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豊後のお菓子 その2

2013年07月19日

 お花のレッスンで大分にいったので、ついでに、デパートの銘菓コーナーを覗いてきました。
 大分もお菓子が多いですね。
 ざびえるや、やせうまはもっともポピュラーなお菓子かもしれません。

 ところで、大分ってお城はあるけれど、何藩なんだっけ??

 というのも、お菓子と殿様の関係はとても深いものが有ることが多いからです。

 例えば、平戸は松浦氏が800年にわたっておさめた土地柄。茶の湯も盛んでしたから、お茶のお菓子がとても発達しました。全国的にも松江や金沢も同じく茶の湯が盛んだったので、やはり和菓子が発達しています。

 そこまで熱心でなくても、お殿様に献上していたお菓子を作っていたお店なんかがあったりするとスイーツ女子としてはとてもワクワクするわけで・・・

 で、大分は・・と考えると、意外と大分の殿様がわからない。
 大分っていうと、大友宗麟っておもっちゃうんだけど、この方は、室町時代の方だしね~~。まあ、大分の礎を築いたといえばそうかもしれないお方ですけど。駅前に銅像もあるくらいだしね。

 で、調べてみたら、大分は小さな藩が集まった形で、大きな都市にはなっていなかったそう。府内のあたりは府内藩といったそうです。他にも延岡藩とかの飛び地があったりして、こまごまとしている感じ。道理で影が薄いはずだわ。

 それでも、豊後の国はその名のごとく、豊の国。海・山・温泉といった自然に恵まれた土地であります。郷土のお菓子もいろいろと有るようです。




 











































ちょっとだけ、写真のお菓子のことを解説?
カステラ饅頭とかいてあれば、必ず買います。
カステラ饅頭を調査してますから。大分にもありました。餡は白餡かなあ?

一番上のお菓子はサンレモンバウムクーヘン。サンレモンはあのレモンケーキのことです。

雪月花は大分の老舗 古後老舗のもの。柚子餡が最中のような皮でサンドしてある。もしかしたら、熊本の加勢以多に似てる?

やせうまは、実は日本全国に同じ名前で同じようなお菓子があります。

六方焼は、近畿地方のお菓子だとおもっていたら、大分にもありました。

ざびえるは、大分の代表のようなお菓子。ソニックの中でも売られてます。

竹田饅頭は、カステラ饅頭のようなお饅頭でした。(餡が緑がかってる白餡でした)

他にもたくさんありました。竹田の荒城の月とか、関あじ最中・・というような魚の形の最中もありましたよ。

素朴なお菓子が多いですが、やっぱり郷土のお菓子は楽しく&おいしいのであります。
秋になったらもっと詳しくレポートします。


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリーに書いています。

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タグ :大分豊後


Posted by はなはな at 21:46Comments(0)番外編

豊後のお菓子~ 竹田のはら太~

2013年07月19日

 昨日は大分でお花のレッスンデー。
帰りにちょっとトキハ(デパートの名前よ)の大分銘菓のコーナーをのぞいたら、竹田の物販があっていて、数多く並んでいるお饅頭の中で気になる名前を発見した。






 

















 竹田 名物 はら太・・?
 はら太って、はらふと餅の事??

 気になって販売員さんに、お尋ねしてみたら、このお饅頭です・・といわれたのがこれ。

































 芋が入っていない、いきなり団子のような感じ。
 
 昔はもっと大きくて、もっとペッちゃんこだったらしい。どこのお饅頭もそうだけど、今は甘さや大きさは昔ほど重要ではないので、甘さ控えめ、食べやすい大きさというお菓子は多い。たべてみたら、程よい甘さのつぶあんの素朴な味わい。

 はら太っていうと、その昔、長崎街道の原田宿の名物にもあった。江戸時代の話ね。こちらのは大福餅。江戸時代は手のひらくらいの大きさだった。今では無くなっているこのお菓子は、近年、復刻版がつくられてます。(普通の大きさになっているけれど)
 このブログでもご紹介してますのでこちらをご覧下さい →☆☆☆
 
 「はらふと」という名前の饅頭はどうも、全国各地にあるよう。
 名前のとおり、おなかいっぱいになるくらい大きなお饅頭だったりお餅だったりするようだ。大福餅の語源になったという説も有るくらい。(はらふと→腹がふとい・・・おなかがいっぱい→大きなおなか→大福・・という連想か)

 あなたの街や故郷に「はらふと」という饅頭やお餅はありませんか?


