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シュガーロード~長崎 その4 口砂香~
2013年02月28日
2013年2月16日に長崎にいってきました。
先にUPした内容はこちら
シュガーロードのお菓子たち~長崎その1 コンビニスイーツ~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その2 長崎の栗饅頭~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その3 桃モチーフのお菓子~
さて、長崎に出かける前は、今回のテーマは、桃カステラとカステラ・・ときめたはずでしたが、現地にいったら、いろいろとお菓子の誘惑・・・。テーマはどこへやら。桃カステラの特集は来年にしよう(笑)ってな感じ。ちょっと反省(笑)
長崎に出かける前にfbのお友達のIさんから、茂木一まる香本家に【とんぴんかん】って言うお菓子がある・・という情報をいただきました。とんぴんかん??って思ったので調べてみたら、めちゃめちゃ可愛い 絶対これを買わねば~~~・・と新地の近くにあるお店に行ったのでした。
【とんぴんかん】・・・長崎の方言でとっぴょうし・・という意味。あわてもののことらしい。こんなとぼけた名前のお菓子の中身は、口砂香や千代結び飴、それからこのお店の看板商品の一口香のミニミニサイズの詰め合わせでした。
これがその中身。買ったのがミニサイズだったので5個いり。もっと多めに入っているセットもあります。

一つ一つちゃんと包装されてるんですよ~(写真ではわからないでしょっ♪)
モチーフは縁起物。鶴・亀・鯛・千代結び・・おめでた尽くし。
千代結びは飴です。このモチーフの飴は佐賀にも同じものがあります。昔は長崎でも多くのお店がつくっていたそうです。今では佐賀の方が多いのかなあ。佐賀では今でもお祝いに使われるそうです。
一口香は、いっこっこう・・と読みます。このお菓子も佐賀にもあるお菓子で、佐賀のは逸口香と書きます。ちなみにこのお菓子、愛知県にもおなじものがあります。愛知県常滑市のは、長崎と同じ字だそうです。このお菓子の原型となっているのは唐饅頭だそうです。このお菓子のことは、また詳しく書きたいと思います。
さて、その他の鶴・亀・鯛・・・ですが、これが今回のテーマである口砂香であります。
口砂香(こうさこう 長崎ではこうさこ・・といいます)は落雁みたいなお菓子です。
落雁は米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色して、型に押して乾燥させた干菓子です。
落雁の製法には2種類あって
一つはすでに蒸して乾燥させた米の粉を用いこれに水飴や砂糖にくわえて練り型にはめた後、乾燥させたもの。
もう一つは過熱していない米の粉を用いて、同様に水飴をくわえ成型し、セイロで蒸し上げた後、乾燥させたもの。
前者を落雁、後者をハクセツコウと呼ばれるもの。口砂香は後者のものとなるようです。
とんぴんかんに入っていた口砂香の食べた感じは、普通の落雁かなあ・・という感じ。
岩永梅寿軒で買った口砂香。こちらの物はサラッとした口どけ。強い甘さですが、上品な味わいでした。

落雁や口砂香のような、干菓子と呼ばれるお菓子は、現代では需要の少ないお菓子になりつつあるようです。確かに日常でバクバク食べるお菓子ではありません。しかし、職人の技が最も発揮されているお菓子のような気がしてなりません。ずっと継承していきたいお菓子です。
*****************************
さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.
当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
先にUPした内容はこちら
シュガーロードのお菓子たち~長崎その1 コンビニスイーツ~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その2 長崎の栗饅頭~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その3 桃モチーフのお菓子~
さて、長崎に出かける前は、今回のテーマは、桃カステラとカステラ・・ときめたはずでしたが、現地にいったら、いろいろとお菓子の誘惑・・・。テーマはどこへやら。桃カステラの特集は来年にしよう(笑)ってな感じ。ちょっと反省(笑)
長崎に出かける前にfbのお友達のIさんから、茂木一まる香本家に【とんぴんかん】って言うお菓子がある・・という情報をいただきました。とんぴんかん??って思ったので調べてみたら、めちゃめちゃ可愛い 絶対これを買わねば~~~・・と新地の近くにあるお店に行ったのでした。
【とんぴんかん】・・・長崎の方言でとっぴょうし・・という意味。あわてもののことらしい。こんなとぼけた名前のお菓子の中身は、口砂香や千代結び飴、それからこのお店の看板商品の一口香のミニミニサイズの詰め合わせでした。
これがその中身。買ったのがミニサイズだったので5個いり。もっと多めに入っているセットもあります。

