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シュガーロード~中原(佐賀県) 綾部のぼたもち~
2013年04月12日
久しぶりにお花の先生仲間のYさんとK子ちゃんとランチに出かける。
近頃の私のブログは、花より団子状態。長崎街道(シュガーロード)のお菓子のことばかりかいているので、Yさんから、ランチの後、佐賀のお菓子屋をまわりましょう・・というお申し出をいただく。
なので、遠慮なく甘えて、「多久まで行きたい・・」とお願いして、連れて行っていただくことに。(私は車の運転をしないので・・感謝)
さて、鳥栖で待ち合わせをして、佐賀市内を目指していた私たち。ふと見ると、綾部・・というバス停の前を通過。それを見たYさんが「このへんに綾部のぼたもちが有る」といいだし、私もそのぼたもちの存在はフェイスブックのお友達達から教えてもらっていたので、ぜひ一度食べてみたいと思っていたところ。なので、立ち寄って頂く事に。このあたりは、長崎街道の宿場町でいうと、中原宿にあたる。綾部のぼたもちはその宿場の名物である。
ところで、ぼたもち(牡丹餅ともいう)・・・というと、こんな格言を思い出す。
棚からぼたもち・・・労せずに思いがけない幸運にめぐまれること
ぼたもちで腰を打つ・・・幸運が向こうから舞い込んでくること
ぼたもちはこんな風に幸運の象徴のような表現に使われるお菓子。
綾部のぼたもちも、食べると幸福をもたらすといわれている。綾部神社の参道で売られているところも、なんとなくご利益がありそうな感じである。
綾部のぼたもちの歴史は古く、(老舗の橋本屋のちらしによると)800年前、鎌倉時代に源頼朝が奥州藤原氏を征伐した時、綾部の城主が手勢を率いて従軍、大いに戦功を建てて凱旋。その時に、里人達がたくさんの餅を搗き、あずきの餡をぬって戦勝の祝い餅として振舞った・・というのがはじまりだそうだ。 鎌倉時代のぼた餅は味噌餡だったらしく、今のようにあずきと砂糖で作る餡に変わったのは、江戸時代も末期のことだそうである。
今では、年中販売されているぼたもちだが、もともとは夏の風物詩。綾部神社の旗揚げ神事にあわせて7月19日だけ売られるものだったとか。綾部神社は、風の神様を祭る神社で、この神事は日本最古の天気予報とも言われていて、五穀豊穣を祈るもの。遠方からも訪れる人が多く参道はとてもにぎわったという。しかし、第二次世界大戦で様子がかわり、十数軒あったぼたもち屋も戦後復活したのは5軒だけ。今では、泉屋・喜久屋・橋本屋の3軒になっている。
喜久屋 あやべさんぼたもち・・と看板に書かれている。神社とともに有るという感じ。


ぼたもちは、どこの店も同じ感じ(みため)一口大の大きさに餅丸め、餡に一度くぐらせた後パックに詰められ、上からたっぷりと餡をまぶす。
こちらは橋本屋
橋本屋のぼたもちの餡はしっかりあずきの味がする。餡の味は各店、それぞれ特徴があるようだ。
どちらの店のぼたもちも、ほお張ると甘味が口いっぱいに広がる。食べると幸運をもたらす・・とはこのことか・・・と思うのは、私が甘党だから・・というだけではないだろう。甘いはうまい、快いにつながるのは本当だ・・と実感させてくれる。
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~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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