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シュガーロード ~小城~
2013年01月28日
2012年12月11日にシュガーロード(長崎街道)の取材で佐賀県を歩いてきました
前回までの内容はこちらで
シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)~
シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)その2~
シュガーロードのお菓子たち~田代(佐賀県)その3~
シュガーロードのお菓子たち~鳥栖~
さて、鳥栖よりJRで佐賀へ移動。佐賀で唐津線に乗り換えて、小城に向かいました。
唐津線は佐賀から唐津までを結んでいる鉄道です。地図を見ると唐津まで近いな~って感じですが、本数が一時間に一本しかありません。車だと近いのでしょうね~・・。足がない私たちは公共交通機関でがんばります。(時々アッシー(死語にちかいかもw)君又はアッシーちゃんを募集しておりますww待遇:ボランティアww 日当なし、ささやかな昼食付きww 資格:お菓子好きであること・・・(大笑))
で、電車にちゃんと乗れましたので、ちゃんと小城に着きました
が、想像していたより、駅前はひなびておりまして、まだランチを食べていなかった私たちは、またもやランチ難民になりそう(直方で実は一度なりかけましたww)な気配。一軒だけ、営業中って看板が出てる食堂みたいなところがあったので思い切って入ってみたら、地元のおっちゃん達のたまり場?気の良いおばちゃんが作る焼きそばは懐かしい味でした。
さて、お目当ての村岡総本舗の羊羹博物館は駅から歩いて20分らしい・・・時間が無いのでとりあえずタクシーで・・・・・。そのタクシーから羊羹博物館へ向かう途中の道をみて、気がついたこと。
羊羹屋さんがたくさんある・・・ びっくり・・・
・・・思わず、羊羹ストリート・・・と思った。
今回は時間が無かったので寄れなかったけど、Tちゃんが行きたがっていたお店もあったし、大きいお店から小さなお店まで。羊羹ワールド 小城って感じ。
小城羊羹って、村岡総本舗だけがつくっているものではないんだな~~・・って。小城で作っているから小城羊羹?なのかも。
なんていったって、佐賀は羹消費量が日本一。妙に納得。
ところで羊羹って何で羊の字がはいってるの?
今回の小城行きのためにちょいと勉強したのよ~。それによると、もともとは中国料理の羊の羹(あつもの スープの意)をルーツとしているものなんだけど、禅宗と一緒に伝わった時に、禅宗では肉を食さないので、お豆に変わった・・っていわれているものなんです。お肉を入れたスープはゼラチンの働きで冷えたら固まるもんね。それをお豆と寒天などで固めた物に変わったんでしょうね。で、どんどん進化して、今のような綺麗な練り羊羹ができました。
羊羹は100年前までは高級菓子だったらしいのよ。確かに綺麗ですもんね。戦中は軍の携行食として普及。戦後は庶民の間にも浸透したというものらしいです。
シュガーロードのお菓子を調べていると、お菓子の発展が産業と関係あるものが多いですね。筑豊の成金饅頭や黒ダイヤ(羊羹)などは石炭を掘っている人たちが重労働に従事していて、甘い物を欲したので発展したといわれてますし、北九州の八幡のくろがね羊羹も製鉄所に勤めている人たちが甘い物を欲したので・・と聞いてます。単なるお菓子ではなくて、今で言うところの栄養補助食品の役割も担っていたようです。小城羊羹は軍隊に使われていたとはね~~。
羊羹ストリートを通りお目当ての羊羹資料館に到着。
ところが、私たちの目にとびこんできたのは、資料館ではなく、お向かいにある多賀神社の階段。なんと、山の上まで続いてます。山の上に拝殿があるもよう・・。小城まできたのだし、とりあえず、ごあいさつをば・・。多賀神社は直方でもお参りしたよね~・・って言いながら、せっせと長い長い石段を上りお参りをいたしました。到着した神社からの眺めは、それは絶景。広い佐賀平野は高いところがないので、本当に山の上から・・って感じでした。この広い平野が、お菓子の材料となる豆や小麦を育ててくれているんだね~~ってちょっと感動しましたね。
みて、この石段 150段くらいあるらしいですよ~