一つ一つちゃんと包装されてるんですよ~(写真ではわからないでしょっ♪)
モチーフは縁起物。鶴・亀・鯛・千代結び・・おめでた尽くし。
千代結びは飴です。このモチーフの飴は佐賀にも同じものがあります。昔は長崎でも多くのお店がつくっていたそうです。今では佐賀の方が多いのかなあ。佐賀では今でもお祝いに使われるそうです。
一口香は、いっこっこう・・と読みます。このお菓子も佐賀にもあるお菓子で、佐賀のは逸口香と書きます。ちなみにこのお菓子、愛知県にもおなじものがあります。愛知県常滑市のは、長崎と同じ字だそうです。このお菓子の原型となっているのは唐饅頭だそうです。このお菓子のことは、また詳しく書きたいと思います。
さて、その他の鶴・亀・鯛・・・ですが、これが今回のテーマである口砂香であります。
口砂香(こうさこう 長崎ではこうさこ・・といいます)は落雁みたいなお菓子です。
落雁は米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色して、型に押して乾燥させた干菓子です。
落雁の製法には2種類あって
一つはすでに蒸して乾燥させた米の粉を用いこれに水飴や砂糖にくわえて練り型にはめた後、乾燥させたもの。
もう一つは過熱していない米の粉を用いて、同様に水飴をくわえ成型し、セイロで蒸し上げた後、乾燥させたもの。
前者を落雁、後者をハクセツコウと呼ばれるもの。口砂香は後者のものとなるようです。
とんぴんかんに入っていた口砂香の食べた感じは、普通の落雁かなあ・・という感じ。
岩永梅寿軒で買った口砂香。こちらの物はサラッとした口どけ。強い甘さですが、上品な味わいでした。

落雁や口砂香のような、干菓子と呼ばれるお菓子は、現代では需要の少ないお菓子になりつつあるようです。確かに日常でバクバク食べるお菓子ではありません。しかし、職人の技が最も発揮されているお菓子のような気がしてなりません。ずっと継承していきたいお菓子です。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
シュガーロード~長崎その3 桃モチーフのお菓子~
2013年02月28日
2013年2月16日、長崎へいってきました。
長崎は、長崎街道の起点であり終点であります。
江戸時代の鎖国時、この地は唯一の世界へ開かれた窓口でした。
ポルトガル人が平戸にお菓子を伝えた時代の後、窓口はこの長崎の出島へと移ります。
平戸の役目はある意味、そこで終了して、舞台は長崎ということになります。
長崎では、オランダ、中国などの文化が入ってきて、今でも、その面影を偲ぶ事ができる史跡もたくさんあります。お菓子も当然、影響を受けていて、和(日本)、華(中国)、蘭(オランダ)とお菓子の顔ぶれも華やかです。
ちょうど、2月は春節の季節。そして3月は桃の節句。この季節には町中に桃モチーフのお菓子があふれていました。
さて、このモチーフになった果物「桃」
中国において「桃」は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果物の意)と呼ばれ、昔から邪気をはらい不老長寿を与える果物と親しまれており、桃の実は長寿を示す吉兆図案であり、お祝い事の際には、桃の実をかたどった饅頭などを食べる習慣がある・・・そうです。
日本においても古くから邪気を祓う力があるとかんがえられていて、「古事記」の中でも、イザナギノミコトが、桃を投げつける事によって、ヨモツシコメ(鬼女)を退散させた・・という話もあります。
この神話で思い出したのが、直方の多賀神社の桃のお守り。(多賀神社のご祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトです)
以前、直方のお菓子の調査をした時に、多賀神社にも立ち寄ったのですが、社務所のお守りの中に、可愛らしい桃の土鈴があって、3個で一組になのが不思議だったのですが、この古事記の中のお話に由来していたのですね~。3個というのは、イザナギノミコトが投げつけた桃の数です。そして、この功績?により、桃には「大神実命(オオカムズミノミコト)の名前を与えられたそうです。
もう一つ、桃というとおなじみのお話「桃太郎」がありますね~。岡山の民話として有名ですが、実は日本全国にこの話はあります。
桃の節句は、この桃の加護によって、女の子の健やかな成長を願う行事であります。
作物としての「桃」もやはり原産地は中国西北部。英語のPeachはペルシアが語源でラテン語でペルシアのりんごからきています。
日本でも縄文時代には存在していて、平安時代には、水菓子として珍重されていたそうですが、今のものより甘くなく、今のような甘さのある種類の桃は明治時代から・・だそうです。
桃は祭祀と食用・・という二つのお役目を持っていた果物というわけです。
長崎は、先に書いているように中国の影響を受けていますので、、縁起物として、桃モチーフのお菓子が発達するのは当然といえば、当然なのかもですね。
可愛らしいお菓子をみると、長崎の春を思う・・そんな気持ちになります。

