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唐津 虹の松原 ~松原おこし~
2013年05月03日
4月25日、佐賀県唐津市に遊びにいってきました。
今回のお出かけはお菓子の調査ではありませんでしたが、友人が車をだしてくれたので、なかなか公共交通機関では行きにくいところに有るお菓子屋さんも覗いてきました。
浜崎の「けえらん」のことは先にUPしましたのでご覧下さい。
お菓子ストーリー ~浜玉町浜崎(佐賀県) けえらん~
さて、お米を使うお菓子をもう一つご紹介。
虹の松原の「松原おこし」です。
虹の松原・・・もともとはニ里の松原だったらしいのですが、なまって?虹の松原となったらしい。なまってきれいな名前になったと言うのも珍しい気がします。この松原は、初代藩主、寺沢志摩守広高が防風林として黒松を植えたのが始まりといわれています。
その松原で銘菓として販売されているのが「松原おこし」です。
その昔、太閤秀吉が虹の松原を通りかかり休息された折に、近くに住む鏡大宮司の娘が糒(ほしい 干飯)に黒砂糖を混ぜ合わせた物を献上したところ、ことの外、喜んで賞味された・・というのが起源とされています。(麻生本家 松原おこしのしおりより)
このお菓子も豊臣秀吉に関係あるんですね~。
その後、試行をかさねて、今の松原おこしとなったそうです。
松原おこしは、けえらんと同じく、作っているお店が複数あるようですが、今回も唐津観光協会のHPで紹介されているお店「まるき屋 麻生本家」で買いました。このお店の歴史は古く、明治時代の創業のようです。

お店の中で「松原おこし」の由来が紹介されていました。

こんな形で包装されてます。
この形が昔からあるものらしいです。(他に袋入りや箱入りもあります)
富士山みたいでしょう。これは、唐津の鏡山だそうです。

包装をとるとこんな感じ

ちょうど、お店にいたときに、おこしを作っているところに遭遇。
長く伸ばしてました。すごかったですよ~。
それをカットして(一個の長さは直径1.8cm 長さは4cmくらい)山の形に積み上げてる
食べてみたら、普通のおこしよりも、やわらかめ。湿気が来ている風な感じ。
そんな風に勘違いされる事が有るのか、しおりにもしっかり書いてありました。
堅くしたいときは冷蔵庫にしばらく入れると良いらしいですよ。
湿気てるかも・・と勘違いされるお菓子は佐賀には他にもあったっけ。
丸ぼうろ。関西方面に有る蕎麦ぼうろしか知らない人が、佐賀の丸ぼうろを食べると、やわらかいので、湿気てる・・と思うことが有るらしい。同じ佐賀のお菓子というのが面白いな~。
味は、黒砂糖の甘さの中に生姜の風味がします。やわらかいのでかめばかむほど、味がじわじわと出てくる感じです。凄く甘いような見た目ですが、しつこくない甘さです。意外とあっさりしています。
おこしは、「家を興し、名を興す」と言われる縁起菓子でもあります。そういえば、シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べている時に、佐賀の田代宿にあった、佐藤製菓にも、おこしがありました。こちらは普通に固いおこし。鳥栖の町おこしにも一役かっていて、「鳥栖興し」と言う名前がついてました。なるほど、ただの語呂合わせではなかったのですね~。
もう一つ面白く感じたのは、佐賀市内にも松原・・という地名が残っている場所があって、そこにも、昔は「おこし」が作られていたらしいのです。松原神社の有るあたりだと思いますが、今では残ってないそうです。
それから、シュガーロード(長崎街道)の宿場で松原宿というところがあるのですが、そこにも「へこはずしおこし」と言うおこしが有るといいます。諫早に近いので、諫早おこしみたいなものかもしれません。松原と言う地名と「おこし」の不思議?な関係。何でだろ~~??
おこしの歴史を考えると、このお菓子もやはり中国大陸や朝鮮半島から伝わった物。日持ちもするので、あちらこちらに携帯されて広まったと思われます。(これは、けえらんとは正反対ですね)唐津と言う場所、つまり唐(中国)へ渡る津(港)があった場所・・と考えると、やはり大陸や半島は近く、影響がたくさんあったのだろう・・としみじみ思うのです。
それにしてもこのパッケージは好みだわ。