さて、羊羹博物館は、村岡総本舗が倉庫として使っていたところにあります。建物がとても古いのです。ちょうど改修工事中。中は見せていただけました。
いただいた資料などをみると、村岡総本舗の創業は明治32年。小城羊羹の名付け親は、2代目社長の村岡安吉氏だそうです。
資料館でビデオをみながら、羊羹をいただきました。
私の中のお気に入りの羊羹。赤い羊羹で外側がちょっとかりっとしてる羊羹。小さい時からなじみの羊羹は村岡屋のだ・・・って思い出しました。小さい時の刷り込みって大事よね~。忘れていてもベロが覚えてる(笑)
資料館の隣はお店なので、しっかり試食&お買い物をしてきました。
黒豆羊羹、絶品です。

もっと高い羊羹もありましたよ~~

後で気がついたんだけど、お店の中の商品は羊羹がほとんど。福岡の村岡屋さんはさが錦が目立っているような気がしたんだけど、小城の本店では見かけませんでした。福岡ではCMでも「さがにしき~・・」とか言っているのにね。地域の嗜好の違いかしらね。
後日談:村岡屋とこの日うかがった村岡総本舗は別のお店でした。さがにしきを扱っているのは村岡屋です。村岡総本舗から分かれた会社です。共通の商品もありますが、ないものもあります。和菓子の会社は同じ名前で、のれんわけをしていることが多いので要注意尋ねていく前にちゃんと勉強しておかなくては・・と反省。お店の方に失礼があってはいけませんから。
一時間に一本の電車のため、ゆっくり出来なかった小城ですが、また訪れたい地でした。今度は歩いて、羊羹ストリートにあるお店を一軒ずつ訪ねてみたい。そして、Hさんとまた食べ比べをしたいね~って話したのでした。
どのお菓子もそうですが、羊羹も歴史なども含めると相当調べ物があります。奥が深い・・・。
ここにきてシュガーロードをとりあえず、小倉から長崎までのお菓子をざっと調べて、後は、何を中心に調査するかをきめたい・・って思いました。そろそろ調査の方向性がみえてきたようです。仕事ではないところがすごいでしょっ
さて、筑豊から佐賀にとんだところで、今年の調査は終了。年が明けたら、1月は長崎街道の起点 北九州の小倉で調査をしたいと思っています。2月はちょうど春節の時期になるので、桃カステラを求めて長崎へ・・との予定。楽しみです。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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前回までの内容はこちらで
シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)~
シュガーロードのお菓子たち ~田代(佐賀県)その2~
シュガーロードのお菓子たち~田代(佐賀県)その3~
シュガーロードのお菓子たち~鳥栖~
さて、鳥栖よりJRで佐賀へ移動。佐賀で唐津線に乗り換えて、小城に向かいました。
唐津線は佐賀から唐津までを結んでいる鉄道です。地図を見ると唐津まで近いな~って感じですが、本数が一時間に一本しかありません。車だと近いのでしょうね~・・。足がない私たちは公共交通機関でがんばります。(時々アッシー(死語にちかいかもw)君又はアッシーちゃんを募集しておりますww待遇:ボランティアww 日当なし、ささやかな昼食付きww 資格:お菓子好きであること・・・(大笑))
で、電車にちゃんと乗れましたので、ちゃんと小城に着きました
が、想像していたより、駅前はひなびておりまして、まだランチを食べていなかった私たちは、またもやランチ難民になりそう(直方で実は一度なりかけましたww)な気配。一軒だけ、営業中って看板が出てる食堂みたいなところがあったので思い切って入ってみたら、地元のおっちゃん達のたまり場?気の良いおばちゃんが作る焼きそばは懐かしい味でした。
さて、お目当ての村岡総本舗の羊羹博物館は駅から歩いて20分らしい・・・時間が無いのでとりあえずタクシーで・・・・・。そのタクシーから羊羹博物館へ向かう途中の道をみて、気がついたこと。
羊羹屋さんがたくさんある・・・ びっくり・・・

