集まった形で、大きな都市にはなっていなかったそう。府内のあたりは府内藩といったそうです。他にも延岡藩とかの飛び地があったりして、こまごまとしている感じ。道理で影が薄いはずだわ。

 それでも、豊後の国はその名のごとく、豊の国。海・山・温泉といった自然に恵まれた土地であります。郷土のお菓子もいろいろと有るようです。




 











































ちょっとだけ、写真のお菓子のことを解説?
カステラ饅頭とかいてあれば、必ず買います。
カステラ饅頭を調査してますから。大分にもありました。餡は白餡かなあ?

一番上のお菓子はサンレモンバウムクーヘン。サンレモンはあのレモンケーキのことです。

雪月花は大分の老舗 古後老舗のもの。柚子餡が最中のような皮でサンドしてある。もしかしたら、熊本の加勢以多に似てる?

やせうまは、実は日本全国に同じ名前で同じようなお菓子があります。

六方焼は、近畿地方のお菓子だとおもっていたら、大分にもありました。

ざびえるは、大分の代表のようなお菓子。ソニックの中でも売られてます。

竹田饅頭は、カステラ饅頭のようなお饅頭でした。(餡が緑がかってる白餡でした)

他にもたくさんありました。竹田の荒城の月とか、関あじ最中・・というような魚の形の最中もありましたよ。

素朴なお菓子が多いですが、やっぱり郷土のお菓子は楽しく&おいしいのであります。
秋になったらもっと詳しくレポートします。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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タグ :大分豊後


Posted by はなはな at 21:46Comments(0)番外編