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シュガーロード~長崎 その4 口砂香~

2013年02月28日

2013年2月16日に長崎にいってきました。
先にUPした内容はこちら
シュガーロードのお菓子たち~長崎その1 コンビニスイーツ~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その2 長崎の栗饅頭~
シュガーロードのお菓子たち~長崎その3 桃モチーフのお菓子~ 

 さて、長崎に出かける前は、今回のテーマは、桃カステラとカステラ・・ときめたはずでしたが、現地にいったら、いろいろとお菓子の誘惑・・・。テーマはどこへやら。桃カステラの特集は来年にしよう(笑)ってな感じ。ちょっと反省(笑)

 長崎に出かける前にfbのお友達のIさんから、茂木一まる香本家に【とんぴんかん】って言うお菓子がある・・という情報をいただきました。とんぴんかん??って思ったので調べてみたら、めちゃめちゃ可愛い 絶対これを買わねば~~~・・と新地の近くにあるお店に行ったのでした。

 【とんぴんかん】・・・長崎の方言でとっぴょうし・・という意味。あわてもののことらしい。こんなとぼけた名前のお菓子の中身は、口砂香や千代結び飴、それからこのお店の看板商品の一口香のミニミニサイズの詰め合わせでした。

 これがその中身。買ったのがミニサイズだったので5個いり。もっと多めに入っているセットもあります。


 
 
















 一つ一つちゃんと包装されてるんですよ~(写真ではわからないでしょっ♪)

 モチーフは縁起物。鶴・亀・鯛・千代結び・・おめでた尽くし。

 千代結びは飴です。このモチーフの飴は佐賀にも同じものがあります。昔は長崎でも多くのお店がつくっていたそうです。今では佐賀の方が多いのかなあ。佐賀では今でもお祝いに使われるそうです。

 一口香は、いっこっこう・・と読みます。このお菓子も佐賀にもあるお菓子で、佐賀のは逸口香と書きます。ちなみにこのお菓子、愛知県にもおなじものがあります。愛知県常滑市のは、長崎と同じ字だそうです。このお菓子の原型となっているのは唐饅頭だそうです。このお菓子のことは、また詳しく書きたいと思います。

 さて、その他の鶴・亀・鯛・・・ですが、これが今回のテーマである口砂香であります。

 口砂香(こうさこう 長崎ではこうさこ・・といいます)は落雁みたいなお菓子です。

 落雁は米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色して、型に押して乾燥させた干菓子です。
 落雁の製法には2種類あって
 一つはすでに蒸して乾燥させた米の粉を用いこれに水飴や砂糖にくわえて練り型にはめた後、乾燥させたもの。
 もう一つは過熱していない米の粉を用いて、同様に水飴をくわえ成型し、セイロで蒸し上げた後、乾燥させたもの。
 前者を落雁、後者をハクセツコウと呼ばれるもの。口砂香は後者のものとなるようです。
 
 とんぴんかんに入っていた口砂香の食べた感じは、普通の落雁かなあ・・という感じ。

 岩永梅寿軒で買った口砂香。こちらの物はサラッとした口どけ。強い甘さですが、上品な味わいでした。



 

















落雁や口砂香のような、干菓子と呼ばれるお菓子は、現代では需要の少ないお菓子になりつつあるようです。確かに日常でバクバク食べるお菓子ではありません。しかし、職人の技が最も発揮されているお菓子のような気がしてなりません。ずっと継承していきたいお菓子です。


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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 23:06Comments(0)長崎

シュガーロード~長崎その3 桃モチーフのお菓子~

2013年02月28日

 2013年2月16日、長崎へいってきました。
 長崎は、長崎街道の起点であり終点であります。
 江戸時代の鎖国時、この地は唯一の世界へ開かれた窓口でした。
 ポルトガル人が平戸にお菓子を伝えた時代の後、窓口はこの長崎の出島へと移ります。
 平戸の役目はある意味、そこで終了して、舞台は長崎ということになります。
 長崎では、オランダ、中国などの文化が入ってきて、今でも、その面影を偲ぶ事ができる史跡もたくさんあります。お菓子も当然、影響を受けていて、和(日本)、華(中国)、蘭(オランダ)とお菓子の顔ぶれも華やかです。