左より 桃饅頭
中央上 桃カステラ
右 桃栗饅頭
下 こももカステラ(チョコ) こももカステラ
桃カステラの大きさもいろいろあるようです。
こももサイズは、とても買いやすい大きさとお値段でした。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.
当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
長崎は、長崎街道の起点であり終点であります。
江戸時代の鎖国時、この地は唯一の世界へ開かれた窓口でした。
ポルトガル人が平戸にお菓子を伝えた時代の後、窓口はこの長崎の出島へと移ります。
平戸の役目はある意味、そこで終了して、舞台は長崎ということになります。
長崎では、オランダ、中国などの文化が入ってきて、今でも、その面影を偲ぶ事ができる史跡もたくさんあります。お菓子も当然、影響を受けていて、和(日本)、華(中国)、蘭(オランダ)とお菓子の顔ぶれも華やかです。
ちょうど、2月は春節の季節。そして3月は桃の節句。この季節には町中に桃モチーフのお菓子があふれていました。
さて、このモチーフになった果物「桃」
中国において「桃」は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果物の意)と呼ばれ、昔から邪気をはらい不老長寿を与える果物と親しまれており、桃の実は長寿を示す吉兆図案であり、お祝い事の際には、桃の実をかたどった饅頭などを食べる習慣がある・・・そうです。
日本においても古くから邪気を祓う力があるとかんがえられていて、「古事記」の中でも、イザナギノミコトが、桃を投げつける事によって、ヨモツシコメ(鬼女)を退散させた・・という話もあります。
この神話で思い出したのが、直方の多賀神社の桃のお守り。(多賀神社のご祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトです)
以前、直方のお菓子の調査をした時に、多賀神社にも立ち寄ったのですが、社務所のお守りの中に、可愛らしい桃の土鈴があって、3個で一組になのが不思議だったのですが、この古事記の中のお話に由来していたのですね~。3個というのは、イザナギノミコトが投げつけた桃の数です。そして、この功績?により、桃には「大神実命(オオカムズミノミコト)の名前を与えられたそうです。
もう一つ、桃というとおなじみのお話「桃太郎」がありますね~。岡山の民話として有名ですが、実は日本全国にこの話はあります。
桃の節句は、この桃の加護によって、女の子の健やかな成長を願う行事であります。
作物としての「桃」もやはり原産地は中国西北部。英語のPeachはペルシアが語源でラテン語でペルシアのりんごからきています。
日本でも縄文時代には存在していて、平安時代には、水菓子として珍重されていたそうですが、今のものより甘くなく、今のような甘さのある種類の桃は明治時代から・・だそうです。
桃は祭祀と食用・・という二つのお役目を持っていた果物というわけです。
長崎は、先に書いているように中国の影響を受けていますので、、縁起物として、桃モチーフのお菓子が発達するのは当然といえば、当然なのかもですね。
可愛らしいお菓子をみると、長崎の春を思う・・そんな気持ちになります。
左より 桃饅頭
中央上 桃カステラ
右 桃栗饅頭
下 こももカステラ(チョコ) こももカステラ
桃カステラの大きさもいろいろあるようです。
こももサイズは、とても買いやすい大きさとお値段でした。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.
当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
シュガーロード~長崎 その1 コンビニスイーツ~
2013年02月18日
2012年2月16日 長崎へいってきました。
長崎はシュガーロード(長崎街道)の終点(筑前から見たら)です。
今回の長崎の調査は、シュガーロードの調査があがり・・というわけではありません。
2月は春節があるので、長崎ではランタンフェスティバルが開催中。この時期には、町のお菓子屋の店頭には長崎の名物【桃カステラ】がならびます。なので、この季節の長崎を見たかった・・ということもあり調査にいったというわけ。
いつものとおり、Hさんと。それから今回は私のお花の元生徒さん、Ha~さんも一緒に。
ランタンより団子・・・な一日となりました。
今回の長崎行きにあたり、時々行動をともにするTちゃんに情報を聞いた時に出た話。Tちゃんは学生時代を長崎ですごしているので、長崎にくわしい。ただ昔の長崎だけどね。長崎はここ10年ほどでかなり変貌しているようですので事情がかわってます。でも道などはかわってないので、距離感などを聞いた時に出た話。
長崎の老舗洋菓子店【梅月堂】監修でローソンから「シースサンド」という地域限定スイーツがありますよ~~。福岡では一回みかけただけなので、長崎のローソンで探してみてください。
コンビニスイーツには、あまり興味がないのだけど、地域限定品・・・ならばってな感じであまり赴きはおいてなかったのですが、たまたま散策中にローソンをみつけたのでいってみたら、ありました。


