シュガーロード~長崎その3 桃モチーフのお菓子~
2013年02月28日
2013年2月16日、長崎へいってきました。
長崎は、長崎街道の起点であり終点であります。
江戸時代の鎖国時、この地は唯一の世界へ開かれた窓口でした。
ポルトガル人が平戸にお菓子を伝えた時代の後、窓口はこの長崎の出島へと移ります。
平戸の役目はある意味、そこで終了して、舞台は長崎ということになります。
長崎では、オランダ、中国などの文化が入ってきて、今でも、その面影を偲ぶ事ができる史跡もたくさんあります。お菓子も当然、影響を受けていて、和(日本)、華(中国)、蘭(オランダ)とお菓子の顔ぶれも華やかです。
ちょうど、2月は春節の季節。そして3月は桃の節句。この季節には町中に桃モチーフのお菓子があふれていました。
さて、このモチーフになった果物「桃」
中国において「桃」は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果物の意)と呼ばれ、昔から邪気をはらい不老長寿を与える果物と親しまれており、桃の実は長寿を示す吉兆図案であり、お祝い事の際には、桃の実をかたどった饅頭などを食べる習慣がある・・・そうです。
日本においても古くから邪気を祓う力があるとかんがえられていて、「古事記」の中でも、イザナギノミコトが、桃を投げつける事によって、ヨモツシコメ(鬼女)を退散させた・・という話もあります。
この神話で思い出したのが、直方の多賀神社の桃のお守り。(多賀神社のご祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトです)
以前、直方のお菓子の調査をした時に、多賀神社にも立ち寄ったのですが、社務所のお守りの中に、可愛らしい桃の土鈴があって、3個で一組になのが不思議だったのですが、この古事記の中のお話に由来していたのですね~。3個というのは、イザナギノミコトが投げつけた桃の数です。そして、この功績?により、桃には「大神実命(オオカムズミノミコト)の名前を与えられたそうです。
もう一つ、桃というとおなじみのお話「桃太郎」がありますね~。岡山の民話として有名ですが、実は日本全国にこの話はあります。
桃の節句は、この桃の加護によって、女の子の健やかな成長を願う行事であります。
作物としての「桃」もやはり原産地は中国西北部。英語のPeachはペルシアが語源でラテン語でペルシアのりんごからきています。
日本でも縄文時代には存在していて、平安時代には、水菓子として珍重されていたそうですが、今のものより甘くなく、今のような甘さのある種類の桃は明治時代から・・だそうです。
桃は祭祀と食用・・という二つのお役目を持っていた果物というわけです。
長崎は、先に書いているように中国の影響を受けていますので、、縁起物として、桃モチーフのお菓子が発達するのは当然といえば、当然なのかもですね。
可愛らしいお菓子をみると、長崎の春を思う・・そんな気持ちになります。
左より 桃饅頭
中央上 桃カステラ
右 桃栗饅頭
下 こももカステラ(チョコ) こももカステラ
桃カステラの大きさもいろいろあるようです。
こももサイズは、とても買いやすい大きさとお値段でした。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)で今まで書いたことを見ることができます.
当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
長崎は、長崎街道の起点であり終点であります。
江戸時代の鎖国時、この地は唯一の世界へ開かれた窓口でした。
ポルトガル人が平戸にお菓子を伝えた時代の後、窓口はこの長崎の出島へと移ります。
平戸の役目はある意味、そこで終了して、舞台は長崎ということになります。
長崎では、オランダ、中国などの文化が入ってきて、今でも、その面影を偲ぶ事ができる史跡もたくさんあります。お菓子も当然、影響を受けていて、和(日本)、華(中国)、蘭(オランダ)とお菓子の顔ぶれも華やかです。
ちょうど、2月は春節の季節。そして3月は桃の節句。この季節には町中に桃モチーフのお菓子があふれていました。
さて、このモチーフになった果物「桃」
中国において「桃」は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果物の意)と呼ばれ、昔から邪気をはらい不老長寿を与える果物と親しまれており、桃の実は長寿を示す吉兆図案であり、お祝い事の際には、桃の実をかたどった饅頭などを食べる習慣がある・・・そうです。
日本においても古くから邪気を祓う力があるとかんがえられていて、「古事記」の中でも、イザナギノミコトが、桃を投げつける事によって、ヨモツシコメ(鬼女)を退散させた・・という話もあります。
この神話で思い出したのが、直方の多賀神社の桃のお守り。(多賀神社のご祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトです)
以前、直方のお菓子の調査をした時に、多賀神社にも立ち寄ったのですが、社務所のお守りの中に、可愛らしい桃の土鈴があって、3個で一組になのが不思議だったのですが、この古事記の中のお話に由来していたのですね~。3個というのは、イザナギノミコトが投げつけた桃の数です。そして、この功績?により、桃には「大神実命(オオカムズミノミコト)の名前を与えられたそうです。
もう一つ、桃というとおなじみのお話「桃太郎」がありますね~。岡山の民話として有名ですが、実は日本全国にこの話はあります。
桃の節句は、この桃の加護によって、女の子の健やかな成長を願う行事であります。
作物としての「桃」もやはり原産地は中国西北部。英語のPeachはペルシアが語源でラテン語でペルシアのりんごからきています。
日本でも縄文時代には存在していて、平安時代には、水菓子として珍重されていたそうですが、今のものより甘くなく、今のような甘さのある種類の桃は明治時代から・・だそうです。
桃は祭祀と食用・・という二つのお役目を持っていた果物というわけです。
長崎は、先に書いているように中国の影響を受けていますので、、縁起物として、桃モチーフのお菓子が発達するのは当然といえば、当然なのかもですね。
可愛らしいお菓子をみると、長崎の春を思う・・そんな気持ちになります。
左より 桃饅頭
中央上 桃カステラ
右 桃栗饅頭
下 こももカステラ(チョコ) こももカステラ
桃カステラの大きさもいろいろあるようです。
こももサイズは、とても買いやすい大きさとお値段でした。
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さて、ここでおさらいコーナー
~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 22:10│Comments(0)
│長崎
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