 ちょうど、2月は春節の季節。そして3月は桃の節句。この季節には町中に桃モチーフのお菓子があふれていました。

 さて、このモチーフになった果物「桃」
 中国において「桃」は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果物の意)と呼ばれ、昔から邪気をはらい不老長寿を与える果物と親しまれており、桃の実は長寿を示す吉兆図案であり、お祝い事の際には、桃の実をかたどった饅頭などを食べる習慣がある・・・そうです。

 日本においても古くから邪気を祓う力があるとかんがえられていて、「古事記」の中でも、イザナギノミコトが、桃を投げつける事によって、ヨモツシコメ(鬼女)を退散させた・・という話もあります。

 この神話で思い出したのが、直方の多賀神社の桃のお守り。(多賀神社のご祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトです)
 以前、直方のお菓子の調査をした時に、多賀神社にも立ち寄ったのですが、社務所のお守りの中に、可愛らしい桃の土鈴があって、3個で一組になのが不思議だったのですが、この古事記の中のお話に由来していたのですね~。3個というのは、イザナギノミコトが投げつけた桃の数です。そして、この功績?により、桃には「大神実命(オオカムズミノミコト)の名前を与えられたそうです。

 もう一つ、桃というとおなじみのお話「桃太郎」がありますね~。岡山の民話として有名ですが、実は日本全国にこの話はあります。

 桃の節句は、この桃の加護によって、女の子の健やかな成長を願う行事であります。

 作物としての「桃」もやはり原産地は中国西北部。英語のPeachはペルシアが語源でラテン語でペルシアのりんごからきています。
 日本でも縄文時代には存在していて、平安時代には、水菓子として珍重されていたそうですが、今のものより甘くなく、今のような甘さのある種類の桃は明治時代から・・だそうです。

 桃は祭祀と食用・・という二つのお役目を持っていた果物というわけです。

 長崎は、先に書いているように中国の影響を受けていますので、、縁起物として、桃モチーフのお菓子が発達するのは当然といえば、当然なのかもですね。
 可愛らしいお菓子をみると、長崎の春を思う・・そんな気持ちになります。



























左より 桃饅頭 
中央上 桃カステラ
右 桃栗饅頭
下 こももカステラ(チョコ) こももカステラ

桃カステラの大きさもいろいろあるようです。
こももサイズは、とても買いやすい大きさとお値段でした。


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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 22:10Comments(0)長崎

シュガーロード~長崎 その1 コンビニスイーツ~

2013年02月18日

2012年2月16日 長崎へいってきました。
 長崎はシュガーロード(長崎街道)の終点(筑前から見たら)です。
 今回の長崎の調査は、シュガーロードの調査があがり・・というわけではありません。
 2月は春節があるので、長崎ではランタンフェスティバルが開催中。この時期には、町のお菓子屋の店頭には長崎の名物【桃カステラ】がならびます。なので、この季節の長崎を見たかった・・ということもあり調査にいったというわけ。

 いつものとおり、Hさんと。それから今回は私のお花の元生徒さん、Ha~さんも一緒に。
 ランタンより団子・・・な一日となりました。

 今回の長崎行きにあたり、時々行動をともにするTちゃんに情報を聞いた時に出た話。Tちゃんは学生時代を長崎ですごしているので、長崎にくわしい。ただ昔の長崎だけどね。長崎はここ10年ほどでかなり変貌しているようですので事情がかわってます。でも道などはかわってないので、距離感などを聞いた時に出た話。

 長崎の老舗洋菓子店【梅月堂】監修でローソンから「シースサンド」という地域限定スイーツがありますよ~~。福岡では一回みかけただけなので、長崎のローソンで探してみてください。

 コンビニスイーツには、あまり興味がないのだけど、地域限定品・・・ならばってな感じであまり赴きはおいてなかったのですが、たまたま散策中にローソンをみつけたのでいってみたら、ありました。





















中身はこんな感じ。外側はふわふわしっとり。不二家のペコちゃんのお菓子をおもいだしてしまいました(笑)懐かしい感じ



















中身はパインと黄桃
黄桃は絶対はずせないですよね~~
シースクリームより味がしっかりしているような気がしました。甘さもこちらの方がしっかりしている。(あくまでも私の主観)

詳しくはローソンのHPをご覧くださいね。

梅月堂のシースクリームもちゃんとたべてきましたから、その話は後ほど・・・



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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 09:02Comments(0)長崎

シュガーロード ~桃カステラ~

2013年02月11日

節分が過ぎたら、お雛様の季節がすぐにやってくる。
 毎年、我が家ではお雛様にお供えするお菓子の一つに桃カステラを用意する。
 桃カステラは長崎のお祝いに使われる縁起菓子だ。
 