・・・思わず、羊羹ストリート・・・と思った。
今回は時間が無かったので寄れなかったけど、Tちゃんが行きたがっていたお店もあったし、大きいお店から小さなお店まで。羊羹ワールド 小城って感じ。
小城羊羹って、村岡総本舗だけがつくっているものではないんだな~~・・って。小城で作っているから小城羊羹?なのかも。
なんていったって、佐賀は羹消費量が日本一。妙に納得。
ところで羊羹って何で羊の字がはいってるの?
今回の小城行きのためにちょいと勉強したのよ~。それによると、もともとは中国料理の羊の羹(あつもの スープの意)をルーツとしているものなんだけど、禅宗と一緒に伝わった時に、禅宗では肉を食さないので、お豆に変わった・・っていわれているものなんです。お肉を入れたスープはゼラチンの働きで冷えたら固まるもんね。それをお豆と寒天などで固めた物に変わったんでしょうね。で、どんどん進化して、今のような綺麗な練り羊羹ができました。
羊羹は100年前までは高級菓子だったらしいのよ。確かに綺麗ですもんね。戦中は軍の携行食として普及。戦後は庶民の間にも浸透したというものらしいです。
シュガーロードのお菓子を調べていると、お菓子の発展が産業と関係あるものが多いですね。筑豊の成金饅頭や黒ダイヤ(羊羹)などは石炭を掘っている人たちが重労働に従事していて、甘い物を欲したので発展したといわれてますし、北九州の八幡のくろがね羊羹も製鉄所に勤めている人たちが甘い物を欲したので・・と聞いてます。単なるお菓子ではなくて、今で言うところの栄養補助食品の役割も担っていたようです。小城羊羹は軍隊に使われていたとはね~~。
羊羹ストリートを通りお目当ての羊羹資料館に到着。
ところが、私たちの目にとびこんできたのは、資料館ではなく、お向かいにある多賀神社の階段。なんと、山の上まで続いてます。山の上に拝殿があるもよう・・。小城まできたのだし、とりあえず、ごあいさつをば・・。多賀神社は直方でもお参りしたよね~・・って言いながら、せっせと長い長い石段を上りお参りをいたしました。到着した神社からの眺めは、それは絶景。広い佐賀平野は高いところがないので、本当に山の上から・・って感じでした。この広い平野が、お菓子の材料となる豆や小麦を育ててくれているんだね~~ってちょっと感動しましたね。
みて、この石段 150段くらいあるらしいですよ~

さて、羊羹博物館は、村岡総本舗が倉庫として使っていたところにあります。建物がとても古いのです。ちょうど改修工事中。中は見せていただけました。
いただいた資料などをみると、村岡総本舗の創業は明治32年。小城羊羹の名付け親は、2代目社長の村岡安吉氏だそうです。
資料館でビデオをみながら、羊羹をいただきました。
私の中のお気に入りの羊羹。赤い羊羹で外側がちょっとかりっとしてる羊羹。小さい時からなじみの羊羹は村岡屋のだ・・・って思い出しました。小さい時の刷り込みって大事よね~。忘れていてもベロが覚えてる(笑)
資料館の隣はお店なので、しっかり試食&お買い物をしてきました。
黒豆羊羹、絶品です。
もっと高い羊羹もありましたよ~~
後で気がついたんだけど、お店の中の商品は羊羹がほとんど。福岡の村岡屋さんはさが錦が目立っているような気がしたんだけど、小城の本店では見かけませんでした。福岡ではCMでも「さがにしき~・・」とか言っているのにね。地域の嗜好の違いかしらね。
後日談:村岡屋とこの日うかがった村岡総本舗は別のお店でした。さがにしきを扱っているのは村岡屋です。村岡総本舗から分かれた会社です。共通の商品もありますが、ないものもあります。和菓子の会社は同じ名前で、のれんわけをしていることが多いので要注意尋ねていく前にちゃんと勉強しておかなくては・・と反省。お店の方に失礼があってはいけませんから。
一時間に一本の電車のため、ゆっくり出来なかった小城ですが、また訪れたい地でした。今度は歩いて、羊羹ストリートにあるお店を一軒ずつ訪ねてみたい。そして、Hさんとまた食べ比べをしたいね~って話したのでした。
どのお菓子もそうですが、羊羹も歴史なども含めると相当調べ物があります。奥が深い・・・。
ここにきてシュガーロードをとりあえず、小倉から長崎までのお菓子をざっと調べて、後は、何を中心に調査するかをきめたい・・って思いました。そろそろ調査の方向性がみえてきたようです。仕事ではないところがすごいでしょっ
さて、筑豊から佐賀にとんだところで、今年の調査は終了。年が明けたら、1月は長崎街道の起点 北九州の小倉で調査をしたいと思っています。2月はちょうど春節の時期になるので、桃カステラを求めて長崎へ・・との予定。楽しみです。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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