タイのお菓子に和菓子が影響?

2013年07月01日

今日の西日本新聞の朝刊で見つけた記事。
 
 ポルトガル人が西洋菓子を伝えたのは長崎だけではない。東南アジアにもいろいろなお菓子をもたらした・・・・・。
 
 記事はタイの「カノムモーケン」というお菓子についての内容。
 このお菓子は、サトイモと卵とここナムミルクで作る焼き菓子で、カスタードプリンのような食感なのだそうだ。ペチャプリ県の名物で、100軒ほどの店がこのお菓子を売っているらしい。このお菓子は80年前に途絶えていた物を復活させたものらしいので、歴史も有る。どんなお菓子だろう・・とスイーツ女子としては興味津々。

 このお菓子をタイにもたらしたのは、マリア・ギオマール・デ・ビーニャという女性で、アユタヤ王朝時代に王宮でお菓子作りの技を発揮したらしい。特筆すべき点は、この女性の母方の祖母はポルトガル人、祖父は、なんと平戸出身。日本人なのだ。平戸が国際都市であったことは以前、このブログにも書いたが、こんなところにも平戸の人がでてくるとは。

 記事は、この菓子の繊細な味には和菓子のセンスがはいっているのかも、と想像してみるのも楽しい・・・と結んであるが、本当にその通りで、大航海時代の平戸に思いを馳せるのはワクワクする。まあ、スイーツ女子としては、想像だけでは飽き足らず、やっぱり食べたい・・と思うけれどね。

 お菓子にはまっていると、こんな情報までひっかかってくるのが、おもしろいというか、たのしいというか・・・。病(やまい)の域に入っているということなのかも(笑)

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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:06│Comments(0)番外編
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