 私の思い出の中の桃カステラ・・・っといいたいところだけど、この件は私自身は記憶がない。母から聞いた話。

 私の両親は新婚時代から数年、父の仕事の転勤で長崎と福岡を行ったりきたりしている。そのせいで、私と弟は長崎生まれ。ただ生まれただけなので記憶があいまいなんだけど、弟が生まれた時のことや、おくんち、崇福寺、龍踊り、精霊流し・・などかすかに覚えてる。

 私の初節句のお返しに、この桃カステラが使われた・・というのもずいぶんと大人になってから母から聞いた話。
 なんでも、長崎の風習で、隣近所の人から、ささやかなお祝いをいただいていたので、そのお返しに何をしたらよいのだろう・・と思案していたら、お向かいに住んでいた方から教えてもらったのだそう。
 「長崎では桃カステラを返せばよい・・」北九州出身の母にとって、それは何?っていうものだったそうで、買いに言ったら(たぶん松翁軒)、可愛い桃の絵がのっている大きなカップケーキのようなカステラだった・・・。それを、2、3個ずつ位セットにして、隣近所に配ったというようなことをいっていた。

 当時は今のようにものが溢れている時代ではなかった。隣近所の出産祝いもささやかで、手作りのよだれかけだったりおしめだったり・・。ささやかで心のこもったお祝いのお返しには、桃カステラはぴったり・・のような気がする。

 桃の絵の部分は砂糖でできている。桃は中国では不老長寿の象徴の果物。縁起がよいものだ。
 桃の節句の頃には長崎のお菓子屋がこぞって作るものだけど、お店によってこの絵が少しずつ違う。カステラの部分の配合と、この絵でそれぞれのお店の個性が出るような感じである。味は昔のより、今のほうが断然おいしい・・と母はいっていた。確かに松翁軒のは甘いけど、おいしい。

 桃カステラは長崎のお菓子なんだけど、近年、TVや雑誌なんかで紹介されて、他の地方でも知っている人は知ってるらしい。東海地方出身の義妹もテレビでみたとか言っていたので、姪の初節句の時に送ってあげた。

 福岡でもこの時期、三越の松翁軒の売り場にお目見えする。近頃ではちゃんと1個箱や、プチ3個入りもあるくらいだ。以前、お店の方にきいたことがあるけれど、長崎出身の方が懐かしがって買っていかれることが多いそうだ。長崎出身でなくても、この可愛らしさは、女性の心をくすぐるようなきがする。以前、松翁軒のほかに文明堂のコーナーでも見かけたことがあるが、今年はどうだろうか。

 シュガーロードのお菓子をいろいろと調べて、食べて・・・・と一緒に行動しているHさんと、よく、結婚式の引き菓子につかうなら・・という話をするんだけど、私は引き菓子は断然この桃カステラである。甘くて、嫌われそうだけど、この形と愛らしさはやっぱり捨てがたい。

 今年も長崎ではランタンフェスティバルがはじまった。20回目だそうだ。すっかり冬の季節のお祭りとして定着した感がある。今回は、シュガーロードのお菓子の調査をこのランタンにひっかけて行く。いつもよりにぎやかな町のお菓子屋の店先の桃カステラに、今、会いに行きます・・・という感じである。

 写真は昨年、長崎 松翁軒本店で買った桃カステラ
  



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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 10:17Comments(0)番外編

シュガーロード~村岡社長のセミナー~

2013年02月09日

今日は、村岡総本舗の社長、村岡安廣氏主催のお菓子のセミナーに参加してきました。
 村岡社長は、お菓子の研究家でもあります。
 その著書は、シュガーロードのお菓子を調べている私にとって、バイブルみたいなもの。
 いつも、いつも舐めるように読んでいる状態なのですが、おもしろく、何回みても飽きないのであります。

 今回のセミナーを知ったのは昨年の12月に小城の羊羹資料館でいただいた資料によってでした。もっと早く知っていれば・・・と悔やまれますが、しかたがありません。

 参加者のほとんどが毎月こられているようで、村岡社長も「初めての方がいらっしゃいますので、話が繰り返しになるかもしれませんが・・」とか「初めての方にはわかりにくいかもしれませんが・・」と気遣ってくださいましたが、そこは、毎日舐めるように本を読んでいる私。全く問題なく話しについていけました。(どんなもんだい・・・(ちょっと威張る))