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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:07Comments(0)番外編

シュガーロード ~佐賀その8 梅鉢~

2013年07月02日

 

 スーパーのお菓子売り場で見つけたお菓子。
 佐賀の香田製菓の【白梅】
 
 実は、子どもの頃によく食べたお菓子【梅鉢】をさがしているんだけど、近頃では見かけないんだよ。小さい時にいつも家にあった駄菓子。父の好物だったお菓子。いつも食べていたから、自分の家の家紋のことを聞いた時に、梅鉢っていわれて、お菓子を想像したくらい(笑)

 梅鉢は、芯の部分はおこしのようなもの。その周りに、砂糖と水飴を練った物をかぶせたようなおかし。表面かかりっとしていますが、中はちょっとしっとり、ねっとり見たいな食感。

 今日買った【白梅】は、私の記憶の中の梅鉢より、ちょっと大きい。(長い)この半分くらいの長さだった。食べてみたら、味は一緒。ちょっと上品な感じ。

 関西ではこのお菓子は、【奉天】と呼ばれています。
 奉天・・・中国からやってきたのかしらね。ルーツは中国のお菓子、龍の髭・・ともいわれているしね。奉天という名前には、もう一つ説があって、天神様に奉納されていたお菓子なので、奉天・・という話。天神信仰は鯨羊羹のところでもちょっとだけ書いたけれど、このお菓子も天神様とかかわりがあるみたいね。天神様を祀っている神社って日本全国にたくさんあるので、ありそうな話だわ。

 奉天は、アベック奉天とか、オランダ奉天とか・・輪切奉天とかいろいろあるようです。

                                               梅鉢や~~~い・・・。まだまだ捜索中です。


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 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 20:58Comments(0)佐賀

タイのお菓子に和菓子が影響?

2013年07月01日

今日の西日本新聞の朝刊で見つけた記事。
 
 ポルトガル人が西洋菓子を伝えたのは長崎だけではない。東南アジアにもいろいろなお菓子をもたらした・・・・・。
 
 記事はタイの「カノムモーケン」というお菓子についての内容。
 このお菓子は、サトイモと卵とここナムミルクで作る焼き菓子で、カスタードプリンのような食感なのだそうだ。ペチャプリ県の名物で、100軒ほどの店がこのお菓子を売っているらしい。このお菓子は80年前に途絶えていた物を復活させたものらしいので、歴史も有る。どんなお菓子だろう・・とスイーツ女子としては興味津々。

 このお菓子をタイにもたらしたのは、マリア・ギオマール・デ・ビーニャという女性で、アユタヤ王朝時代に王宮でお菓子作りの技を発揮したらしい。特筆すべき点は、この女性の母方の祖母はポルトガル人、祖父は、なんと平戸出身。日本人なのだ。平戸が国際都市であったことは以前、このブログにも書いたが、こんなところにも平戸の人がでてくるとは。

 記事は、この菓子の繊細な味には和菓子のセンスがはいっているのかも、と想像してみるのも楽しい・・・と結んであるが、本当にその通りで、大航海時代の平戸に思いを馳せるのはワクワクする。まあ、スイーツ女子としては、想像だけでは飽き足らず、やっぱり食べたい・・と思うけれどね。

 お菓子にはまっていると、こんな情報までひっかかってくるのが、おもしろいというか、たのしいというか・・・。病(やまい)の域に入っているということなのかも(笑)

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:06Comments(0)番外編

水無月を買っておうちへ帰ろう♪ その2

2013年07月01日

 昨日は6月30日 晦日であります。
 水無月最後の日は、和菓子の水無月を食べながら、この半年の穢れや厄を祓うことにいたしましょう。そして、暑い季節をのりきりましょう。