中身はこんな感じ。外側はふわふわしっとり。不二家のペコちゃんのお菓子をおもいだしてしまいました(笑)懐かしい感じ

中身はパインと黄桃
黄桃は絶対はずせないですよね~~
シースクリームより味がしっかりしているような気がしました。甘さもこちらの方がしっかりしている。(あくまでも私の主観)
詳しくはローソンのHPをご覧くださいね。
梅月堂のシースクリームもちゃんとたべてきましたから、その話は後ほど・・・
*****************************
さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます。
長崎はシュガーロード(長崎街道)の終点(筑前から見たら)です。
今回の長崎の調査は、シュガーロードの調査があがり・・というわけではありません。
2月は春節があるので、長崎ではランタンフェスティバルが開催中。この時期には、町のお菓子屋の店頭には長崎の名物【桃カステラ】がならびます。なので、この季節の長崎を見たかった・・ということもあり調査にいったというわけ。
いつものとおり、Hさんと。それから今回は私のお花の元生徒さん、Ha~さんも一緒に。
ランタンより団子・・・な一日となりました。
今回の長崎行きにあたり、時々行動をともにするTちゃんに情報を聞いた時に出た話。Tちゃんは学生時代を長崎ですごしているので、長崎にくわしい。ただ昔の長崎だけどね。長崎はここ10年ほどでかなり変貌しているようですので事情がかわってます。でも道などはかわってないので、距離感などを聞いた時に出た話。
長崎の老舗洋菓子店【梅月堂】監修でローソンから「シースサンド」という地域限定スイーツがありますよ~~。福岡では一回みかけただけなので、長崎のローソンで探してみてください。
コンビニスイーツには、あまり興味がないのだけど、地域限定品・・・ならばってな感じであまり赴きはおいてなかったのですが、たまたま散策中にローソンをみつけたのでいってみたら、ありました。

中身はこんな感じ。外側はふわふわしっとり。不二家のペコちゃんのお菓子をおもいだしてしまいました(笑)懐かしい感じ
中身はパインと黄桃
黄桃は絶対はずせないですよね~~
シースクリームより味がしっかりしているような気がしました。甘さもこちらの方がしっかりしている。(あくまでも私の主観)
詳しくはローソンのHPをご覧くださいね。
梅月堂のシースクリームもちゃんとたべてきましたから、その話は後ほど・・・
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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