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シュガーロード ~佐賀その5 有平糖 佐賀と長崎の千代結び

2013年03月17日

 2013年3月16日、 佐賀にいってきました。
 先にUPした内容はカテゴリーの佐賀をご覧下さい。
 
 有平糖(あるへいとう)・・・と口に出して言うと、なんとも懐かしいような、そんな気分になるのは私だけだろうか?なんともハイカラなそれでいて、セピア色の彼方にあるような・・そんな気持ちにさせてくれる。

 16世紀にポルトガルから南蛮菓子として伝わった有平糖。語源は、ポルトガル語のalfeloa(砂糖の意味)からだそうで、有平とあて字。それに糖の字が加わった。

 有平糖は飴である。
 日本における飴の成り立ちは2種類あって、穀物(米とか麦とか)から作る飴と砂糖から作る飴(有平糖)である。この点は、シュガーロードのお菓子を調べる上で、ちょっと気に留めておかなくてはいけない。(何でもかんでもシュガーロードの影響と考えがちになるので要注意なのだ)実は、砂糖が一般的になる以前から飴はあったのだ。

 今、佐賀でこの有平糖は千代結びという形で存在する。

 千代結び・・という名前がさすとおり、縁起菓子で、婚礼などに使われるお菓子だ。

 長崎にも同じように千代結びがある。昔は多く作られていたそうだ。
 今は、佐賀とその周辺部でお祝いのお菓子として多く使われている。これに丸ぼうろが組み合わされるらしい。(丸ぼうろ3個と千代結び1組が一般的な組み合わせのようだ)

これが、長崎の千代結び(とんぴんかんにはいっていたもの)
 

















こちらは佐賀の千代結び
佐賀の千代結びは紅白で1組となっている。
  





















 どちらかといえば、地味な印象のお菓子が多い佐賀のお菓子の中で、可愛らしい華やかさを放っている、伝統菓子といえる千代結び。大切に残していきたいお菓子の一つである。

 ちなみに、長崎と佐賀の千代結び。味はどうなのよ・・って思われている方・・・。すみません。もうしばらくながめていたいので・・・。味はまたの機会にUPいたします。砂糖菓子なので、たぶん同じだと思うのだが・・・。


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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 22:04Comments(0)佐賀

シュガーロード ~佐賀その4 寿賀台~

2013年03月17日

 2013年3月16日、 佐賀にいってきました。
 先にUPした内容はカテゴリーの佐賀をご覧下さい。
 
 さて、今回の最大の目的は、恵比寿ギャラリーに展示してあるという【寿賀台】(すがだい)をみること。
 【寿賀台】というのは、昔、佐賀県の西部エリアの結婚式には必ずみられたものだそうで、砂糖菓子と飴細工を組み合わせた華やかなお菓子だそう。実物をきちんとみるのは、初めて。本では、長崎街道のお菓子を語る物には必ずといっていいほど写真が載っているけれど、やっぱり本物を見ないと、雰囲気などはわからない。

 どうも自宅で行われる結婚式で飾られる物だったらしく、昭和30年代がピーク。その後はだんだん減少して、今では見られなくなった、幻の菓子である。
 一目を引く・・という点では、ウェディングーキのような存在?だったのかもしれないね~~なんて思いながら、会場到着。

 入り口正面に飾られていたので、いきなりのご対面!びっくり・・。思っていたより迫力がある。 さすが結婚式でつかわれていただけあって、会場栄えがするというか、とても華やかになる。





 





















 



























 


























 足のついた台に松が配され、飴で作られた垂れ幕を背景に金花糖の鯛や宝船などが飾らている。下には、千代結び。

 雰囲気はレトロっぽいけれど、愛嬌があってみていると楽しい。なんと言ってもこれは見たことがない者にとっては驚きがある。

 砂糖をふんだんに使った富を象徴する品・・・砂糖を潤沢に手に入れることができた土地柄ならではのお菓子である。

 見た目の愛嬌とは反対に、これを作る技術がまた凄いのだそうだ。高温の飴との格闘になるそうで、時間もかかるし、重労働となる。金花糖も熱い煮詰めた砂糖を型に流し込み・・・といった一連の作業。職人技の結集で作られているのだ。

 ちなみに金花糖の型は肥前の焼き物の技術が生かされていて、そういったことからも、焼き物の技術を受け継ぐエリアだからこそ、寿賀台のようなものができた・・ともいえる。

 寿賀台は後継者がなく、存続も危ぶまれた時期もあったそうだが、近年、若い職人さんたちが出てきたそうで、この時期の佐賀城下ひなまつりはその若手の技術のお披露目の場となっているそうだ。


 《寿賀台の他にも・・・》
 恵比寿ギャラリーでは、他にも肥前のお菓子がたくさん販売されていて、私のようなお菓子を追いかけている者にとっては、勉強にもなるし、とてもたのしい。(かつ、美味しい)
 ちょうど丸ぼうろの実演もあっていて、焼きあがったところに遭遇。日頃は食べれない、焼きたての熱々の丸ぼうろを試食させていただいた。丸ぼうろの焼きたてはふわふわなんだ・・・(冷えるといつもの固さになるのだけど)食べながら、あ~、カステラと(ほぼ)同じ材料でできているんだな~・と改めて思ったのも我ながら可笑しかった。 
 



