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シュガーロード ~さらば、八幡饅頭~

2014年02月25日

 今月末で、八幡の鶴屋が閉店・・という新聞記事をみつけたことは、先日のブログにUPした通り。
 読んでいない方はこちらをご覧になってくださいね→☆☆☆

 今日(2月25日)は北九州へ行く用事ができたので、ついでに、鶴屋本店によって八幡饅頭を買って来よう・・・と思いつきました。2月も残り少なくなってきましたし、最終日だと、もう作っていない・・ということになりそうな気がしたからです。

 昨年、行った事がありますから、場所はわかってますしね。
 ちなみに、最寄の駅はJRスペースワールド駅。そこから777m。(ネットで検索したらこの距離がでてきました)歩いていける距離です。

 お店にいってみたら、店内には行列が。
 皆さん、八幡饅頭を買ってらっしゃる。遠方におくるのか、発送を依頼してる人も多かったです。
 順番待ちをしている間に、一緒に並んでいる方たちおしゃべり。
 常連さん曰く、「今日みたいに、みんなが八幡饅頭をこうたら(買ったら)こんな事(閉店)にはならんかったんだけどね・・・」 
 私がお菓子のことを調べていて、このお店と千鳥屋が兄弟って知って興味がわいた・・と話したら、「そうよ~。知らんかった?千鳥屋と兄弟なんよ。お父さんが一緒ってこと」と教えてくださいました。

 八幡の駅前の支店では、もう八幡饅頭売ってなかったよ。それで本店に来た・・という方もいらっしゃいました。もしかしたら他の支店でも、売ってないかもですね。

 お店の方はてんてこ舞い。閉店までこんな感じなんでしょうね。

 さて、買ってきた八幡饅頭。食べてみたら、以前食べたときより、アンコが少ししっとりしてまして、好きな感じでした。閉店の報道があってから、きっとお客さんがふえて、焼きたてのものだったのかもしれません。

 千鳥饅頭と再度食べ比べをしてみようか・・・と思案中です。

 お店で並んでいる時にふと思ったことですが、お客さんは、やはり年配の方ばかりでした。若い人がいない・・・。懐かしいって思う年齢層ばかり。今の時代は、若い人にも支持されないと、なかなか存続は難しいのかもしれませんね。

 それでも、八幡饅頭は、鉄都八幡が育てた、銘菓であります。北九州の人にとってはなじみのお饅頭。なくなるのは非常に寂しい。残すことは出来ないものか・・・と思ってしまいます。


 八幡饅頭を食べたくなった方、28日までですよ。お急ぎくださいね。





   


Posted by はなはな at 21:38Comments(2)番外編

シュガーロード ~消える八幡饅頭~

2014年02月17日

 本日(2014年2月17日)の西日本新聞 朝刊に、 消える八幡饅頭 「鶴屋」閉店へ・・・の記事。

 びっくりしました。
 本店以外にも支店が数店有るお店だったので、大丈夫・・・と思っていましたが、円安の影響と、後継者がいないこと、何より販売数の減少の為、閉店されるそうです。
 
 思えば、シュガーロードのお菓子を調べはじめた頃、千鳥饅頭の千鳥屋と八幡饅頭の鶴屋の創業が寛永7年で佐賀ということに疑問をもちまして、寛永7年に佐賀で何があった??・・・と思ったのですが、答えは簡単に見つかり、この二つのお店の主は兄弟で、実家が佐賀の松月堂。そこの創業が寛永7年だったのでした。このささやかな発見(私にとっての)は、お菓子の歴史っておもしろいな~~~・・と、はまるきっかけの一つとなったのでした。

 詳しくは以前ブログにUPしてますのでご覧下さい。
 シュガーロードのお菓子たち ~千鳥饅頭と八幡饅頭~ →☆☆☆

 余談ですが、先月、シュガーロードモニターバスツアーでたちよった、飯塚の千鳥屋本店に、この佐賀の松月堂からもってきたという戸襖がありました。とても綺麗な絵が描かれていました。このことからも、佐賀の松月堂がとても立派なお店であったことが伺えます。

 それにしても、老舗が閉店するというのはつらい。鶴屋は大きいお店ですが、大体小さな個人営業のお店が多く、そういったお店の方が面白い、昔からのお菓子を作っていることが多いので、閉店は本当に残念です。
 
 私個人の調査についていえば、今年に入ってカステラ饅頭は受難であります。二日市の中村屋は火事にあうし(このお店の天拝饅頭はカステラ饅頭でした)今度は、八幡の鶴屋・・・とは・・・

 八幡の鶴屋は今月いっぱいの営業だそうです。
 心残りがないように、八幡饅頭を買いにいこう・・とおもっているところです。千鳥饅頭と食べ比べる最後のチャンスでもあります。

 昨年、食べ比べた時の写真です。











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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.