 先日、阪急で買った、博多水無月のことや水無月のいわれなどはこちらを読んでね→☆☆☆

 その阪急で買わなかった、梅家の博多水無月。
 だって、地元、二日市のお店だもん。ちゃんとお店に行って買いたい・・・と思っていたことをふと思い出したのよ。仕事中に(笑)お店に行くのは夕方になるけれど残っているかなあ~~・・・と心配してたけれど、ありました ありました しめしめ・・・であります。

 お店にちょうどご主人がでてこられたので、
 「この前、阪急にだしてたでしょ~~。でも買わなかったよ。お店で買いたかったので今日来ました・・」というと、
 ご主人は「阪急は、博多水無月はすべて冷蔵庫にいれて販売していたのだけど、実は、うちの水無月は常温で大丈夫なんですよ~。冷やすんだったら冷蔵庫で30分程度。冷やしすぎると、ちょっと表面がかたくなっちゃうんですよ」と教えていただきました。これはラッキ~です。一番おいしい食べ方を教えてもらったんですからね~。かたくなる・・といってもほんの気持ち固くなる程度らしいのですが、やっぱり菓子職人としてはこだわりますよね。 

 そのお話を聞きながら思い当たった事。和菓子は日本の風土に育まれたお菓子であることと。冷蔵庫のない時代から菓子職人の創意工夫で生まれたお菓子なので、常温でも大丈夫なお菓子が多い・・・。というような事を本で読んだことを思い出しました。梅家の水無月はそれをまさに地で行く感じですね。

 もともと京都のそれも中心部で残っている水無月の風習。京都の水無月はういろう地に小豆・・というのが定番ですが、博多水無月は蕨粉を使います。梅家のご主人も、昔はういろうで作っていたのだけれど、九州人はういろうを好きでない人が多いようで、蕨餅の水無月の方が評判が良いとのことでした。私も、蕨餅の方が好きだな。

 
 これが、梅家の博多水無月です。
 形は丸。四角いプラケースに入っていたので四角になってますが、丸です。
 お決まりの笹の葉はアクセント程度に。
 黄粉でまぶされているわらびもち。中はこし餡でした。
 他の店のとは、明らかに形が違いますね。
 お決まりの小豆の粒もありません。
 博多水無月の決まりごとは、蕨粉と笹の二つだけですから、そのほかのことはすべてお店ごとに違います。梅家のはかなり個性的。

 食べてみたら、それはそれは繊細なわらびもちの中にたっぷりのこし餡。わらびもちは本当に薄くて、とろ~ん、びよ~んって感じ。常温だとこの感じがとてもわかる。少し冷やすとほんのちょっと固くなる感じ。その薄いわらびもちの中にたっぷりのこし餡が、こんにちは・・って感じで入ってる。こし餡好きにはたまらんわい。味わいは甘さ控えめ、黄粉の香がとても強いです。何個でも食べれそうで、ダイエット中の人には危険な感じ(笑)

 食べたくなったでしょう。食べたくなったら、ぜひお店に行ってくださいね。
 西鉄二日市駅から徒歩3分です。お店は【御菓子司 梅家】です。このお店、レモンケーキでナイトシャッフルで紹介されたことがあります。レモンケーキももちろんおいしいですよ。
 歴史的にいえば、このお店の前の道は、日田街道になります。二日市は日田街道の宿場町。古い地図を見るとちょうど街道沿いです。この街道沿いには、えびす醤油や大賀酒造もあります。古い時代の面影が道の曲がりにのこっています。
 
お店のデータ
 【御菓子司 梅家】
 ℡092-922-7940
 福岡県筑紫野市二日市中央4-9-25
 
 ご主人と御菓子のことをおしゃべりをしていたら、情報をおしえてくださいました。
 那珂川町においしい和菓子屋さんが有るというのです。博多水無月も作っているし、他にもおいしいものが有るらしい。ご親切に、お店の名前と住所も教えてくださいました。同業者がおいしいというのだから、これはおいしいに違いない楽しみがまた一つ・・・というわけです