たべたくなった人は、虹ノ松原へGO~~♪
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~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
今回のお出かけはお菓子の調査ではありませんでしたが、友人が車をだしてくれたので、なかなか公共交通機関では行きにくいところに有るお菓子屋さんも覗いてきました。
浜崎の「けえらん」のことは先にUPしましたのでご覧下さい。
お菓子ストーリー ~浜玉町浜崎(佐賀県) けえらん~
さて、お米を使うお菓子をもう一つご紹介。
虹の松原の「松原おこし」です。
虹の松原・・・もともとはニ里の松原だったらしいのですが、なまって?虹の松原となったらしい。なまってきれいな名前になったと言うのも珍しい気がします。この松原は、初代藩主、寺沢志摩守広高が防風林として黒松を植えたのが始まりといわれています。
その松原で銘菓として販売されているのが「松原おこし」です。
その昔、太閤秀吉が虹の松原を通りかかり休息された折に、近くに住む鏡大宮司の娘が糒(ほしい 干飯)に黒砂糖を混ぜ合わせた物を献上したところ、ことの外、喜んで賞味された・・というのが起源とされています。(麻生本家 松原おこしのしおりより)
このお菓子も豊臣秀吉に関係あるんですね~。
その後、試行をかさねて、今の松原おこしとなったそうです。
松原おこしは、けえらんと同じく、作っているお店が複数あるようですが、今回も唐津観光協会のHPで紹介されているお店「まるき屋 麻生本家」で買いました。このお店の歴史は古く、明治時代の創業のようです。

お店の中で「松原おこし」の由来が紹介されていました。

こんな形で包装されてます。
この形が昔からあるものらしいです。(他に袋入りや箱入りもあります)
富士山みたいでしょう。これは、唐津の鏡山だそうです。

包装をとるとこんな感じ

ちょうど、お店にいたときに、おこしを作っているところに遭遇。
長く伸ばしてました。すごかったですよ~。
それをカットして(一個の長さは直径1.8cm 長さは4cmくらい)山の形に積み上げてる
食べてみたら、普通のおこしよりも、やわらかめ。湿気が来ている風な感じ。
そんな風に勘違いされる事が有るのか、しおりにもしっかり書いてありました。
堅くしたいときは冷蔵庫にしばらく入れると良いらしいですよ。
湿気てるかも・・と勘違いされるお菓子は佐賀には他にもあったっけ。
丸ぼうろ。関西方面に有る蕎麦ぼうろしか知らない人が、佐賀の丸ぼうろを食べると、やわらかいので、湿気てる・・と思うことが有るらしい。同じ佐賀のお菓子というのが面白いな~。
味は、黒砂糖の甘さの中に生姜の風味がします。やわらかいのでかめばかむほど、味がじわじわと出てくる感じです。凄く甘いような見た目ですが、しつこくない甘さです。意外とあっさりしています。
おこしは、「家を興し、名を興す」と言われる縁起菓子でもあります。そういえば、シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べている時に、佐賀の田代宿にあった、佐藤製菓にも、おこしがありました。こちらは普通に固いおこし。鳥栖の町おこしにも一役かっていて、「鳥栖興し」と言う名前がついてました。なるほど、ただの語呂合わせではなかったのですね~。
もう一つ面白く感じたのは、佐賀市内にも松原・・という地名が残っている場所があって、そこにも、昔は「おこし」が作られていたらしいのです。松原神社の有るあたりだと思いますが、今では残ってないそうです。
それから、シュガーロード(長崎街道)の宿場で松原宿というところがあるのですが、そこにも「へこはずしおこし」と言うおこしが有るといいます。諫早に近いので、諫早おこしみたいなものかもしれません。松原と言う地名と「おこし」の不思議?な関係。何でだろ~~??
おこしの歴史を考えると、このお菓子もやはり中国大陸や朝鮮半島から伝わった物。日持ちもするので、あちらこちらに携帯されて広まったと思われます。(これは、けえらんとは正反対ですね)唐津と言う場所、つまり唐(中国)へ渡る津(港)があった場所・・と考えると、やはり大陸や半島は近く、影響がたくさんあったのだろう・・としみじみ思うのです。
それにしてもこのパッケージは好みだわ。

たべたくなった人は、虹ノ松原へGO~~♪
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~長崎街道(シュガーロード)について~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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