 お土産に村岡総本舗のお菓子をいただいたのですが、その中に季節限定の蒸し羊羹があって、これは会場で、コーヒーと一緒にいただいてみてください・・と社長おすすめの一品。写真をとりたかったので、ほんの少し食べてみましたら、羊羹ってこんなにコーヒーにあるのね~~・・って感じ。
 蒸し羊羹は普通の練り羊羹と違って、やわらかく、滑らかで優しい味わい。デリケートな感じ。水羊羹に似てるかなあ・・・。(いくらでも食べれそう ・・笑)

 この間の小倉のお菓子(鶴の子)の時にも書きましたが、お菓子とお茶などの飲料の組み合わせはとても大切だと思います。今日は意外な組み合わせ。ちょっとびっくりです。

 そのほか、白玉団子、パン饅頭、カステラなどをいただきました。
 
 写真はパン饅頭 蒸し羊羹(黒いもの、少し食べてるので形が変ですが) 白玉饅頭

 

 パン饅頭は酒種を使った、中にあんこが入っていないもの。岸川饅頭がヒントのようです。
 白玉饅頭はうるち米をつかっているものなので、日持ちがしないお饅頭。今、佐賀のお菓子で、白玉饅頭と岸川饅頭を食べたい&調べたいと思っている私としてはとっても嬉しいお土産でした。


 今日のセミナーは、資料の補足説明のようなもので、とても勉強になりました。
 ますます、シュガーロードのお菓子に魅せられて・・・といった感じです。

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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:07Comments(0)番外編

シュガーロード~鶴の子 鶴乃子 雪うさぎ~

2013年02月05日


先日、入手した湖月堂の「鶴の子」
 詳細といきさつは先日かいてますのでそこを見てくださいね。

 シュガーロードのお菓子たち~小倉 常盤橋(起点)~
 シュガーロードのお菓子たち ~小倉の銘菓 鶴の子
 さて、「鶴の子」というと、福岡の人は、絶対に石村萬成堂の「鶴乃子」と思うでしょう。・・・とブログに書いたら、並べてみたくなったので、本日、久しぶりに買ってきました。
 ついでに、風月の雪うさぎも・・・・。マシュマロのお饅頭・・って言うとこれもね同じ仲間だし(笑)

 
 手前 鶴の子(湖月堂) 後ろ 左が鶴乃子(石村萬成堂) 右 雪うさぎ(風月)
 

 
 




















包装紙を取ってみるとこんな感じ
 

 


















 さて、先日のブログでも書きましたが、鶴の子(湖月堂)は落雁のお菓子です。
 鶴乃子(石村萬成堂)は、マシュマロに白餡のお菓子です。

 石村萬成堂は明治38年創業。なんとあの川上音二郎が所有していた長屋を借りての創業だったらしいです。川上音二郎といえば「オッペケペー」でしられる、新劇の祖。(上川端商店街の入り口に像がありますね~。) ちなみに、創業した長屋は戦災で失われてるそうです。面影は今の本店に見ることができる・・とのことでした。

 で、この鶴乃子は、鶏卵素麺の裏商品だったらしいです。鶏卵素麺は卵の黄身と砂糖で作るお菓子。なので、白みがたくさんあまっちゃった・・どうしよう・・ってな感じで開発されたお菓子らしいのです。
 
 余談ですが、マシュマロをはじめて日本にいれたのは、森永太一郎(森永製菓の創始者)だそうです。マシュマロ=エンジェルパイとおもっている私としては、なるほど~~~って感じです。でもヒットしなかったらしい。その後(大正時代)にキャラメルがヒット。森永キャラメルです。ちなみに森永太一郎は佐賀出身。

 もう一つ余談、江戸時代、黒田藩が財政難になったときに、養鶏をひろめて、卵で財政を立て直そうとしたらしいのです。当時は卵は貴重品。それが高価な砂糖と結びついて出来上がったのが鶏卵素麺。で、時代が下ってあまった白みでマシュマロ。卵を産まなくなった鶏を使って水炊が出来た・・・という話。財政を支えた養鶏から名物がたくさん生まれたってわけね。

 話をもとにもどしまして・・。
 写真で二つの鶴の子(鶴乃子)をくらべてみますと、鶴の子一つだけでは気がつきにくかった色あいの違いがはっきりわかります。下の落雁の方は少し黄みかかってるかんじ。上は真っ白(マシュマロ) 形も、鶴の子のほうがほっそりと鶴らしい。
 