 博多水無月は7月31日まで、福岡市和菓子組合に所属している和菓子屋35軒で取り扱っています。福岡市とその近郊の和菓子屋だそうです。この機会にお近くの和菓子屋を調べて、覗いてみてはいかがでしょう。博多水無月は、100年後も残る和菓子を・・という気合をこめてつくっているらしいですよ(梅家のご主人曰く)100年残る和菓子を作るのが和菓子職人なら、育てるのは、食べる私たちです。そう思うと、食べることにも、ちゃんと役割があるってことなんだな・・とスイーツ女子としては嬉しくなっちゃいますね。(ひとまず、ダイエットは忘れよう・・笑)

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 20:55Comments(0)唐津街道

水無月買っておうちに帰ろう♪

2013年07月01日

 

 





















友人から貰った本がきっかけで、ちょっと注目していた和菓子。
 貰った本は、『和菓子のアン』という可愛らしい、ミステリー?風な小説。主人公の女の子が和菓子屋に勤めるという設定なので、中は和菓子の解説みたいな話がてんこ盛り。そして、小説の作者が参考文献としているのが、虎屋文庫の中山圭子氏の本なので、とってもためになるのであります。

 その中に、「水無月」がでてきまして、ちょうど季節も水無月(6月のことよ)ということで、実際に食してみたい・・と思っておりました
 そうしたら、博多では、「博多水無月」といって数年前から福岡市和菓子組合に所属している和菓子屋さんがこの季節に水無月を販売しているとのこと。博多阪急でも、販売をスタートしているようなので、ちょいと覗いて買ってきました。
 
 ところで、この「水無月」、どんなお菓子かといいますと、
 6月30日の夏越の祓の日にあわせて、京都市内を中心に販売されるお菓子です。
 小麦粉または新粉製の生地(外郎の生地)の上に小豆がのっていて、三角の形が特徴。

 そもそも6月30日つまり6月の晦日は12月の晦日と並ぶ大祓の日。ちょうど一年の半分がすぎるので、半年分の穢れや罪を祓うための祭りが夏越の祓ということらしいです。ちょうど暑さも厳しい季節だしね。神社で茅の輪をくぐる頃でもあります。

 お菓子「水無月」はこの夏越の祓にちなんで食べるお菓子です。
 中の小豆は、小豆の赤い色が厄を祓うといわれてます。
 三角の形は、氷をかたどった物・・というのが定説らしいのだけど、これまた諸説あって、どれが本当なのかははっきりしないよう。

 そんな京都の風習にまつわるお菓子、水無月を博多風にアレンジしたものが「博多水無月」。
 博多水無月の決まりごとは、ワラビ粉と小豆を主原料とし、笹で巻くこと。後は各店舗でオリジナルなものを・・としているようです。なので、各和菓子店の特徴が出ていて食べ比べると面白いです。

 博多阪急で数点買って食べてみましたが、小豆入りのわらびもちは、この季節には嬉しい食感。冷たくて、つるん、とろん・・としていています。お店によって、形は三角、四角、丸・・といろいろ。わらびもちの固さもさまざま。色あいもさまざま。もちろん味も微妙にちがいます。これは楽しい。

 出店しているお店でも販売されているらしいので、次回はお店に出向いてみようと思っています。買い損ねた、春吉の花月堂寿永あたりに行こうか・・と目論み中。



 





















博多水無月はこののぼりが目印だそうです。
 この機会に博多の和菓子屋めぐりをするのもおもしろかもですね。

こうした菓子屋の努力が、夏の風物として、イベントとして定着していくのだろう・・と思いますね。考えてみれば、バレンタインデーだって、チョコレートの会社が仕掛けたイベント、ホワイトデーは、博多の石村萬成堂のマシュマロデーがはじまりだし、節分に太巻きを食べる事も海苔業界とコンビニが仕掛けたと聞いたことがあります。行事と食べ物を結びつける商売というのは、珍しい事ではないということでしょう。水無月もそうした物の一つ・・ということなのでしょう。



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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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