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Posted by はなはな at 19:45Comments(0)番外編

大分 中津のお菓子 ~ビスマン~

2014年02月06日

 月に一度、大分へお花のレッスンに行っているのですが、いつも気になる看板を途中の中津で見かけていたのです。

 それは、ビスマン・・・という看板。

 中津銘菓・・・とある。ビスマンってなあに??

 そう思いながら、途中下車することもなく月日がたっていきました。

 先月、レッスンの帰りに大分駅で思いがけず、このビスマンをみつけました。

 ビスマンはビスケット饅頭の略らしい・・・。というわけで、今回のテーマは中津のお菓子「ビスマン」であります。

 ビスマンを作っているお店は【ビスマン本舗 殿畑双葉堂】
 創業は1889年(明治22年)。屋号の双葉堂は、2代目が名横綱双葉山の面倒を見ていたことがあって、そのご縁に由来しているそうです。現在の店主で4代目。歴史の有るお店でした。

 さて、「ビスマン」ですが、ビスケット生地に黄身餡を包んで焼いたお菓子だそうです。
 中津に残る南蛮文化のエピソード~1590年(天正18年)神学校を建設したお礼として、宣教師から「ビスカウト」というお菓子が藩主に献上された~に基づき「ビスケット饅頭」として昭和31年に発売されたということ。

 戦前に主流だったカステラ饅頭に、戦後になって練乳やバターなどを使った物が人気がでてきたので、カステラ饅頭にそれらを使って風味をよくしたのが、ビスケット饅頭のようです。

 ということは、ビスマンはカステラ饅頭の進化系ということになるわけですね。
 カステラ饅頭に興味津々の私としては、とても面白く思えました。
 ビスマンは黄身餡ですから、やはり焼き饅頭には白餡もしくは黄身餡ということでしょうか。

 コレがビスマンです
 
 

味は、そうねえ・・・。ひよ子をちょっと乳臭くした感じ・・・かなあ。
ビスケット生地だからカステラ饅頭の生地よりも固いのかな・・と思いますが、そんなこともありません。思ったよりしっとりしています。
 



 中身は黄身餡。

 気になる方は大分の中津へ・・・、又は大分駅で購入してみてくださいね。

 それから、このブログのカテゴリーは豊後のお菓子に分類してますが、中津は黒田官兵衛の時代には豊前の国でした。



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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。

 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 14:51Comments(2)お菓子ストーリー

唐菓子 ~餢飳饅頭(ぶとまんじゅう)~

2014年02月06日

 シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べていたらすっかりはまり込んで1年。
 近頃は、物産展だの、デパートの地域銘菓のコーナーだの覘いています。
 正確には、以前もよく立ち寄っていたのだけど、いっそう興味津々ということです。

 で、見つけました。デパートの地域銘菓のコーナーで。

 本当は奈良まで買いに行きたいと思っていたのですが、なかなかそうも行きません。
 コレは一足先に味見だけでも・・・・と思い購入いたしました次第。(うふふ・・・)


 今回のテーマは、「餢飳饅頭(ぶとまんじゅう)」であります。
 面白い名前でしょう。ぶとまんじゅう?・・・ってなに??って感じですね。

 このお饅頭の事を書く前にこのお饅頭のジャンル、唐菓子について少し書くことにいたしましょう。

 最も古いお菓子は、木の実や果物と考えられています。そんな中、奈良・平安時代に中国から飯を潰して固めた餅や米粉を固めて蒸した物などが伝わります。この加工菓子はまだ主食の一部という位置づけでしたが、その後、中国から唐菓子と呼ばれる粉食菓子の製法が伝来しました。
 その中には、うどんや素麺のルーツと呼ばれている索餅や今回ご紹介の餢飳も含まれていました。唐菓子は、ちょっと不思議な形をしています。沖縄に残っている琉球菓子にも似ています。餢飳はギョウザみたいな形です。

 現在でも奈良の春日大社や京都の賀茂神社では祭事に餢飳を供えているそうです。

 その餢飳をかたどったお菓子が餢飳饅頭とうわけ。小麦粉 卵、砂糖の生地で餡をつつんであげたものです。

 
 見た目はこんなかんじ。ギョウザみたい。
 

 
 中身。食べてみたらアンドーナツみたいな感じです。
 


 唐菓子の中には、歓喜団なるものもあります。これは団子のルーツともいわれてます。煎餅は、そのまま、煎餅のルーツです。奈良時代には作られてました。こうしてみていくと、今に繋がるお菓子のいわばご先祖様たち・・といった感じです。

 お菓子を食べたら、やっぱり奈良に行きたくなりました。
 そのお菓子が育った環境で食べるのが一番美味しい気がしますし、お店でお話も出来たら伺いたいのです。 

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。

 近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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 街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。

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Posted by はなはな at 14:38Comments(2)お菓子ストーリー