               


















 焼きたての丸ぼうろ・・鉄板からとっているところ



 


















 落雁も展示してあって、その愛らしいこと。お菓子の追っかけをして、改めてその可愛らしさと美しさを発見。残していきたいお菓子である。 
  
佐賀城下ひなまつりは3月20日までです。もうすぐ終了。興味のある方はおいそぎあれ・・・

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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:47Comments(0)佐賀

シュガーロード~佐賀その3 佐賀城下の長崎街道~ 

2013年03月17日

 2013年3月16日、佐賀に行ってきました。佐賀では、20日まで、佐賀城下ひな祭りのイベントがあっています。
 佐賀に行くのは2度目。過去の内容と、昨日UPしたものはカテゴリーの佐賀をご覧下さい。


 長崎街道は佐賀市内に入るとお城の北側をジグザグにすすみます。
 お城が近いこともあり、防衛の為だそうです。
 この曲がった道は城下町にはよくみられます。

 余談ですが、長崎街道ではありませんが、福岡市の天神の明治通りにも、この曲がりが今でも残ってますよ。明治通りを天神から大濠公園方向に進んだ、西鉄グランドホテルのちょっと手前、曲がってます。今度、気にして通ってみてください。

 道がまっすぐで見通しが良いというのは、防衛上問題があるので、こんなつくりにしていたのですね~。
 お雛様を展示してある、佐賀市歴史民族館(旧古賀銀行・旧古賀家・旧三省銀行)はまさに長崎街道沿い。建物の昔の業種からしても、その繁栄ぶりが偲ばれます。最初に伺った恵比寿ギャラリーももともとは銀行でした。

 恵比寿ギャラリーの近くのお菓子屋さんの角で、こんな道しるべを見つけました。

  
 こくらみちと書いてあります。つまりこちらは小倉(北九州市)へつながってますよ~ということ。

 
 同じ道しるべの反対側には、ながさき・・の文字。こちらは長崎方面・・ということ

 足もとには、えびす様。佐賀にはたくさんのえびす様が道の辻や脇にいらっしゃいます。今日一日が充実したものになるようにお願いいして、お雛様会場へ向かいました。

 また余談ですが、佐賀市内のえびす様、八十八箇所めぐりスタンプラリーというのがあっているようですよ。パンフレットをもらってきたのですが、それをみると、えびす様・・と一言で言っても、おひとり、おひとり・・ご利益の担当が違うようで(笑)それにしても、何で佐賀にえびす様??これもパンフレットに書いてあったのですが、いろいろな説があるようです。長崎街道を中心に商売をしている人が多かったのと、旅の安全を願って・・などはっきりしないそうです。ちなみに、写真のえびす様は36番道しるべ恵比寿 ご利益は金運上昇・旅の安全だそうです。お世話をしている和菓子屋さんは130年も続く老舗とか・・。昨日はそんなこととは知らず、お店には立ち寄りませんでした。残念・・。


  
 間違いなく長崎街道です。



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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 21:25Comments(0)佐賀

シュガーロード~佐賀 その2~

2013年03月17日

 昨年12月に佐賀県をちょっとだけ調査いたしました。
 佐賀市はその時にちらっとだけ。(12月は田代・鳥栖・小城・・がメインでした)
 その時のことはカテゴリーの佐賀のところをご覧下さい。
 
 今日(2013年3月16日)は、再び佐賀にいってきました。
 というのも、3月20日まで、佐賀城下ひな祭り・・・というイベントがあっていて、その会場の一つ、恵比寿ギャラリーでお菓子のひな祭りと題して、佐賀のお菓子の販売があっている。会場には寿賀台(すがだい)も展示してある・・という情報をfbのお友達から教えていただいたから。

 今日はその寿賀台と、お雛様めぐりと、鶴屋本店で販売されている、ケシアド・・というお饅頭を買って帰るだけ・・・と思ってましたが、やはり、お菓子を見てしまうと・・・。今日も(いつもより控えめですが)たくさん買ってしまいました。

 それぞれのお菓子については、後日UP.していく事にいたしましょう。
 今日は記念撮影・・・のような感じで。

 
 
 





























 肥前ケシアドはケイジャーダからヒントを得たお菓子。詳しくは後ほど・・。
 もち米飴は、あめがた。
 鶴まんは、カステラ饅頭(やっぱり佐賀にもありました。白餡のおまんじゅう)
 千代結びは、長崎にもありました。こちらは紅白で一組のようです。
 金華糖の鯛、可愛らしい大きさで3個セットだったのでお土産に・・と思って買ったのに、持って帰ってみたら、尾っぽがわれてしまってて・・・残念。とてもデリケートなお菓子なんですね~(とほほ・・・)

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さて、ここでおさらいコーナー
 ~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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Posted by はなはな at 20:55Comments(0)佐賀