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唐津街道~唐津 銘菓 「若緑」のこと~
2013年12月07日
今年の4月25日に唐津に藤の花見のついでに数軒、菓子店を訪れました。
詳細は、ブログのテーマ、唐津街道のところを見てくださいね。
その時に、実は一軒、どうしても見つからなかった菓子店がありまして、なんど、その住所のあたりを車で廻っても見つけることができなかったのです。その住所のあたりにあった駐車場が、とっても悪い予感を・・・・。電話をかけてみても、呼び鈴はなるけれど、誰も出ない。
で、その日はあきらめて、また改めて・・とそのままにしてました。
昨日、お菓子関連の本を読んでいたときにふと思い出し、そういえば、商品を売っていたお土産店があったな・・・と思いつき、お問合せメールを送ってみました。
本日、お返事をいただき、探していた菓子店が今年の3月で廃業なさったと教えてくださいました。
廃業されたお店は大浦金盛堂といいます。
跡継ぎがいらっしゃらなかったそうで、廃業となったようです。
探していたお菓子は、「若緑」というお菓子です。
見た感じ、かりんとうに似た感じの干菓子。
茶席のお菓子です。
お菓子についてもう少し詳しく書きますと、もともとは「みどり」といわれていたお菓子です。
古いお菓子で、古文書などには1651年あたりに出てくるものです。
小麦粉と砂糖を練り合わせた記事を3センチほどに切って、焼き上げ、外に砂糖蜜の衣をつけています。
1800年後半には姿を消して行ったお菓子で、実は唐津の大浦金盛堂の「若緑」は江戸時代の「みどり」がそのままの姿で残っている物ではなかろうか・・というものでした。
食べ損なってますので、味はわかりません。
写真でお菓子を見る限り、白いかりんとうみたいな感じ。フィンガービスケットにも似てるかも。
お菓子の調査をしていて毎度感じる事ですが、本当に時間が残ってない・・・
大きな会社になっている菓子屋は心配ないのですが、個人でされている菓子屋がとても心配です。この個人でされている菓子屋に、とっても魅力的なお菓子があったりするので、本当はとても大切にしたいのです。廃業されるのは、大抵後継者が居ない・・というものです。本当に跡継ぎさんが居ない、もしくは後をついでも儲からない・・・あとを継ぐほどのものでない・・と思われての判断・・ということでしょうか。
郷土に残るお菓子は素朴ですが、とても魅力的だと思います。町おこしの材料にもなります。地方に残されたお菓子を地域全体で遺していく努力が必要な時代になっているような気がしてなりません。廃業は菓子店一軒がなくなるだけではありません。郷土の菓子文化の消滅ということでもあるのですから。
それにしても、今年の3月は東京の栄陽堂(大隈重信に関係の有るお店でした)も閉店してますし・・・。一つの節目がきているのかも・・・と焦りますね。
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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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このブログのサイドバーにあるテーマ 長崎街道(シュガーロード)・唐津街道・薩摩街道で今まで書いたことを見ることができます。
街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。
当ブログ内の文章、写真、その他の無断転用、転載を固く禁じます
詳細は、ブログのテーマ、唐津街道のところを見てくださいね。
その時に、実は一軒、どうしても見つからなかった菓子店がありまして、なんど、その住所のあたりを車で廻っても見つけることができなかったのです。その住所のあたりにあった駐車場が、とっても悪い予感を・・・・。電話をかけてみても、呼び鈴はなるけれど、誰も出ない。
で、その日はあきらめて、また改めて・・とそのままにしてました。
昨日、お菓子関連の本を読んでいたときにふと思い出し、そういえば、商品を売っていたお土産店があったな・・・と思いつき、お問合せメールを送ってみました。
本日、お返事をいただき、探していた菓子店が今年の3月で廃業なさったと教えてくださいました。
廃業されたお店は大浦金盛堂といいます。
跡継ぎがいらっしゃらなかったそうで、廃業となったようです。
探していたお菓子は、「若緑」というお菓子です。
見た感じ、かりんとうに似た感じの干菓子。
茶席のお菓子です。
お菓子についてもう少し詳しく書きますと、もともとは「みどり」といわれていたお菓子です。
古いお菓子で、古文書などには1651年あたりに出てくるものです。
小麦粉と砂糖を練り合わせた記事を3センチほどに切って、焼き上げ、外に砂糖蜜の衣をつけています。
1800年後半には姿を消して行ったお菓子で、実は唐津の大浦金盛堂の「若緑」は江戸時代の「みどり」がそのままの姿で残っている物ではなかろうか・・というものでした。
食べ損なってますので、味はわかりません。
写真でお菓子を見る限り、白いかりんとうみたいな感じ。フィンガービスケットにも似てるかも。
お菓子の調査をしていて毎度感じる事ですが、本当に時間が残ってない・・・
大きな会社になっている菓子屋は心配ないのですが、個人でされている菓子屋がとても心配です。この個人でされている菓子屋に、とっても魅力的なお菓子があったりするので、本当はとても大切にしたいのです。廃業されるのは、大抵後継者が居ない・・というものです。本当に跡継ぎさんが居ない、もしくは後をついでも儲からない・・・あとを継ぐほどのものでない・・と思われての判断・・ということでしょうか。
郷土に残るお菓子は素朴ですが、とても魅力的だと思います。町おこしの材料にもなります。地方に残されたお菓子を地域全体で遺していく努力が必要な時代になっているような気がしてなりません。廃業は菓子店一軒がなくなるだけではありません。郷土の菓子文化の消滅ということでもあるのですから。
それにしても、今年の3月は東京の栄陽堂(大隈重信に関係の有るお店でした)も閉店してますし・・・。一つの節目がきているのかも・・・と焦りますね。
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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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