 
 
 















 割ってみたら
  
  
  



















  どちらも白餡。原料は手亡豆。これも一緒
  ちなみに雪うさぎも同じく白餡で手亡豆です。

  食べてみると、鶴乃子はマシュマロの印象がつよくて、餡の印象があまりないなあ・・。
  鶴の子は落雁と一体になっていて口どけが良い感じ。(あくまでも私の主観です)

  写真にはありませんが、雪うさぎのマシュマロはゼラチンをつかっていて、卵ではないそうなので、卵アレルギーの方でも食べれるそうです。

 その為なのか?鶴乃子とちょっと食感が違うマシュマロでした。

 比べてどうなのよ・・って話ですが、やっぱり白餡なんだ~~って白餡迷宮にはまり込んでる私としては興味津々なのであります。

 *白餡迷宮・・・・九州北部のお饅頭は圧倒的に白餡なのであります。なぜ??

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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 22:43Comments(2)番外編

シュガーロード~小倉の銘菓 鶴の子~

2013年02月03日

1月25日にシュガーロードの調査で小倉にいきました。
詳しくは、シュガーロード~小倉 常盤橋(起点)・・をご覧下さい

 常盤橋の袂の茶店【ときわばし】の社長さんから教えていただいた、小倉の銘菓「鶴の子」のこと。
 湖月堂で販売されている・・・と聞いたので、魚町の本店にひきかえしたのだけど、予約販売の商品だったので、その日は入手できず、残念となりました。

 そのお菓子を昨日入手したのでやっとブログでお披露目です。

 ところで、鶴の子というと、福岡の人はやはり石村萬成堂のお菓子を思い出しますよね。白いマシュマロのお菓子を。

 小倉の鶴の子はこのお菓子とは全然違っていて、落雁に白餡が入ったお菓子です。

 歴史は古く、江戸時代、文政の頃に江戸から下ってきた東甘堂というものが、小倉、米町の福田屋に製法を伝えた・・とのこと。(小倉市誌)
 このお菓子は小笠原家の茶の湯の御用菓子でした。
 この福田屋は1977年に閉店。今日では湖月堂がその技術を受け継いで製造しているのです。

 湖月堂の鶴の子
 

 





















包み紙も鶴が表現されています。形は卵のような感じです。

 


 


























 箱もステキでしょう。

 

 
 





















 割ってみたら、中は白餡

 食べてみたら、落雁の粉っぽさをちょっと感じますが、その後は口の中でとけてしまう感じ。
品の良い甘さです。白餡も見た目は硬そうな感じですが、周りの落雁と一緒にさらりとした口どけでした。
 このお菓子は、茶の湯とともにあるお菓子なので、お菓子だけ食べてもね~・・って感じがしました。ちゃんとお茶をたてて、一緒に楽しみたいものです。

 ワインを飲むときにお料理とのマリアージュが大事っていうじゃないですか。それと同じように、このお菓子はお茶とともにあって初めて本領発揮をするのでは・・って思います。お茶を邪魔しない控えめな味わいはそんなことを思わせます。姿も味も、楚々とした感じで、貴婦人を思わせます。あくまでも、私の主観ですけどね。

 このお菓子の製造をしていたのは、もう一軒ありまして、それが常盤橋の袂にあった茶商櫛木商店(久志記)です。このお店ももうすでに数年前に閉店となっていますので、今となってはどんな味わいだったのかはわかりません。

  いろんな方が書いているブログをみてみると、湖月堂のよりも小ぶりで、味わいももっと素材の味がするものだったようです。(湖月堂のものは今の人の口にあうようにつくってあるらしいです)今となっては想像の域ですが、往時の味わいをしのばせるようなものだったのでしょう。

 それにしても、時代の流れというのは厳しい。久志記は数年前までは存在したようなので、間に合わなかった・・と思うと、とても残念でなりません。江戸時代から引き継がれていた味というのを味わってみたかった・・というのが率直な気持ちです。
 
 八幡東区にある「いのちのたび博物館」に、福田屋の暖簾が展示してあるそうです。
 無くなってしまったお店には行く事ができません。それでも少しでもお店を伺い知る資料があるならば見たい思います。 近いうちに会いに行こうと思います。 
 
  


Posted by はなはな at 23:39Comments(0)小倉